7月24日(土)17:00-19:00
「JOAハウス」opening記念「JOAフォーラム」
テーマ:「東京2020大会に期待すること/期待すべきこと」
コーディネーター:飯塚俊哉(JOA会員)
概要:JOA HOUSEの開設を記念し、「東京2020大会」の競技の初日に、このコロナ禍の東京大会に「期待すること」および「期待すべきこと」について自由に意見を述べ合いましょう! たとえば、共生社会、SDGs、ジェンダー平等、平和運動などなど。何人かの方に基礎情報の提供も願いする予定です。
<タイムスケジュール>
PartⅠ:17:00~18:00
オープニング 「バーチャルJOAハウス」開館挨拶
●望月敏夫JOA会長(JOAハウス館長)
「バーチャルJOAハウス」の開始に多くの方が努力されて記念すべき事業となった。
競技の始まる第一日目で、開催出来たこと。大会をよく観察して、パリ、LA、ブリスベンへつなげる。組織委員会はなくなるが、JOAは残るので、次に繋げるのが大切な役割。
●落合恒武蔵野大学常任理事(JOAハウス実行委員会副委員長)
有明キャンパスが出来たら、オリンピック開催が決まり、第二聖火台もある場所に。今回の機会に協力出来るのは意義があることである。
●舛本直文JOA副会長(JOAハウス実行委員会委員長)
オンラインで世界とは繋がり易くなる利点もある。「バーチャルJOAハウス」は多様な意見も活発に出せる場としたい。オリンピック・パラリンピック教育についても話し合いたい。
1.ジェンダー、平和運動、SDGsなどの観点からのJOA会員4名による
情報提供、意見表明
●宮嶋泰子氏(元テレビ朝日、一般社団法人カルティベータ代表)
- コロナ禍での大会開催に大会開催に反対する立場で、押し切られるという状況。コロナと戦う戦時中に強行される五輪となった。
- テレビ朝日で、1980年のモスクワ大会から平昌まで19回のオリンピックの現地取材に携わってきた中で、印象に残るのが1994のリレハンメル五輪。オリンピック休戦が呼びかけられ、サラエボの内戦への黙とうもあった。開会式の演出も強烈な平和へのメッセージだった。東ドイツのカタリーナ・ビット選手の反戦歌でのサラエボへの心を込めた演技、オランダのヨハン・オラフ・コスは金メダルの報奨金を寄付し、それと同時にノルウェー国中でサラエボへの支援が高まった。これがオリンピックの本当の姿、真髄。昨日の東京大会の開会式は、世界の人に訴えるテーマが分からず残念に感じた。
- 東京大会に期待すること、期待すべきこと、としてジェンダーと難民の二つを挙げたい。
- ジェンダーでは、女性の競技参加者が増えた。今回の旗手、男女が手を取り合って行い、慣れぬ姿もほほえましいものだった。LGBTQ表明したアスリートが160名を超え、大坂なおみは意見を表明出来る女性の象徴として聖火の最終点火者になった。これからは女性の参加者の数ではなく内容が問題にされる段階に入った。女性の競技ウェアについての問題、LGBTQ、多様性に対するルールでは、キャスター・セメンヤ選手の件も含み、トランスジェンダーの基準は単にホルモンの数値だけでよいのかという点もある。
- 難民にとってのスポーツに、かつてから強い関心。15年前から難民キャンプも四度取材。スポーツの難民に与える力可能性とはどういうものかと、数回の番組を作ってきた。アフガニスタンでは、スポーツウェアを着て前へ出るだけでも罵詈雑言を浴びた女性が、フランスに勉強に行って、自転車の練習で皆に頑張れと声援を受け、難民選手団の一員として今回出場。できなかった事が、国が変わるだけで出来ていく。自分の可能性も広がる。また前回大会から追っているポール・ミサンガ選手は、かつてのザイール、現コンゴ民主共和国で、段ボールで寝泊まりする子供時代を送り、夢もないし学校にも通えない環境の中で、井上康生選手の柔道を見て、自分もこれがやりたいと、出来る環境を探して、柔道を始め、コンゴ民主共和国の代表となり、今大会は、難民選手団として出場。彼は、柔道を通して、学校で学べなかった分、全て柔道で学ぶと語った。
- このように人の人生を変えていくスポーツを見つめたいと思う。
●佐藤次郎氏(元東京新聞編集委員)
- 長く新聞記者、スポーツライターとして、一貫して熱心なスポーツファン、熱烈なオリンピックファンとしての記事を書いてきた。今回何よりショックだったのは、長い歴史の中で初めて愛されないオリンピック、歓迎されないオリンピックが生み出され、何の祝福も得られないまま無観客で開催となったこと。
- 今回のパンデミックのただ中で、世界最大の祭典が開かれるには、どうしても無理がある。そこに十分な説明や、国民、都民への語り掛けの無い中で無理やり強硬開催に突き進めば強い反発があるのは当たり前。
- まずトップにオリンピックどうあるべきとの理念、理想がなかった。そして中止、延期もありうる前例のない状況に対応できなかった。オリンピック、IOCを特別視、絶対視し過ぎた。この三つ原因によって、手を打てないまま、ずるずると開催へ向かって日を過ごしてしまったのが今大会の特徴。・この無理な中でも開けば、これだけのいい事がある、こういう考えがあるから開きたい、みんな、だから頑張って開こうよ、という説明すらなかった。これでは、不信感が強まるばかり。
- 日本にとって、オリンピックそのものにとって、一番妥当な選択肢は、ある種の再延期だったと思うし、それはある時点では十分に可能で、交渉可能だったと思うが、どこまで交渉したかは別にしても、成果の生まないまま手をこまねき、歓迎されざるオリンピックが何の祝福も得られないまま、無観客で開催となった。
- これはもう取り返しはつかない事。もっと先の事を考えないといけない、これはオリンピックそのものの再出発、どうあるべきかの再検討へのきっかけにしないといけない。これからのオリンピックはどうするのか、具体的に示して、それをまとまった形で日本、世界に示すことが絶対に必要。・「オリンピック再建計画」は、今回の開催当事者には任せられない。本当にオリンピックが好きだ、オリンッピクの価値について、理念を持っているという人が集まってやれればいい。この枠組みは、簡単ではないが、自分もこの状況をみて考えないといけないと思う様になった。同じ考えの方とは、共に具体的な議論をしていきたい。
