バンクーバー・ウィスラーのオリンピックレガシーの旅(2017年9月5日-11日)
執筆:舛本直文(首都大学東京特任教授/JOA副会長)
9月5日(火)
夜21:50羽田発ANA便のバンクーバー行きで旅立つ。バンクーバーの空港でウィスラーへのシャトルバスでは、カーディフで世話になったIAPSメンバーのアラン・ハードマンと一緒のバスになる。夕方のトワイライトを海沿いに走ってスカミッシュへ。そこから山に登っていく。Whistler VillageのWestin Hotelへ到着。荷物を解いて、街に出かける。食料品店とリカーショップで水とビールを購入し、早速オリンピックメダルプラザまで散策。ここでは、たいした展示もライトアップもなさそうだが、取りあえず写真を数枚撮っておく。
9月6日(水)
JAPANADAという日本語のできるスタッフのいる観光業者のブースがWestinホテル内にあったので、8日の日のバンクーバー日帰りのシャトルバスを予約する。朝9:00前スタートで夕方17:10のダウンタウン発のバスで帰ってくる予定。オリンピック・ミュージアムなどを視察することにしよう。ついでにウィスラーのボブスレー会場への行き方を聞いてバスのダイヤも確認しておく。その後、メダルプラザを再訪して、オリンピックとパラリンピックのシンボルマークや聖火台やステージなどもカメラに収めておく。その後ウィスラー・ミュージアムに立ち寄って2010年のバンクーバー冬季大会時の展示などを見ておく。ここはこぢんまりとしたミュージアムで入場料は無料で寄付金が賄われているようであった。
国際スポーツ哲学会(IAPS)の学会の開会式ではスカミッシュのネイティブの人達の歓迎の歌で迎えられる。学会会場世話人のジョン・ラッセルから3カ所のお薦めサイト(スライディングセンター、アートミュージアム、スカミッシュの文化会館)の紹介があったので、それらの場所を確認しておく。
午後の発表をパスして、先ずスライディングセンターへバスで向かう。ここはジョージアのリュージュのノダル・クマリタシビリ選手がコースアウトして亡くなったことで知られる。ウィスラーのバスターミナルから7番のバスで山に登る。5分で終点。そこから10分くらい徒歩で登るとスライディングセンター。コースは工事中であった。フィニッシュは上り坂になっていることに初めて気付く。ここではコースの写真を撮っておく。しかしながら、クーガーが生息している地域であるとの立て札も。バス停には熊に注意の張り紙。やはり野生の動物との共生が課題のようである。5日のハイキングに参加した人達はゴンドラの下に熊がいるのを見たと言っていた。ここには、ビジターセンターのようなものがあったがうっかり立ち寄るのを失念してしまった。その建物の裏手にグリーンのオリンピックのシンボルマークがあったのでカメラには収めておいた。30分に1本しかないバスを待ってホテルに戻り、後半の発表とキーノートを聞く。ケージファイターでもある英文学教授の講演である。バイオレンスの話だが、何故人間はそのような暴力試合を観たがるかの話が無かったのが気がかりであった。
9月7日(木)
メールに返事を書いていると結構忙しく、午前中にスカミッシュのカルチャーセンターを訪問する計画が狂う。コーヒーブレイクから学会に参加することにする。午前中は日本人研究者の発表が多いので、一応皆さんの発表を聞いておく。日本的な発表に関心を呼んでいる外国の研究者も結構いたのがうれしい。昼食を急ぎ摂って、食料品に向かいビールとワイン、つまみのサーモンにお土産のスモークサーモンとチーズを買い込む。
午後、スカミッシュのカルチャーセンターに畑、高橋の3人で向かう。4時前に付いてみると本日はイベントのため終了とのこと。残念である。少しだけ写真を撮っておく。会議のIDカードがあると少し割引があるとのこと。9日に再訪することにした。続いてAudain Art Museumに向かう。ここも5時までの開館とのことで急いで観て回る。写真撮影がOKなのが嬉しい。このミュージアムと展示品の所有者の奥さんが日本人とのこと。彼女が多額のドネーションをしていたのもうなずける。このミュージアムではネイティブ関係の美術品も多いが、色々な美術品を収集したものをモダンな建物の中に公開している。18CDN+GSTであった。記念に絵はがきを数枚購入しておいた。台湾の知人の遊氏が最後の夜だというので、皆で一緒に部屋でさよならパーティになる。
