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特別レクチャー報告

2021年8月2日(月)17:00-19:00

テーマ:2012年ロンドン大会のレガシーとしての“Get Set”
コーディネーター:本間恵子(JOA会員)
講師:Vassil Girginov(ワシル・ギルギノフ)

特別レクチャー

参加者23名(最大時)
 参加申込み者数:国内25名、海外38名)

概要:

2012年ロンドン大会の教育プログラム「Get Set(ゲットセット)」について、スポーツマネジメントやオリンピックレガシー研究で多数の著作を発表しているVassil Girginov(ワシル・ギルギノフ)先生に講義していただきました。大会招致の公約を実現するために2008年に開始したGet Setプログラムは現在も継続し、ロンドン大会以降も夏季大会・冬季大会で活用されています。オンラインを活用したGet Setについて、プログラム開始の背景から現在に至るまでの流れ、プログラムの成果と課題、評価、レガシーについてお話いただきました。質疑応答では、英国・台湾・日本の研究者から活発な質問が寄せられました。主な講義内容を以下にまとめましたので、ご参考にしていただければ幸いです。

プログラム:

  1. JOA House実行委員長の舛本直文先生の開会ご挨拶
  2. Vassil Girginov(ワシル・ギルギノフ)先生のレクチャー
  3. 質疑応答
  4. JOA House実行委員長の舛本直文先生の閉会ご挨拶

主な講義内容:

●Get Set開始の背景

  • 学校向けの教育プログラムは、1988年カルガリー大会の時に開発されたのが最初である。
  • 英国では、ロンドン2012招致の前に3回、バーミンガムやマンチェスターがオリンピック招致に失敗していた。招致成功の可能性があるのは唯一ロンドンであるとし、世界やIOCに何を貢献できるか示す必要があった。
  • ロンドン2012招致委員会会長のセバスチャン・コー氏は、大会招致にあたって若い世代にインスピレーションを与えることを2005年のIOCセッションで約束し、ロンドン開催が価値あることを訴えた。この公約を実現するものとして、2008年の北京大会直後にGet Setプログラムを開始した。

●Get Setとは

  • ロンドン2012の公式教育プログラム。学校教育を通してオリンピック・パラリンピックの価値を提供する。
  • ロンドン組織委員会(LOCOG)がオンラインプラットフォームでリソースやサポートを提供し、プログラムの具体的な計画・実施は学校主体で推進された。
  • Get Setは、①ネットワークに加入する機会を学校に提供(加入により学校は特典を得られる)、②海外の学校・チームとの交流による国際性推進(2011年9月開始)、③プログラムを補完するために民間企業やボランティア等がネットワークに参画、という3つの特長があった。
  • Get Setの目的は、全ての若者にオリンピック・パラリンピックの価値を学び実践する機会を提供すること。また、大会を学びや参画の機会として活用し、代表選手団への応援を高めること。具体的な内容は、各学校に委ねられていた。

●Get Setの内容

  • Get Setは、リソース、ネットワーク、パートナーの3つの要素から成る。プログラムを超えたオリンピック教育ムーブメントを作る初の取組だった。
  • リソース:ガイドライン等の先生向けのリソースや、生徒の年齢別に開発されたリソースを提供。
  • ネットワーク:全国的な学校ネットワークを構築し、学校間で経験を共有。ネットワークに参加すると特典が得られる。
  • パートナー:組織委員会は民間組織で8年間という限定的な組織であるため、民間や公的機関と連携してプログラムを支援。
  • オリンピックの価値を推進するための戦略を立て、オンラインプラットフォームを活用し、パートナーと一緒に推進するという構造。英国政府のほか、中央競技団体(NGB)や企業からも支援があった。個人・団体もコミュニティを作った。
  • Get Setのサイトでは数多くのリソースが提供されている。対象年齢に合わせたリソースや教科に合わせたリソースもある。リソースの使い方や指導方法も提供している。
Get Set ウェブサイト