- 東京大会に何を期待するかというテーマでいうと、日本で人気のあるメジャースポーツ、人気スポーツはあまり見ないで、世界のマイナースポーツを徹底的に観ようと、ホッケー、アーチェリーの団体の海外同士の試合をみている。多様性をいうなら、まず競技の面から多様性を観たいという考え。
●野上玲子氏(日本女子大学)
- オリンピックは、平和の祭典である。そして「オリンピズム」という国際平和思想が開催の根幹にある。主な平和運動として、オリンピック休戦(7月16日~休戦期間)、聖火リレー(Hope Light Our Way/希望の道をつなごう)、開・閉会式による「象徴的放鳩」、「Peace Orizuru」という紛争なき世界の実現を目指す活動、「エケケイリア」(聖なる休戦)、「難民選手団」は11か国29名で結成され、ギリシャに続き2番目に入場行進、選手村での「休戦の壁画」、などが実施された。また、IOCと国連の連携活動としてのSDGs「Be better、together/より良い未来へ、ともに進もう」も謳われている。
→以上のような平和運動が実施されたが、そもそも周知されていたのか。
<オリンピックの平和運動への懸念事項>
- 安心安全な大会とは程遠い状況。
- 開会式の平和運動は単なるパフォーマンスなのではないか。・難民選手団は、IOCの平和運動のパフォーマンスに仕立てあげられていないか。
- 平和の祭典が「単なるコロナ禍の祭典」になるのではないか。
- 招致活動から現在まで、「とにかく開催する」という独裁政治のような対応が連続して繰り返されてきた。このことは、民主主義の根幹を揺るがす、日本社会の病理構造も実は含まれているのではないか。平和への問い直しがここでさらに必要になってくる。
- オリンピックのような国家や人種が多く関わる国際的な大会においては、民主主義、平和、人権に重きを置く必要があるが、今大会はそれらを見直していかなければならない危惧すべき状況が続いている。
- 東京2020大会がどのような取り組みによって平和な世界の構築に寄与することができるのかと考えた時に、一つ目はオリンピックの理念が再確認される大会にしなければならない。二つ目は、世界の「声」(意見)を聞き、対話や議論の機会を設け、世界と「連帯」しながらオリンピックのあり方を問い続けなければならない。
- 大会後は、オリンピックの意義や価値を再検証し、パリへ繋ぐ日本の役割としても、今大会における世界の「声」を聞いて議論の機会を設けなければならないと考えている。
●建石真公子氏(法政大学)
法政大学で憲法を教え、JOAでは監事、国際ピエール・ド・クーベルタン委員会の会員、クーベルタンの国際協調、若者のスポーツを通しての国際的な繋がり、愛国主義との橋渡しという考え方に共鳴し、クーベルタンについて研究している。
「JOAハウスは何を目指すのか」
開会式が終わり・・・心穏やかにオリンピズムの実践だとはうけとめにくい開会式。
- 復興五輪のため何がなされたのか
- コロナ禍での開催の意義への疑問
- 招致運動時点からの不正の疑い
- 関係予算の使いみちを明らかにしにくい決算書類
組織委員会は決算書をウェブで公開しているが、項目が大くくりでどこにお金が渡ったのかは個人情報として明らかにしにくく検証しづらい - 一部の企業に利益がもたらされると疑われる報道
- 招致決定後から続く「関係者」の違法や人権侵害行動、過去にジェノサイドをもたらした人種差別を揶揄される言動を人が開会式のスタッフ複雑な思いで開会式を観ることになった。
この中で、JOAハウスは何を目指すのか、JOAハウスを通してオリンピズムで何が出来るかを、JOAが傘下に入るIOAを通してみていきたい。IOA(国際オリンピックアカデミー)は、クーベルタンがオリンピック教育を目的としたセンターの設立の必要性を説いていたことに基づき以下の役割で設立された。
- オリンピズムの研究、哲学、原則そして進歩し続ける現代社会においてオリンピズムの理念を実現し、応用するための手段や方法を研究する機関が必要。
- 若い人たちにオリンピックの原理や理想を教える機関。
- クーベルタンが表明したオリンピックの理想と目的から逸脱することなく、オリンピック運動を推進するためのスタッフを教育するセンター
- IOAは、1961年に最初のセッションを開始。2001年、IOAはギリシャ政府とIOCの財政支援を受けて運営上の自治権を持つ民間の法人になり、よりIOCから独立して活動できるようになった。
- IOAの理念や活動(オリンピズム)を各国に広げるNOAの設立が、サマランチ会長の下で推進。
→1978年 JOAの設立
→現在のJOAの中長期目的:「オリンピズムの普及と浸透」 - 今回のオリパラを通して、オリパラ後もJOAは何が出来るのか。
課題1:オリンピック招致と民主主義
- 東京は、オリンピックを招致することに関する国民や自治体住民の意思を問えなかったのか
→「住民投票」により、招致を断念した都市
ドイツ:ハンブルグ、ミュンヘン
スイス:ダボス、シオン
カナダ:カルガリーポーランド:クラクフ
→東京も招致決定後も時間的にはその機会は作れたのに、
都知事が市民自治を軽視?東京都も近辺4県も住民も
住民投票を要求せず。民主的な実践の成熟がなかった
のが今後の課題
→今後の招致活動に活かせるか…
大阪万博や2030年冬季五輪(札幌)は今回の課題を
そこに活かせるか。
課題2:人権―国際的な人権保障の適用を
- クーベルタンが、19世紀末に再生しようとした「近代オリンピック」
→国際主義V.S.国家主義という問題を合わせて提起することになった - オリンピックゲームを国際的に広げる
⇒各国のスポーツ連盟を愛国主義に燃やすことにも繋がる - それに対してクーベルタンは、「オリンピック国際主義」という言葉を「世界の人々の国際協調や平和な共存という理念の推進」の象徴として用いた。
→2021年の今日、国際憲章には、「平和と人権」が車の両輪とされ「すべての人に共通の人権を」、という考え方により、国際人権保障制度が設立されている。日本では、国際人権保障制度は適用が少ないという批判が多く、特に難民条約の遵守には国際的に批判。オリパラという国際的なスポーツ競技を開催するなら、国際的な人権保障制度も国際的な人々が集まることを踏まえもっと適用するべきだと考える。 - イギリス、ロシア、ブラジル、韓国―人権とオリパラに関する共同声明(2012年8月29日)
