2013年度」カテゴリーアーカイブ

第132回JOAコロキウム 報告

  • 日 時:2013年7月24日(水)18:00-20:00 (ご注意:定例の第3水曜日ではありません。)
  • 場 所:「新中野切手サロン」 (地下鉄丸ノ内線「新中野」下車、4番出口 徒歩1分 ローソンのあるビル・ボニータビル6F)
  • テーマ:映像で見るオリンピックの歴史
  • 内 容:①1992年アルベールヴィル大会の開会式(NHKの放映:日本語 2時間弱)
    前半:舛本より、GamesBids.comの招致候補都市の状況紹介、同サイトのオリンピック種目参入キャンペーン情報紹介
    後半:1992年のアルベールヴィル大会の開会式のNHKの国際映像を観ました。平野、工藤の両アナのコメントにはシンプルながらも含蓄があります。ヨーロッパ再編を遠心力(ソ連邦の崩壊)と求心力(EC)と表現し、また,ソ連やユーゴのように民族のアイデンティティ模索(分裂)とドイツの統一(統合)とも評します。1992年頃の時代状況をうまく表現していました。この1992年は同じ年に冬季大会と夏季大会が開催された最後の年になります。この大会には2人の組織委員会の委員長がいた珍しい大会でもありました。スキー3冠王のジャン K キリーとミッシェル・バルニエ、サボア県議会議長です。
    映像は1924年のシャモニー冬季大会(第1回大会)と1968年グルノーブル冬季大会も写しだし、フランスで3回目の冬季大会を紹介していきます。フランスの芸術は庶民的モチーフで演出されていました。フランスの大道芸を基調とした道化師2人が司会を務め、サボア県のローカル色も交えていました。プラカード嬢のファッションがとても奇抜です。雪だるまをモチーフとした丸いコスチュームがファッションのリーダーぶりを演出するのでしょう。ベートーベンの第九はEC統合の象徴の歌でもあり、東西ドイツ統一の象徴でもあります。開会式のアナウンスは手話でも通訳されていました。旧ソ連は五輪旗の元、5カ国に分かれて入場行進していました。カナダチームの入場が人気で、カルガリー大会の余韻がまだあったのでしょう。地元フランスでは開催国ながら3番目の規模のデレゲーションでした。開会式の儀式はプロトコル通り。開会宣言はミッテラン大統領でした。祝祭のパフォーマンスは少々退屈気味であったともいえます。
  • 居酒屋談義:終了後はいつものように居酒屋談義、少人数ながら話題は尽きませんでした。

第131回JOAコロキウム 報告

  • 日 時:2013年6月19日(水)18:00-20:00
  • 場 所:「新中野切手サロン」 参加者:6名
  • テーマ:映像で見るオリンピックの歴史
  • 内 容:①1992年バルセロナ大会の閉会式(NHKの放映:日本語 2時間強)
    <前半>舛本より、GamesBids.comのサンクト・ペテルブルグのアコード会議のプレゼン情報紹介、同サイトの2018年YOG候補都市の評価状況の記事の紹介
    <後半>1992年バルセロナ大会の閉会式のNHKの国際映像です。工藤、福島の両アナの解説。初のボイコットフリーの大会でしたが、組織委員会のマラガイ市長はオリンピック休戦も、ローマ法王の平和メッセージも、ロンドン合意も守られなかったと嘆きました。サマランチ会長は「私の街、バルセロナ」と呼び「皆さんやりましたね、最高の大会だ」と褒めていました。選手団の入場行進は無く、第九にあわせて旗手団が入場。日本の旗手は中田久美選手。ホセ・カレーラスが音楽監督、オヨスのフラメンコがやはり演じられます。プラシド・ドミンゴとコーラス隊がオリンピック賛歌を歌う中、16人のことも達が掲げるオリンピック旗が退場。聖火が消える際には、ビクトリア・ロス・アンジェルスによるあのパブロ・カザルスの「鳥の歌」が歌われました。平和希求の名ソングですね。芸術と平和の祭典はこのような演出が繰り広げられました。次回のアトランタの演出ではモダンダンスパフォーマンス。マスコットの「イジーWhatizit」も登場し、ジョンソン、バルセロナ市長にオリンピック旗が手渡されました。コンピュータ合成のマスコットは初めてですね。炎を基調とした閉会式は最後まで見ることができませんでしたが、会の最後にはNHKのバルセロナ大会総集編「鳥たちの歌」の冒頭を見ました。パブロ・カザルスが国連総会で演奏した映像の中では、カザルスの「バルセロナの鳥はピース、ピース、ピースとなく」というメッセージも紹介されました。なかなか良い総集編の出だしでした。やはりこの閉会式も「芸術と平和のメッセージ」満載の閉会式であったといえます。コロキウムの参加者からはなかなかすばらしい閉会式であったし、NHKのアナ達も良い解説をしていたと評判でした。

★居酒屋談義:終了後はいつものように居酒屋談義、少人数ながら話題は尽きないのです。

 

第130回JOAコロキウム 報告

日 時:2013年5月22日(水)18:00-20:00 (注意:定例の第3水曜日ではありません)

場 所:「新中野切手サロン」 (地下鉄丸ノ内線「新中野」下車、4番出口 徒歩1分 ローソンのあるビル・ボニータビル6F)

