オリンピック教育・研究」カテゴリーアーカイブ

第111回 JOAコロキウム 報告

日 時:2011年10月19日(水)18:00-20:00

場 所:「新中野切手サロン」

参加者:10名

テーマ:映像で見るオリンピックの歴史:「お宝映像を探せ!」シリーズ

題 材:前半: IOC版「OLYMPICA!オリンピック100年の歴史」⑫(日本語吹き替え版55分)
登場選手:①ロス閉会式:商業主義のエポックとされるが大成功と自画自賛。モスクワの方が商業主義がひどかったとは初耳 ②88年ソウル水泳400mメドレーリレー:バーコフ、グロス、ビオンディらに混じって鈴木大地の映像も ③現在は行われていない競技(綱引き、立ち幅跳び、立ち高跳びなどの珍しい映像) ④56年マラソンのアラン・ミムン(仏)は友人のザトペックに引導を渡し、2位の定位置から脱出した。 ⑤36年ベルリン800mではウッドラフ・ランチ・エドワーズの接戦 ⑥72年水泳マーク・スピッツは金7個の大活躍。表彰台でアディダスのシューズを掲げての宣伝行為。しかしIOCは失格にせず。同年札幌冬季大会ではシュランツが追放になったのにである。 ⑦中国女子卓球の小兵149cmの鄧亜ひょうは92年と96年の単複の連覇で金4個の大活躍。父がシェークハンドを指導した。 ⑧92年南アの復帰:開会式にはネルソン・マンデラ大統領の姿も。テニスの決戦では南アと独のプロの戦い。ベッカー・シュティヒVSフェレイラ・ノーバル。惜しくも銀メダルに終わる。 ⑨36年ベルリン走り高跳びのジョンソン。レニ・リーフェンシュタールの映像が映る。膝をさするヒトラーと日本選手(矢田、朝熊ら)のジャンプも。正面跳びやベリーロール。懐かしい。 ⑩マット・ビオンディの快泳(88年ソウル)はさすがである。 ⑪ホワイトフィールド(52年ヘルシンキ)は48年ロンドンから大活躍。 ⑫76年モントリオール:シュガー・レイ・レナードはオリンピック大会後に引退予定であったがプロ転向し大活躍14年間で2敗したのみ。⑬24年パリ大会・28年アムステルダム大会:フィンランドのヌルミとリトラの大活躍。ヌルミは薬物使用をしていたとのこと。H先生によるとコカとのこと。当時はドーピング規定がなかったのでお咎め無し。⑭60年ローマ:女子水泳優勝候補のウッドは水を飲んで棄権。救助のシーンもありました。このように沢山珍しい映像を堪能しました。

後半: 10月17日に国連で2012年ロンドン大会に向けて「オリンピック休戦決議」が採択されました。その紹介と解説。初めてパラリンピックに詳細に言及。1948年ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院での障がい者のスポーツ大会がパラリンピックの始まりと明記。残念ながら2012年のインスブルックYOGへの休戦が含まれていませんでした。しかし2014年ソチに向けた準備は明記されています。

終了後:いつものように居酒屋談義で大いに盛り上がりました。(差し入れ多謝)

第110回 JOAコロキウム 報告

日 時:2011年9月14日(水)18:00-20:00(注意:定例の第3水曜日ではありません)