この4つの国は、オリンピックの開催国。この共同声明は、冒頭で1948年の国連の世界人権宣言の採択、世界人権宣言が、自由と正義平和の基盤として人類の全てのメンバーに対して固有の尊厳と平等で不可譲の権利を承認した内容であること、また1948年は、ロンドンのオリンピックの開催とパラリンピックを開始した年であると始められ、ロンドン、ソチ、リオ、平昌の4大会は、世界中の何十億の観客に対して世界人権宣言への認識を組織的に促進し、どの様にオリンピック憲章の原則が世界人権宣言と関連し、社会のあらゆる側面に対して同宣言を伝える事ができるかを示す貴重な機会になるとし、具体的な少女や女性のエンパワーメントや差別の禁止等をあげている。
※声明は、スポーツとジェンダー学会に翻訳して掲載 - 日本も人権宣言採択すべきかとの問いかけに、パリと共に宣言したらと提案したが、今回動きなく残念
- コロナ禍・多様性「国際的な人権保障」の遵守がオリンピック国際主義には必要
→JOAハウスの役割・・・民主主義と人権の促進=オリンピズム - 今回の大会がそうした人権と平和の促進を目的としたオリンピック国際主義を広げる大会になるように東京大会に期待している。
2.ゲスト登壇者(実践者のみなさん)
●野口亜弥氏(順天堂大学スポーツ健康科学部助教/一般社団法人S.C.P. Japan共同代表)
- スポーツとジェンダー、国内の動きだけでなく、スポーツ庁国際課と一緒に行っている国際協力活動についてお話ししたい。
- サッカー選手として、日本、アメリカ、スウェーデンでプロサッカー選手、ザンビアのスポーツを通した女子教育を行うNGO、その後スポーツ庁国際課から現職の順天堂大学スポーツ健康学部助教、国際基督教大学博士課程にも在籍、一般社団法S.C.P. Japanの共同代表といろいろやらせて頂いている。
- 今回は、スポーツにおけるジェンダー平等を促進するための日ASEANワークショップ、インドネシアにあるASEAN事務局とスポーツ庁が共同主催を行い、UN Women日本事務所とASEAN事務所が協力をし、勤務先である順天堂大学女性スポーツ研究センターが実施団体としてオンラインのワークショップを開催しようとしている。今回の背景とスポーツを通したジェンダー平等についてご紹介していきたい。
- 日ASEANのスポーツ協力は、2010年にASEAN事務局の中にスポーツ大臣が集まる政策対話枠組みが出来、2016年から5か年計画(ASESNスポーツ作業計画(1.スポーツ活動の認知向上、2.ASEAN共同体意識の強化、3.健康的な生活とレジリエンスの強化、4.競技力向上)が動いている。
- 2013年に東京大会の招致が確定してから、日本の当時の文科大臣がASEANに働きかけをして、日本とASEANのスポーツ協力を政策的に作ってきた。2017年に初めて日本とASEANのスポーツ大臣会合が開かれ、女性スポーツ、障がい者スポーツ、アンチドーピングと体育指導とコーチの育成というところで日本が積極的にASEANと協力。自身の専門がジェンダーだったこともあり女性スポーツの促進をやらせて頂いている。このワークショップ自体もその政策枠組み、政策対話で10か国と日本が合意したことを実際にオリパラ期間中に実施するというスキームでやっている。
- 実際には、オリとパラの間に4日間のワークショップを行う。中央政府と地方政府とNOCの女性スポーツの政策に関わるリーダーが集まって各国の女性とスポーツに関するアクションプランを作っていく事、各国から若い女性リーダーを選出しリーダーシップスキルをスポーツ通じての教育する事、という2つの目的でやっている。
- 日程は、2021年8月10日から8月13日、完全オンラインで実施。57名、政策関係が各国3名で30名、若い女性リーダーが各国から2名ずつ選出、ユネスコのスポーツSDGsのタスクフォース5名選抜で行う。こういうスポーツ国際協力、スポーツを通じてジェンダー平等にアプローチをしようという開発と平和のためのスポーツという大きな流れが2000年くらいからおきている。「Sports for Development and Peace :SDP」といい、自分の専門もそこになるが、2000年以降、開発課題に対して、スポーツ、身体活動、運動が、どういう風に貢献できるのかを議論している。国連が主に中心となってやっているが、IOC、FIFAも積極的に議論していて、最近は国連の動きが活発でなくなってきているが、もともとはミレニアム開発目標(MDGs)に対するスポーツの役割に対する議論から始まり、今は持続可能な開発目標(SDGs)達成に対するスポーツの役割が議論されている。
- 日本も2013年招致を確定し、2014年からスポーツ国際貢献事業としてSports for Tomorrow が始まり、その一つに開発と平和に資するスポーツの活用として積極的にやっている、このASEANもスポーツ庁国際課が主導でやっているのでSports for Tomorrowの一つとして取り組みが行われている。
- 実際にどういうジェンダー課題にスポーツが貢献できるのか、海外の文献で整理されてきて、1つ目は、女児と女性の社会包摂を目的としたスポーツ参画機会の保障である。スポーツをする権利の保障については、途上国では、女性がスポーツをするためには、安全なフィールドが確保されなければならないや、女性専用のトイレや更衣室が必要、安全面を考慮して送り迎えが必要だとか、女性がスポーツに参加できるということは、社会において女性が安全に移動でき、安全に公共の場に参加できるという環境が作られていることが必要です。まず、スポーツをする権利を保障することで、整っていく女性の社会参画への可能性があるといわれている。
- 2つ目として、スポーツで集まった女の子達に、いろいろな教育をしていく、例えば人権教育、SRHR(性と生殖に関わる権利)、リーダーシップスキルの育成、銀行の使い方、ファイナンシャルリテラシー、等のプログラムを用意している。・コミュニティの中で女性が男性同様にスポーツをする姿を通じて、女性の可能性やジェンダー規範の変革を起こしていこうという、3つ目の可能性もある。