●Get Setの評価

  • 評価はこれまでに3回行われた(2011年、2013年、2016年)。直近の評価はリオ大会後の2016年に実施。東京大会後も評価を行う予定。
  • 2011年の評価はマーケティングリサーチ会社のニールセンが実施した。地域別に見た普及率データでは、ロンドンから遠いほど普及率が低い(登録機関数が少ない)ことが明らかになった。興味・関心の度合いや参加率も同様の結果だった。これらの評価は興味深い内容ではあったが、必ずしも包括的なものではなかった。
  • Get Setへの公的投資は、2008年から安定的に行われ、最終的には250万ポンドに上った。民間からの投資は明らかになっていないが、公的投資に比べて少額だった。英国の金メダルコスト(公的資金の投資額)は、リオ大会で1,000万ポンドと言われているので、Get Setへの投資額の5倍に相当する。

●Get Setのインパクト

  • 英国のイングランド地域では26,000以上の教育機関がGet Setに参画。全国では85%の教育機関が参画した。
  • 50%以上の先生がGet Setによって生徒の行動や成績に良いインパクトがあったと回答。生徒の自信や向上心につながったとしている。
  • 約半数の学校はインパクトがあったと回答した一方、残りの半数はそれほどインパクトはなかったと回答。
  • 成績や行動は目に見える形(tangible)で測ることができるが、目に見えない・形のないもの(intangible)である学習意欲やエンゲージメント、自信、向上心は感覚的・主観的であり、測るのが難しい。

●Get Setの課題

  • カリキュラムに組み込むか課外活動とするか:カリキュラムに組み込むと社会的ムーブメントが学校内に限定されたり、校長の熱意が影響するという問題がある。一方、課外活動の場合は、地域パートナーに参加してもらうのが難しいなど実施上の課題があった。
  • リソースの欠如:リソースが十分ありコーディネーターを配置できた学校もあったが、多くの学校ではリソースが足りず追加業務となった。また、Get Setパートナーが開発したリソースの中には、オリンピックの価値とは無関係なものもあった。例えば、BT(British Telecom、英国最大の通信会社)が開発したビジネスチャレンジはビジネスプランを立案するもので、スポーツやオリンピズムやオリンピックの価値とは無関係だった。学校のキャパシティビルディングに欠けていたことは、このプログラムの明らかな弱点といえる。
  • インセンティブ:Get Setネットワークに登録した学校は、無料の観戦チケットを受け取ることができた。2011年調査では、無料チケットをもらえるからGet Setに参加したという学校が57%あった。一般の人は抽選に当たらないと観戦できなかったため、無料チケットのインセンティブは大きかったが、オリンピックの価値教育との交換という点で課題。
  • ネットワーク:他国の文化や選手等について学ぶネットワークを構築したが、海外の学校との連携に成功したのは、Get Setネットワークに参加した26,000校以上のうち200校だけで、全体の1%にとどまった。クーベルタン男爵は国際性や多文化主義を推進したが、Get Setにおける国際性推進は限定的だった。
  • エンゲージメント(参画):Get Setは大会への参画を高めることはできた。しかし、参画は学びのために必要な条件ではあっても、学びそのものではない。

●Get Setのレガシー

  • Get Setは10年経った現在も継続し、積極的に活動している。ロンドン2012以降、夏季大会でも冬季大会でも活用されてきた。
  • 2016年の調査では、先生たちの多くがプログラムを高評価。生徒のやる気や学習意欲、成績、チームワークなどにつながったと回答。生徒自身も、新たなスキルを身につけた、達成意欲が高まった、障がい者への理解が深まったと多くが回答した。
  • 東京2020開催後もプログラムの評価を行っていく予定。

【質疑応答】

Q:オリンピック教育の定義とは何か。スポーツを通じた教育なのか。Get Setと身体活動・スポーツとの関係はどのようなものなのか。

A:Get Setにはスポーツ関連の活動や、スポーツ・身体活動を実施するものもある。例えば、身体を動かすチャレンジや目標を立てるものもある。Get Setに関する学術的評価では、半分以上が身体活動に関するものであることが明らかになっている。

Q:IOCのOVEP(Olympic Values Education Programme)との関係は?