場 所:「新中野切手サロン」参加者:11名 + 居酒屋合流1名

テーマ:映像で見るオリンピックの歴史:「お宝映像を探せ!」シリーズ

題 材:前半:映像で見るオリンピックの歴史:「お宝映像を探せ!」シリーズ
グリーンスパン特集⑧『16 Days of Glory: Part II』(Bud Greenspan,1984,英語版,147分)(後半)①カール・ルイスの4冠物語の残り2本。200mと400mリレー。この映像もジェシー・オーエンスと対比させながらの新旧比較の4冠王映像でした。 ②ルガニスのダイビングは高飛び込みと板飛び込み2種目2冠、彼は1988年にも連続2冠を達成する。リーフェンシュタールの飛翔する身体映像と比較すると今ひとつかも。③体操男子団体の日米中の3つ巴。ビドマーとゲイロードを擁する米国チームの勝利。日本は中国に次いで3位であった。④シメオニvsマイファルトの女子高跳び決勝。マイファルトは16歳でミュンヘンで優勝し再度の対決に。⑤女子自転車ロードレース。米国2選手が接戦。ゴール直前のコース取りによる1インチの差の優勝決定。会場が沸いた。⑥男子体操個人総合の熱き戦い(李・具志堅・ビドマー)具志堅のぶつぶつは一体何と言っているのだろうか。⑦女子3000mの熱き戦い。ルーマニアのマルチカ・プイカが優勝するが、あまりなじみのない名前。皆さんご存じのデッカーと裸足のバッドの因縁の対決は、ゼッケンをちぎり取るデッカーの執念を見た。⑧ヘンリー・マーシュの敗者の物語。何故フィナーレを飾るのだろう?グランド内への闖入者も描かれていた。これでグリーンスパン特集は終了しました。

後半:若手研究者の研究ノート他:
ドイツのお墓巡り(リーフェンシュタールとレルヒ少佐)とヤーンのツルネン祭訪問の紹介(中央大学市場さん)レルヒ少佐の墓の所在が日本の書物では間違っているそうである。ヤーンのツルネン祭は年代別参加のスポーツ祭であるが、日光浴をする若者達の姿も写真で紹介された。早稲田の院生青木さんは古代エジプトの王の走行儀礼について報告。修論の一部だそうだが、30年で王は身体的・魔術的力を示すために走ることでその力を誇示したそうである。走れないと退位しなくてはならない。この王殺しと王の再生復活の儀式の話に関心が高く多くの質問が出ました。最終稿が楽しみである。私の方からは、13日開催の東京ビック・トーク「石原都知事との議論」での2020年招致関連のトークショーについて報告しました。国民一体となった招致運動には一体誰がリーダーに? 政治も巻き込みスポーツ界が力量を発揮するには一体どのようにすれば、、、?との疑問ばかりのトークショーでした。

終了後:いつものように居酒屋談義で大いに盛り上がりました。「もんし」からの合流者1名でした。

第109回 JOAコロキウム 報告

日 時:2011年8月9日(火)18:00-20:00

場 所:「新中野切手サロン」

参加者:8名 + 居酒屋合流1名

テーマ:映像で見るオリンピックの歴史:「お宝映像を探せ!」シリーズ

題 材:前半:映像で見るオリンピックの歴史:「お宝映像を探せ!」シリーズ
グリーンスパン特集⑦『16 Days of Glory: Part II』(Bud Greenspan,1984,英語版,147分)(前半)グリーンスパンのオリンピック公式記録映画デビュー作といってよい作品です。
①カール・ルイスの4冠物語のうち100mと幅跳び。スローで見せると共に1936年のジェシーオーウェンスとの対比が面白い。②棒高跳びの米仏の激闘。キノンとビネロン(仏)vsタリーとビル(米)の長時間に及ぶ跳躍とパスなどの駆け引きが興味深い。 ③ようやくの中国のオリンピック復帰と大活躍のシーンの連続。男子体操の李寧、高跳びの朱建華、ピストルの許海峰、ダイビングや女子バレーの活躍などのほかフェンシングでアジア初の金メダルのルアン・ジュジェの活躍も。④セバスチャン・コーとスティーブ・オベットのライバルリー。1980年モスクワ大会の映像も交え、ベットが気管支炎で2日間入院する不調の中、2人の激闘をラストの歓喜と失意の棄権のコントラストで描いています。

後半:若手研究者の研究ノート:ドイツ・スポーツ研究の中のオリンピック。ドイツの市民クラブ、第1次世界大戦時の伝説(英独軍、戦争を中断してクリスマスキャロルを歌いサッカーに興じた両軍)、ナチスに荷担したカール・ディームと彼への批判メッセージ。カール・ディームの印象を大きく変えたショッキングな映像の3本の映像を元に、ドイツ研究の紹介。ドイツにサッカーを持ち込んだコンラート・コッホが映画化されたとのこと。その紹介映像が見られなかったのが残念。なかなかユニークな研究紹介。今後にもこうご期待。