- そういうアプローチを含めて、今回のオリパラとしても、スポーツ庁ASEAN事務局が主体となってまず女性のスポーツ参加を拡大することに政策から取り組んでいるが、スポーツを通じた開発はスポーツを通じて北側先進国と南側開発途上国の関係を強化する、新植民地主義的批判もされている。オリンピック・パラリンピック競技大会を契機にSports for Tomorrowが始まり日本のスポーツ国際協力も慎重になる必要がある。ジェンダー課題においては、スポーツ自体に男性優位主義や異性愛主義が内在しているにもかかわらず、それを活用してスポーツを通じてジェンダー平等とはどういうことだと、既存のジェンダー規範を再生産しているのではないかとの指摘もあったり、西洋のジェンダー平等を開発途上国にそのまま当てはめていいのかという議論もされていて、スポーツを通じたジェンダー課題のアプローチは、現地の女性たちが置かれている状況であったり、現地でスポーツが開発と結びついてどのように認識されているのか、もっと深く考えていかないといけないと言われている。
- 一方で、今回オリパラがきっかけで、日本がASEAN諸国と連携して国際連携ができていること自体は一歩前に進んでいることなのかなと思っている。
<参考>
S.C.P. Japan https://scpjapan.com/
スポーツにおけるジェンダー平等を促進するための日ASEANワークショップ
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000321.000021495.html
https://www.juntendo.ac.jp/athletes/asean2020/open_symposium/
●都築則彦氏(NPOおりがみ理事長、学生団体おりがみ設立者(ボランティア関連)
- 日本オリンピック・アカデミーから、はかりしれない影響を受けている。オリンピックムーブメントとボランティアのムーブメントの話しをさせて頂きたい。オリンピックボランティアというとフィールドキャストとシティキャストとが頭に浮かぶが、少し違った角度からオリンピックとボランティアを考えてみようと、話題提供をしていく。
- 「おりがみ」という団体の由来は、「オリンピック・パラリンピックを学生みんなで盛り上げよう」という頭文字をとって、「おりがみ」として2014年から活動してきている。最近、オリンピックモットーに「together」が入って、みんなで、という我々がずっと活動する上で大切に思っている事が取り上げられて、運命めいたものを感じている。メンバーは250名位いて、東京2020の公式参画プログラムを30以上プロデュースしてきて、メディアにもかなり取り上げられている。
- 今回のテーマ、東京2020大会に期待することとして、オリンピックムーブメントとボランティアムーブメントが相互作用することで、オリンピックムーブメントとして参画の幅が広がり、ボランティアムーブメントに連帯が生まれることを期待している。
- オリンピックのモットーの4つ目に「together」が入り、参画プログラム、文化プログラム、ボランティアを通してより多くの人に参加してもらおうという意図があるのは周知の事。これに対してボランティアに関して、分散した様々な活動があるが、統一したムーブメントがある。
- ボランティアには、サービスという源流とボランティアリングという2つの源流がある。人類誕生以来の地縁組織などの家族を超えた助け合いというサービス、17世紀以降の市民社会、民主主義の発展とともに自分達で社会に主体的に参加するボランティアリング。この2つが結びついてボランティアが生まれてきた。
- この2つの比率は、国と地域によって異なり、日本は、サービスという比率が強いと思うが、日本の中で十分に浸透しているのか、というのがボランティアムーブメントの中で、大きな問いになっているし、自分も大きな問題意識がある。遥か昔、市民革命の時に社会に関わる権利として、自分達の街は自分達が作っていくという流れの中で、ボランティアリングが生まれてきて、世界の中で脈々と行われてきた。
- 戦後の中で、世界の中で、中間支援組織が生まれてきた日本でもJICA等が生まれたが、ボランティア、民主主義を広げていくというムーブメントの火つけ役Alec Dicksonは、「ボランティア活動とは市民が自ら自由意志を持って主体的に社会に参画し、非営利活動によって社会を創造し変革するための、すべての人に保障された基本的権利だ」と強調。何か社会的な事象があった時に、ただ見るだけではなくて参加して作っていくのがボランティアのムーブメントである。それがオリンピックムーブメントとどの様に関わってくるのかがすごく重要だと考えている。日本では残念ながら、サービスとしての文脈が強く、教育と福祉を中心にボランティアが推進され、ボランティアの構造が狭い範囲に留まり、さらには教育・福祉を閉じた業界にしているのではないか。
- こういう中で、「おりがみ」という団体は、オリンピックからスタートして、オリンピックにたくさん参加していくというという活動をしてきたが、オリンピックという社会的なものに対して、人々が参加していく、偉い人だけではなく、自分達のものとしてオリンピックを見ていこうという事で、オリンピックムーブメントとボランティアムーブメントの2つのムーブメントを接近させる役割があったと思っている。
- 「おりがみ」の活動の中では、オリンピックの参画プログラムになったもの、TTF(TokyoTokyoフェスティバル)になったものもあるが、今日はその中から、「EARTH LIGHT PROJECT」を紹介する。
- 「CAMPFIRE」というクラウドファンディングの「チャレンジカテゴリー」で歴代3位の10,594,566円を調達し実施したプロジェクト。このプログラムの原点が2016年12月11日の第39回JOAセッション「聖火とは何か。」に参加したこと。