テーマ:映像で見るオリンピックの歴史

内 容:

・前半:野﨑先生より、国立近代美術館の1964年東京オリンピックデザインプロジェクトの報告。 ピクトグラム紹介など。舛本より、GamesBids.comのイスタンブール優勢の情報紹介、「スポーツを考える:「五輪教育」の充実を」の紹介

・後半:1992年ソウル大会の開会式の国際映像の後半を観ました。NHKの工藤三郎、平野次郎、福島敦子3キャスター、ゲストは鈴木大地氏。選手団の入場行進は日本(旗手中田久美選手)とEAUの同時入場行進、開催国スペイン(旗手フェリペ皇太子)のみ観ました。後半の開会式の文化プログラム、標語の「伝統から芸術へ」および「平和希求のメッセージ」をうまく描いていきます。公式セレモニーで、マラガル市長はオリンピック休戦の遵守のアピールをしますが、公式報告書にはその部分はカットされています。カタルーニャ語で挨拶するサマランチ会長、バルセロナの一市民とも述べます。オペラ歌手によるオリンピック参加と五輪旗の掲揚、巨大な一枚のオリンピック旗で全選手が覆われ、オリンピアン達がオリンピック精神のもとに一堂に会したことが演出されます。25回大会を記念した各大会の読み上げとホスト国の入場では、戦争で中止となった3大会の旗にはピカソの描いた平和の鳩の絵、すばらしい演出です。聖火の点火はおなじみのレボジョさんのアーチェリー。最後は、カタルーニャのお祭りの名物人間ピラミッド「カスティーヨ」の演技と6人のオペラ歌手(3代テノールのうちの2人、ホセ・カレーラスとプラシド・ドミンゴも登場)による共演。17曲のアリア、最後はアイーダです。これだけでも開会式に参加した価値があるすばらしい美声を堪能しました。平野キャスターは3点のコメント:スペインの懐の深さ、変わりつつある世界、集まることの重要性をあげていました。「芸術と平和のメッセージ」満載の開会式であったといえます。当日はスタンドにいた佐藤次郎さんもこんなにすばらしい開会式であったとは、当時は思いもしなかったという感想が興味深いものでした。

・居酒屋談義:終了後はいつものように居酒屋談義、少人数ながら話題は尽きません。20年種目採択1枠も話題となりました。

 

第129回JOAコロキウム 報告

日 時:2013年4月24日(水)18:00-20:00 (注意:定例の第3水曜日ではありません)

場 所:「新中野切手サロン」 (地下鉄丸ノ内線「新中野」下車、4番出口 徒歩1分 ローソンのあるビル・ボニータビル6F)

テーマ:映像で見るオリンピックの歴史

内 容:①1992年バルセロナ大会の開会式(NHKの放映:日本語 3時間強の前半)

・前半:1992年ソウル大会の開会式の国際映像の前半を観ました。以前観ているのですが、あまり覚えがありません。NHKの工藤三郎アナ、平野次郎、福島敦子両キャスターの懐かしい声が聞こえました。ゲストはソウル大会金メダリストの鈴木大地。さすが芸術の国スペインの開会式の文化プログラム、標語の「伝統から芸術へ」をうまく描いていきます。平野キャスターがバルセロナの文化的・歴史的特徴をわかりやすく解説していきます。先ず、HOLAのパートで歓迎し、カラフルでモダンな衣装がふんだんに登場します。地中海の青、太陽の黄色、大地の赤です。マラソンを題材にしたパントマイム、サルダーニャの伝統舞踊。たくさんの踊りと音楽とパフォーマーたちが登場しました。3大テノールの1人ホセ・カレーラスの登場とプラシド・ドミンゴ他、多くのオペラ歌手が登場しました。フラメンコの女性は馬に乗って登場。セビリアの踊りです。ソウル大会で問題になったのが、生きた鳩の放鳩でしたが、このバルセロナでも生きた鳩を飛ばしていました。驚きでした。坂本龍一は「地中海」のパートで作曲を任され、開会式の1週間まえにようやく曲が完成したとのこと。彼の指揮ぶりも何度も映し出されていました。このパートはバルセロナ市の誕生のパフォーマンス。スタンドの観客も一緒になって演じました。物語はヘラクレスの怪物退治、地中海とバルセロナ誕生のストーリーが壮大に演じられました。怪物は飢え、病気、戦争の象徴、ヘラクレスは文明の象徴なのです。文明が勝利し、バルセロナが誕生したという物語です。

・後半:若手研究者による情報提

黒須朱莉さん「近代オリンピックにおける国歌国旗廃止案について:研究成果報告①
IOCブランデージ会長(1952-1972)の本廃止案の提案に着目した続報です。1953年から1957年の国歌廃止案の提案期。IFs、IOC総会での国歌廃止案の支持の広がり、さらに進んで1965年-1968年の国歌・国旗廃止案の提起と支持の広がりという時代区分の元、第2期までが今回の報告。ブランデー時会長の判断の揺らぎとスポーツ界の変容を情報提供してくれました。愛国主義とナショナリズムの違いや、IfsとNOCsのスタンスの差など、まだ興味深い論点がありそうです。続報を乞うご期待!

・居酒屋談義:終了後はいつものように居酒屋談義、少人数ながら話題は尽きませんね。