終了後:いつものように居酒屋談義で大いに盛り上がりました。

第108回 JOAコロキウム 報告

日 時:2011年7月13(水)18:00-20:00

場 所:「新中野切手サロン」

参加者:8名(内:院生1名)+ 居酒屋合流1名

テーマ:映像で見るオリンピックの歴史:「お宝映像を探せ!」シリーズ

題 材:前半:映像で見るオリンピックの歴史:「お宝映像を探せ!」シリーズ
グリーンスパン特集⑥『栄光のオリンピック伝説:勇気と感動の100年史 100years of Olympic Glory』(下)(Bud Greenspan,1996,文藝春秋社、日本語版、89分)(後半)①1956年メルボルン大会と1960年ローマ大会のマレー・ロ
ーズと山中(水泳)のライバル関係、後に南カリフォルニア大でチームメイトになるが、「何故努力するか? 唯一の答えは喜びだ」と答えるローズ。友情、連帯、国の代表、頂点を極めること、ベストを尽くすこと、どれも喜びだと。 ②最多メダリストは誰? マーク・スピッツ、カール・ルイス、アル・オーター、加藤沢男?様々なヒーロー達が登場。スピッツは疲れて棄権しようとしてコーチの激怒されたこと、出場したことで最多メダル獲得となったという逸話でした。 ③負傷しても戦ったオリンピアン達:藤本俊(体操モントリオール)、シルケン・ローマン(スカル)、ジョン・
スティーブン・アクワリ(マラソン)など、、。アクワリのインタビューでの答えが最高である。「何故、怪我を押して走り通したのか? 私の国はスタートするためにメキシコまで送り出したのではない。ゴールするために5000マイルもの遠いところまで送り出したのだ」と。エンディングはジョン・イアン・ウィンの逸話:1956年メルボルン大会閉会式からの国別ではない入場行進実現の逸話。ワルチング・マチルダの意味と共に、オリンピックヒーロー達のお宝映像が盛りだくさんでした。本人の登場も貴重な映像ですね。

後半:新企画「院生による情報提供」:近代オリンピック競技大会における国旗国歌の廃止論。川本信正(1971)および小田部雄次(2010)の著作から国家国旗の廃止決議に関する資料提供。話題が新鮮でした。さらに詳細な確認が必要な資料です

終了後:いつものように居酒屋談義で大いに盛り上がりました。

第107回JOAコロキウム 報告

日 時:2011年6月15日(水)18:00-20:00(定例の第3水曜日)

場 所:新中野切手サロン
(地下鉄丸ノ内線「新中野」駅、4番出口)
電話:03-6454-1405 住所:中野区中央4-1-3 BONITA新中野ビル6階
薬屋(一本堂)のあるビルの6階です。

題 材:前半:映像で見るオリンピックの歴史

グリーンスパン特集⑤『栄光のオリンピック伝説:勇気と感動の100年史 100years of Olympic Glory』(下)(Bud Greenspan,1996,文藝春秋社、日本語版、89分)
前半:①最終聖火ランナーシリーズ:1936年ベルリンのフリッツ・シルゲン、1956年メルボルンのロン・クラークなど、珍しい映像とインタビューが興味深いものでした。無冠のクラークはザトペックに金メダル3個をプレゼントされています。ケニアの「草原のランナー」キップ・ケイノは1968年からケニア勢台頭の象徴。69人もの孤児を引き取り、教育機会を提供するなどの社会貢献の姿も。
1932年ロス大会で80mHと槍で優勝したベーブ・ディドリクソン=ザハリアスはゴルファーに転向し大活躍。ラズロ・パッパとテオフィロ・ステベンソンは共にオリンピック3連覇後プロボクサーに転向するも無冠。ピアニストとして有名なオステルマイヤー(仏)は1948年ロンドン大会で砲丸、円盤で優勝、走り高跳びで銅を獲得、「金メダルのピアニスト」となる。夫婦となったオリンピアン達数組の内、ワレリー・ボルゾフとリュドミラ・ツリシェチワの活躍、そこに絡むオルガ・コルブトの物語。珍しい映像のオンパレードでした。

後半:新企画「院生による情報提供」:黒須あかりさん、ローザンヌのミュージアムのOlympic Truce関連資料の紹介。

終了後:いつものように居酒屋談義で大いに盛り上がりました。