- 「おりがみ」を立ち上げ、どういう事をやれば意義があるかを議論していた時期。その中で、JOAセッションで聖火についての話しを聞いた。北京オリンピックと2020東京オリンピックの聖火リレーのルートを比べ、「聖火は昔、世界を廻っていた。国境を超えて炎を届ける事に平和の理念があるという事、それが民族の分断を背景にした妨害運動によって、現在は出来なくなってしまった」という話を聞き、世界の聖火リレーが復活することは現実的に難しい中で、これをもし市民活動の中で世界の若者が連携してオリンピックの時期にあわせて取り戻すことができたら非公式だとしても面白いのではないかと学生たちが思いついた。本当に世界を廻るのは難しいが、宇宙はどうなのかと。「宇宙からは国境線は見えなかった」という宇宙飛行士の毛利衛さんの言葉だが、世界を、国境を越えて持っていくことは難しくても国境のない世界に炎を届けることは出来るのではないかという事で、スペースバルーンという宇宙を撮影する技術があり、打ち上げている学生団体はあるので、連携して、聖火リレーのタイミングで、炎と地球と宇宙という映像を撮影し、聖火が本当に込めたかった意味を学生が発信することができるのではないかと「EARTH LIGHT PROJECT」を作った。
- コロナ禍で夢不足になった学生団体に声をかけ、30団体245名でプロジェクトの実現を目指し、宇宙飛行士、オリンピアン、パランピアンの方々から応援メッセージを頂いて、このプロジェクトを実施した。2021年6月26日に打ち上げを行った。全て学生が開発した技術で、成層圏で燃焼器に炎を灯し、撮影して世界中に配信していく予定だったが、トラブルで炎が付かず9月にリベンジをする予定。
- この炎が付く瞬間を撮影して世界中に映像配信し、政治的、歴史的な違いがたくさんあり、人と人がなかなか分かり合う事が出来ないが、この炎が付く瞬間だけ、世界の平和とか共に生きていく社会とかを願うことは出来る、気持ちを1つにすることは出来る。オリンピックの過去のプログラムを見ながらインスピレーションを受けている部分もあるが、そういう瞬間を世界中の人たちと共有しようというプログラムを提案して実施してきた。
- オリンピックをただ見るだけじゃなくてどう解釈してどう行動していくのか、そういう社会事象を自分のものとして捉えてそこにアプローチをしていくという民主主義、ボランティアの流れを汲んで、オリンピックの参画の幅が広がり、ボランティアの最後には連帯し、社会問題ごとに分断されたいろんな夢が、1つに繋がり、共に生きていく社会に繋がっていく。そういう事が出来たら良いというのが「おりがみ」の活動となる。
<参考>
「おりがみ」 https://origami-tokyo.com/
EARTH LIGHT PROJECT https://earth-light-project.com/
●杉山文野氏(JOC理事:プライドハウス東京)
スポーツ界の多様性を考える ~LGBTの視点から~
- 先ず自己紹介、杉山文野(すぎやまふみの)1981年8月10日39歳、LGBTQのパレード運営を行うNPO法人東京レインボープライドの責任者。今年の6月から日本フェンシング協会とJOCの理事。元フェンシングの女子日本代表で、生まれた時は杉山家の次女として生まれた。幼小中高と日本女子大学の付属校に通ってルーズソックスを履きセーラー服を着て学校に通っていた。この時期から自分の身体に対する強い違和感があって、幼心にそう言った事は人には言ってはいけないのだろうなと誰にも言えずに幼少期を過ごしたという経験、いわゆるトランスジェンダー。
- LGBTQという言葉自体は、性的マイノリティの総称として聞きなれてきていると思うが、まだ身近に感じられないかなと思うのがトランスジェンダー。生まれた時に割り当てられた性にとらわれないで、性を超えて生きる人、みんながみんな、手術をするというわけではなくて、手術をしなくてはという人も、手術しなくてもいいかなという人も含む幅の広い言葉。
- その中でも特に性別違和が強い場合に日本では「性同一障害」という疾患名をつけることがあるが、グローバルでは障害でもなんでもない、1つの生き方。ただ医療的サポートは必要ということで、WHOの精神疾患分類からも正式に外れ、現在では性の健康というところに分類。日本でも遅かれ早かれ、性同一性障害という言葉は無くなる方向ではある。日本では2004年から性同一性障害特例法という法律がスタートして、5つの条件を満たすと戸籍上の性別の変更が出来、現在まで約1万人の方が戸籍上の性別の変更をされている。ただ戸籍変更の条件が非常に厳しく、戸籍を変更したかったら、手術をして生殖機能を取り除くよう定められている。法律で生殖機能を切れとは、野蛮な法律、人権侵害以外何物でもないと世界から非難を浴びている。自分自身は乳房切除とホルモン投与はしているが、子宮と卵巣の摘出はしていないので、この条件に当てはまらず、書類上の全ての表記はフィーメール、女性となっている。
- 私がJOCの理事になった時に、男性理事なのか女性理事なのかが話題になったが、自分は男性で扱ってほしいが、結局書類上は女性であるため、日本フェンシング協会も法人の役員なので、住民票の提出が必要となり、JOCからIOCへのアクレディテーションカードの情報も、基本パスポートの情報となった。日本の法律が変わらない限り、どうしてもこういうトラブルになってしまい、コミュニケーションが上手くいかなかったという事で話題になってしまった。
- 「性のあり方は、目に見えない」。これがLGBTQを考える上で1つのキーワードと思っている。性のあり方は自己申告制で、言わないと分からない。・現代の日本社会に育った私たちというのは、相手を見たら必ず異性愛者であるという大前提で会話がスタートしている。ここに1つの課題があるのではないか。そういった方に会った事がないな、という人は、会ったことがないのではなくて気付かなかっただけ、そこにはいないのではなくて、言えないという現実がある。
- 自分の幼い頃の写真を見ても、女の子だった時期が一度もなく、スカートを履いた写真では、この世の終わりみたいな顔している。幼稚園の入園式の時には、親にスカートを履かされ、嫌だと泣いて逃げていた。
- 一番しんどかったのは、中学生から高校生にかけて、いわゆる二次性徴というのが始まって、身体は順調に女の子として成長していく一方で気持ちはだんだんと男性としての自我が強くなってきた。まさに引き裂かれるという様な簡単な言葉では済まされない心理状況。自分だけが頭がおかしいのでは、こんなに頭がおかしいのはこの世に一人だけなのでは、と根拠のない罪悪感で自分を責め続ける様な毎日だった。