A:自分が知る限り、Get SetはOVEPが公式発表される前に開始したプログラムであり、直接的な関係はない。内容的には近いものもある。OVEPのほうが洗練され包括的である。

Q:オリンピック教育を進めていくために、Get Setのキャパシティビルディングは今後改善していくか。

A:リソースが限られているため難しい。大会までは教育省が投資をすることになっていたが、今はそのような投資はない。殆どの校長先生にとって、オリンピック教育プログラムは優先順位が低い。過去10年でプログラムは発展し、リソースも提供してきたが、プログラムが日常的に学校で行われるかどうかは校長先生や学校の熱意によって異なる。Get Setは自発的な任意のプログラムである。プログラムに参加する人が解釈して実行する。どんなに素晴らしいプログラムでも実施されなければ成功しない。

Q:2012年の前にあったBritish Olympic Academyは今も存在しているのか。

A:現在は存在していない。British Olympic Association(NOC)はアカデミーに投資できないと判断した。

Q:Get Setは、ロンドン2012パラの成功にどう貢献したか?チャンネル4によるプロモーションとの関係は?

A:パラ大会の成功として、障がい者への理解が深まったというエビデンスがある。障がい者への見方を変えた点で、チャンネル4のプロモーションによるインパクトが大きかった。包括的なアプローチで継続的にドキュメンタリーやニュースストーリーで取り上げ、テレビ業界で最も有名な賞ももらった。しかし、大会終了1年後にチャンネル4が障がい者に取材したところ、大会前から状況は改善していないことがわかった。

Q:Get Setの教育内容に平和希求といったコンテンツは含まれていたか。

A:サイトを見ると、現在の主な焦点はアクティブなライフスタイルや身体活動の推進である。平和は言及されているが、メインの焦点にはなっていない。選手応援や身体活動、友人との活動など様々な活動がある。

Q:民間の調査機関が行った2011年の評価は包括的ではなかったとのこと。今後、評価主体はどのような組織が担うべきか。

A:調査機関の評価・結果・努力を過小評価してはいけないが、採用した手法は包括的ではなかったと考えている。想定していた結果が得られるような形式になっていたことが問題。独立した立場としているが、現実的にはスポンサーの1社であり、利益相反が起きる可能性があった。理想的には、研究者を含む独立機関が評価を行うべきである。

本イベントにご参加された皆様に心より感謝申し上げます。
また、このような機会をいただき、ありがとうございました。

【総括&編集後記】

 英国ロンドン2012招致をきっかけに始まった教育プログラム「Get Set」は、青少年の教育・意識・行動に一定の効果があったとする評価がある一方で課題もあった。例えば、時限的な民間組織である組織委員会が教育リソースを提供し、Get Setに参画した学校の自主性にプログラム実施が委ねられていたことから、後継組織の検討や学校内の実施体制等のガバナンスの問題、事業資金・デリバリー人材確保等のリソースの問題、客観的な評価の在り方等があげられた。Get Set開始当初の2008年は、IOCが国際的なオリンピックの価値教育OVEPを一部の地域で試験的に展開していた時期であり、ロンドン2012組織委員会は独自の教育プログラムを展開していた。しかし、現在Get Setが提供している取組を見ると、IOCのOVEPページに記載されているような国際課題解決に向けた活動もあり、国内外の動向を踏まえてプログラムが変化してきたことがうかがえる。

 日本でも東京2020の招致によってオリンピック・パラリンピック教育が加速した。IOCとの開催都市契約では、オリンピアード期間中にオリンピック教育を全国で実施することが求められている。東京大会は第32回近代オリンピアードに含まれ、その期間は2023年12月末までの4年間である。新型コロナウイルスの感染拡大対策に世界各国が取り組む状況下、国内でも中止や再延期を求める声が高まる中での異例の開催となった東京2020。開催意義や大会運営の在り方、オリンピック・パラリンピックの価値ひいてはスポーツの価値も問われた。選手の活躍やテレビ観戦での感動を一過性にしないためにも、こうした問いを共に考え続けていくことが重要ではないか。オリンピアードをつないだ開催国としての責任は、大会後も続く。

(文責 本間恵子)

主催:NPO日本オリンピックアカデミー(JOA)
    https://olympic-academy.jp/