- この時期、何が辛いのかというとロールモデルがいない、LGBTQである事をオープンにしながら社会生活を送る大人は殆ど目に見えないので自分がどうやって大人になっていいのか分からない。この時期、自分が女性として年を重ねていく未来が全く想像もつかなかった。かといって男性として暮らしていく選択肢があることも知らなかったので、自分は大人になれないのではないか、大人になる前に死んでしまうのではないか、どうせ死ぬなら早く死にたいと、そんな事ばかりを考える学生生活だった。
- 今となっては、「早く言ってくれれば良かったのに」「そんなの全然気にしなくていいのに」「俺は気にしないよ」と、そう言ってくれる気持ちは嬉しいが、男性同士のスキンシップがあったら、なんだ、お前「おかまか?」と、そんな会話が当たり前の様に笑いのネタになっていた。特に自分が小さい時には、テレビ番組でも揶揄するキャラが大変流行っている時だった。当事者からすると、家族や学校でもその番組の話題になり、もし本当の事を言って、いじめられたらどうしよう、居場所がなくなったらどうしようと、やっぱり怖くて言う事は出来なくて、むしろ自分も一緒になって、「きもーい」と笑い飛ばしたりして、何とか自分がバレないようにビクビクして過ごすという学生生活だった。外に出ると明るい先輩というのを気取りながら家に帰って泣いているという二重生活も長かった。
- スポーツは小さい頃から好きだったが、水泳は、水着がどうしても嫌で辞め、バレエは、レオタードが嫌で辞めた。バレーボールも好きだったがブルマーは履けない、テニスもスカート履くのは嫌、剣道は、女の子だけ赤胴に白袴というチームが嫌で辞めてしまった。フェンシングは、男女のユニフォームに差がなかった。これがフェンシングが続いた唯一の理由だった。
- フェンシングという競技自体は凄く魅力的で本当に楽しく打ち込んでいたが一方でフェンシング界に自分の居場所が無いように感じていた。当たり前の様に、おかま、ホモという言葉が飛び交う様な世界で、自分の身体の変化も出てきて、自分でも僕って思っているのに女子の種目で出ているっていうのが自分でもしっくりこないし、自分のセクシャリティがばれたら、フェンシング界で自分の居場所がなくなってしまうのではないかと怖くて言えず、引退してからカミングアウトした。
- 自分だけではなく、強かった先輩が、当時フェンシングが一番強かった大学に進学したが、すぐにフェンシング界から居なくなってしまった。何年もしてからその先輩と飲み会したら、彼はゲイだった。スポーツ界、男子のチームでは、男社会で女の子の話しをしたりとか、一緒に女性がサービスするようなお店に行ったり、合コンしたり、そういった事がチームビルディングに使われる様な、ホモソーシャルな世界で、自分がホモソーシャルである、マイノリティであるという事はなかなか言えず結局辞めてしまった。
- その先輩の同期の別の先輩とお会いした時、開口一番、「あいつオカマなんだろう、大事な時にチーム辞めるから俺たち本当大変だったんだよ」と。これには僕も非常に残念な思いになった。片やフェンシングを好きで強くて続けたかったけれど居場所を感じられなかった選手、片や知らないが故に仲間、大事なチームメイトを辞めさせてしまった先輩、日本のスポーツ界は数えきれないほど、こういった事が起こっているのではと思った。
- 当事者が何故カミングアウトできないのかというと、一番にはこれまで応援してくれたファンや家族を裏切る行為になるのではないかという不安。ホモ、オカマという言葉が飛び交う中で、ばれたら居場所がなくなるのではないか、協会の関係者に受け入れてもらえなかったら、代表に選ばれないかも、チームに理解がなくなったらパスが回ってこなくなるのではないか、シャワーや更衣室を一緒に使うと、自分にそんなつもりはなくても、見られているのではないか、そういった疑いをかけられたらどうしようといった様々な不安があって言えないという事。・なかなか日本では見ないが世界を見ると、特に今年のオリンピックでは、180名以上の方がカミングアウトされているという事だった。ロンドンの大会23名、リオの大会では56名と、5年で3倍以上ということがスポーツ界の変化を表している数字かもしれないが日本のアスリートでいうと、ほぼ0だ。今回の180数名の中に日本人はまだ含まれていないということで、それはいないのではなくて、日本のスポーツ界の現状がまだ言えないという事ではないかと思う。
- ここで大事なキーワードは、心理的安全性。もともと職場で心理的安全性が担保されているとチームとしても個人としてもパフォーマンス発揮し易いと、グーグルが出したデータで話題になった。日本のスポーツ界全体でどれ位心理的安全性が担保されているのか、決してLGBTQだけではなくて、様々なハラスメントも含めて、自分がこんなことをやったり、こんなことを言ったりすると殴られるのではないかとか、チームに居場所がなくなってしまうのでないかと、そういった不安がある限りは思い切りプレーが出来ないと思う。これはネガティブな話しというよりポジティブな話しで、それだけ日本のスポーツ界には発揮できていない力が眠っている、これがもっと心理的安全性が高まっていくと個人としてもチームとしても、チームジャパンとしてもっと活躍できるポテンシャルがあると思っている。
- 特に今年話題になったのがトランスジェンダーのアスリート、2015年からトランスジェンダー選手の参加条件の規定が変わって、手術がなくても参加できるようになった。特に女性から男性に性別移行した人はほぼ無制限、男性から女性に移行した人、テストステロン値を下回る等、ある一定の条件を満たすと参加できるという事だが、これによって参加できたのが、重量挙げのローレル・ハバード選手。トランスジェンダーであると公表しオリンピックに出場するが、ここで様々な議論が巻き起こっている。元男性が女性の競技に出るのは不公平なのではないかと大きな批判を浴びているが、何よりも一番大事なのが、スポーツ基本法にも、オリンピック憲章にも「全てのあらゆる差別の禁止と全ての人にスポーツの機会が確保されなければいけない」そういった大元のルールがあるわけなので、ある一定の属性の人だけがスポーツ界から排除される様なことがあってはならない。
- 人権の観点と競技における公平性をどういう風に担保していくのか、様々な議論があるが大事なのは、このIOCが決めた規定をより合理的により多くの方が納得できるようなルールにアップデートしていく建設的な批判は大事だが、少なからず今回出場決めている選手は、今のルールを守って出場しているので、その選手に対して、あいつは卑怯なんじゃないかという個人的な批判をするというのはあってはならないと思っている。・今大会に期待するとうことでいうと、多様性と調和という素晴らしいコンセプトを掲げている。これが言葉だけに終わらないのかどうなのかというところかなと思っている。このテーマを掲げたからこそ、どれだけ日本に多様性が尊重されてなかったのかという現実があぶりだされた。だからこそ何ができるのかという事をしっかりと考えていく事が大事だと思う。
- そんな中で、私たちは、「プライドハウス東京レガシー」というプロジェクトを行っている。2010年にバンクーバーで、スポーツの大きな大会に合わせて、保守的といわれるスポーツ界に対してLGBTQの人たちが安全安心に過ごせる場所を作っていこう、情報発信をしていこうという事でスタートしたもの。これまでも「プライドハウス」のプロジェクトは世界中で行われているがオリンピックの公認プログラムになったのは日本が世界で初めて。新宿御苑に常設で「プライドハウス東京レガシー」が出来たので、是非皆さんもお立ち寄り頂ければと思う。橋本聖子会長とも意見交換し、バッハ会長からも応援のメッセージを頂いている。無料でダウンロードできる冊子、トランスジェンダーの議論に関して考えをまとめたもの、「プライドハウス」からの声明もあるので、公式サイトでご覧頂ければと思う。
<参考>
プライドハウス東京レガシー https://pridehouse.jp/
Part Ⅱ:18:00~18:30
写真展「平和への道」紹介 高田トシアキ氏(写真家)
- 髙田静雄というオリンピアンが私の祖父になります。祖父が残したネガをここ数年整理し、今回写真展を開かせて頂きました。自分は広島で写真の事務所をしており、撮影や写真展の企画もしている。ネガの整理になったきっかけは、祖父がベルリンオリンピックから帰った翌年に撮られた1枚の写真。1940年の東京オリンピックのグッズと思われる浮き輪を持って少女と友達が写ったもの。この写真を見つけたのが今回の東京招致が決まった頃、これをきっかけに調べていくと、静雄がベルリンに行った時のネガが出てきた。当時のベルリンの街並みが写っており、タイムマシンに乗った気持ちでネガをまとめることができた。このネガを見つけたのが2016年暮れから2017年、静雄が「これをまとめたら」、と言葉で言われた様なネガの見つかり方をした。
- 2018年にキャノンギャラリーで、「もう一つのオリンピック」として彼が出場したベルリン大会、後に関連するローマ大会の事も含めて発表した。・ベルリン大会当時の選手には、カメラが配給され、選手が写真を撮る企画があったらしく、目黒出版というところから写真集で出ていて、その写真のネガの断片が見つかった。ベルリンオリンピックの次のパリでの親睦試合の写真に当時の世界記録を持っていたトーランス選手と一緒に写っている写真がある。髙田静雄は、明治42年3月生まれ、173センチ、105キロの体型でした。日本では結構大きくて、小さい時は柔道、その後相撲部屋からもスカウトに来たが、次に転身したのが砲丸投げで、3度の日本記録を打ち立て、戦争を挟んで24年間日本記録を持っていたが、体格も含め、世界とは大きな差があった。静雄は、ベルリン大会等で世界との差を感じ、夢破れて帰国し翌年に引退した。
- 引退後に写真を習っていて、家族の写真、戦前の広島の写真がたくさん残っている。戦前の広島の写真は、原爆で焼けてしまったのと、軍都で風景が撮れなかったという事で珍しいもの。静雄が、写真の勉強をしていたので、自分が写真をセレクトする時も楽だった。オリンピックに出た時の記念や、日本記録を出した時のトロフィーの写真も今回の写真展に飾らせてもらっている。
- 原爆が落ちた時には、今の中国配電社、今の中国電力に努めていて、そこで被爆した。中国配電社は、爆心地から680メートルの至近距離、彼は8時位に職場が一仕事終える頃、同僚にコーヒーでも飲みに行こうかと言われたが、静雄はたまたま仕事が残っていて助かった。爆風がすごく、左の肩とアキレス腱を痛めて、身体の左の方を壊してしまった。娘は、建物疎開の作業に行く時に原爆を受け、二週間後に亡くなった。長男は、小学校への登校中に被爆し、後ろを向いていたため背中の方を火傷した。家族も被爆し本人も人事不省で寝込んでいる時代があった。彼が9年間寝たきりから、たまたま見た写真雑誌から、昔やっていた写真を、また長男と共に始め、原爆慰霊碑等での写真を撮った。原爆ドームにも当時入れたので、そこにいる野良犬や祈る人を撮影。昭和33年には原爆慰霊碑の名簿を8月6日に見ている写真を撮った。自分の娘の名前も名簿に見つけに行き写真も撮ったが、作品にはしていない。彼は悲しかった事は沢山あるが、出来るだけ前を向こうとする性格だった。
- この1年前に今回の写真展のタイトルとなった「平和への道」という写真を撮った。平和記念公園にアメリカのご夫妻がたまたま来られていて、モデルを頼んだ。昭和32年というとまだアメリカは敵国という人もいた時代だったが、彼は、これからは一緒に次の道を歩んで行かないといけないという事で、お二人に一歩前に出るポーズを取る様にお願いをした。「悪いのは人間ではない、戦争とか原爆が悪く、人間同士は助け合わないといけない」という概念が彼の中にあった。本人もベルリンに行き、海外の人とも仲の良い人もいて、海外の人が嫌いではなかったというところもあったと思う。この写真が6月1日の写真の日コンテストで通った。東京の
入入選者の展示にこの写真が飾られ、たまたまモデルの夫妻が東京でこの写真を見て、主催の日本写真協会を通して、髙田静雄に焼き増しを頼んだ。協会も「この写真を撮った事も、次の一歩を踏み出す事だったが、たまたまこの写真をモデルの夫妻が見つけてくれた事自体、写真を夫妻が住むイリノイ州に送った事自体が平和への道だった」と記事にしてくれた。 - 「平和への道」が良い写真ということで、大好きな先輩で、心配してお見舞いに来てくれていた三段跳びの大島鎌吉さんに陸上競技マガジンに「競技の心」という40回の連載をもらった。寝込んでいたこともあってよくいわれるスポーツ写真は撮っていない。平和、希望というテーマで写真を撮った。彼がスポーツマンだからこそ撮れる写真が40カット連載された。写真として洗練された写真、スポーツの間のちょっとしたひととき、子供の食事風景や、女の子が笑いながら準備運動をする姿も撮影し、そういう姿が当時の希望でもあった。この中でも、けがをした選手が他校の選手に助けられる場面の写真が「スポーツマンシップ」という作品となり、「陸上競技に敵はいない。負傷した相手に肩を貸す心、相手に肩を借りる心、これが陸上競技の真の精神であり、スポーツマンシップなのであろう」という言葉を残している。彼は、痛むことも知っているし、助けることも知っている。痛む人は遠慮もあるかもしれないが肩を借りる事自体も大事な事なんだという事も一緒に話している。これは「平和への道」にも繋がっている。
- 40回の連載の中で、「準備運動」というタイトルの写真は、ローマオリンピックの芸術祭に通った写真で、日本で10人程の写真家が通り、芸術祭を飾ったが、アマチュアカメラマンとしては、彼が一人だけだった。彼は、身体も壊し、家業もあって職業カメラマンにはなれなかったが、アマチュアとして頑張った。スポーツの時もそうだが、アマチュアというところに誇りも持っていた。この完成度の高い写真が通り、とても喜んでいた。これで、ベルリン、ローマと違う形でオリンピックに参加した。彼は、未来とか明るさというストーリーでたくさん写真を撮っているが、寝たきりの時間も長かったがあそこに行けば、これが撮れると考察して支度して撮影に行っていた。錦帯橋で撮影した「傘」という写真は、世界を一周して、ドイツの写真雑誌にも掲載されて帰ってきた。彼は、自分がベルリンに行き、世界を半周し、写真も世界を一周したという誇りもあった。彼は昭和38年の12月10日に亡くなったが、翌昭和39年には東京オリンピックが決まっていたので、行けるものなら行きたかったと思う。寝たきりでほぼ動けなかったが望遠レンズを買っている。もしも行けたらと思っていたが他界した。息子の敏がその望遠レンズで翌年の広島の聖火ランナーを撮った。(この2枚の聖火ランナーの写真を一昨年カラー化し編集しなおして、東京の写真美術館に飾られるところまでこぎつけたがコロナで飾られなかった。)
- 昭和39年東京大会の開会式に敏に大島鎌吉氏より招待があった。開会式に静雄の遺影を持って行って良いかとの問いに、大島鎌吉が手紙を送ってくれた。大島氏は当時、毎日新聞の記者で、東京オリンピックの団長でもあったが、手紙は、織田幹夫氏とも相談し、遺影を持ってスタンドにいるのは大時代的で、それが新聞種になるのはどうだろうかという事で、織田氏か大島氏が遺影を懐に入れて入場したらどうか、その方がスポーツの友情の真実でしかも慎ましい姿の様に思われる、との返信であり、昭和39年の東京オリンピックの開会式には、髙田静雄の遺影を懐に入れて、大島氏が入場してくれた。これで髙田静雄は、3回目のオリンピック出場を果たしたという風になる。
- 敏の撮った開会式の写真。祖父髙田静雄が3回のオリンピックに出たという写真展を2018年に東京キャノンギャラリーで開催し、それを広島で里帰りさせて今夏の写真展が出来、今日の発表になった。
- 8月9日にNHKラジオで、「被爆オリンピアンの遺したメッセージ」として番組化され、髙田静雄の事がラジオドラマとして放送される。戦没オリンピアンについては、もともと大島鎌吉氏が調べられており、その後に広島大学の曽根幹子先生により調査されており、髙田静雄の事も戦没オリンピアンという事で調査が進められている。
<参考>
髙田静雄展「平和への道」―オリンピアンの心と写真家の眼― http://www.izumi-museum.jp/exhibition/exh21_0626.html
8月9日NHKラジオ第一「スポーツの力は分断を超えるか」髙田静雄の物語がラジオドラマ化。原爆の日ラジオ特集「被爆オリンピアンの遺したメッセージ」
https://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/hibakuolympian/index.html
NHKWORLD
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/id/news/backstories/1735/
Part Ⅲ:18:30~19:00
クロストーク「東京2020大会に期待すること/期待すべきこと」
吹浦JOA会員より、開会式への現場立ち合いの模様、今回の大会開催まで、運営に関わる中での感想が話題提供された。
舛本実行委員長
大切なことは、日本人選手の動向に一喜一憂するメディアの報道をさておいて、こういう事態の中でもオリンピックのあり方を考えるとともに、「スポーツは社会を写す鏡」といわれるように、オリンピックを通して平和とか人権とか民主主義とか様々な社会の在り様を、日本社会全体を考え直す、そういう契機になればと思う。実はこの視聴者のなかには、建石先生の話された人権コミュニケを東京でもレガシーとして引き継ぎたいという形で努力されているJOAの会員もいる。それぞれが出来ることをしながら、良い社会を作っていく、良い国際社会を目指していく活動をしていくということを今回のオンラインイベントで出来ればと思う。8/9のクロージングイベントでも、また言いたい事を言い合って、JOAのムーブメントに引き継ぎたいと思う。
飯塚俊哉コーディネーターによる総括コメント
「バーチャルJOAハウス」のオープニングフォーラムという事で、東京2020大会へ期待すること、期待すべきことというテーマの中で、会員、ゲストの方々から様々な立場、視点による、多様な意見、話題提供があり、東京2020大会を見ていく上で、貴重な学びの場となった。今後の大会、スポーツの動向、オリンピズムを考察していく中でも、参考になるフォーラムとなったと考える。
(文責 飯塚俊哉)
クロージング:JOA舛本副会長
主催:NPO日本オリンピックアカデミー(JOA)
https://olympic-academy.jp/