9月8日(金)
朝からどんより。寒くなって雨になりそうな天気。長袖を着込むとともに、ダウンもザックに詰め込んで、小さなバンでバスターミナルに向かう。韓国の黃さん親子もバンクーバーに向かい、ホテルを変えるとのこと。娘さんがいるのでやはり学会だけでは退屈なのであろう。一緒のバスでバンクーバーへ降りる。途中で雨に変わる。
ダウンタウンで黃さん親子と別れてウオーターフロントの聖火台の設置場所に向かう。コンベンションセンターの隣の広場に2010年当時のまま残されていた。案内プレートが整備されたことが違うだけか。明日の夜にはライトアップした聖火台の写真を撮りたいいのものである。観光客にはオリンピックのレガシーを確認できる良いモニュメントとなっているようで、記念に写真撮影している観光客も結構いたし、ガイドつけたツアーもいた。
ウオーターフロント駅まで移動しSkytrainで選手村跡地に向かう。Olympic Village駅で下車し、20分くらい歩くと大会当時の選手村跡地に到着。Athlete Wayなどの名前の通りがあるので選手村の跡地らしい。何か記念のモニュメントが無いかと歩き回ると、Village Square という一角にオリンピック休戦の壁のモニュメントが設置してあった。嬉しい限りであるし、記念プレートにも国連の休戦決議のタイトル「スポーツとオリンピックの理想で平和で良い世界を構築するために」というメッセージが刻まれていた。この公園には大きな小鳥のモニュメントがあったが、オリンピックやパラリンピックのシンボルマークがないのが少し残念であった。隣接するコミュニティセンターの中にはオリンピックエンブレムが飾ってあったので、カメラに収めておいた。
簡単に昼食を済ませ、リッチモンドのオリンピック・オーバルに向かう。Lansdowne駅で下車し、約15分歩いてオーバルに到着。聖火リレーのモニュメントも飾ってある。カナダのオリンピック選手達のバナーとプレートも誇らしげに飾ってある。入館料はシニアは5CDNで済むので有り難かった。オーバルは半分がスケートリンク2カ所と半分がバスケットコートに替わっていた。ヨガ教室やワークアウトする施設にもなっていた。ここまで変えないと運営は難しいのであろう。オリンピック・ミュージアムは3階の一角にこぢんまりと創られていたが、子供たちが疑似体験するOlympic Experienceを大切にすることを狙った展示であった。車椅子の老人のスタッフが親切に話しかけてきたので、子供たちがたくさん来るかと質問すると、その日の午前中には200人来たそうだ。ワークシートが欲しいというと4-7才用のものをプレゼントしてくれた。嬉しい限りである。いろんな体験が売り物であるようだが、スキージャンプと反応時間のコーナーで挑戦するだけに止め、あちこち写真に収めておいた。どちらかというとカナダの自慢が多いようである。体験とデジタル情報、映像情報が多く使われていた。スポンサードで運営しているようであった。
SkytrainのLansdowne駅まで歩き、City Centerまで電車で向かう。シャトルバスの乗り場になっているHyatt Regencyで休憩してPCで記録を作成。5時10分発のバスの到着が30分も遅れて気をもむことになる。
9月9日(土)
寒い朝である。12度しかない。日中も最高13度の予報。しかしながら風向きが変わったせいか山が綺麗に見える。遠くの山の上の方には氷河も見えるではないか。今まではガスっていた(アメリカの山火事のせいとJapanadaのスタッフは言っていたが、、。)のが晴れたせいである。カメラに収めておく。この寒い中でも、ホテルの前のゴルフドライビングレンジでは短パンで練習する人達がいる。さすがにカナダ人達である。
コーヒーブレイク後から学会に参加してオリンピック関係の発表を2本聞く。1本はイスラエル人の学生で、1972年ミュンヘンの「ブラック・セプテンバー」で11人のイスラエル選手団がアラブゲリラに襲撃されて亡くなったことに関する発表である。イスラエル選手団は毎回のオリンピックの大会時に慰霊のイベントを開催しているが、IOCの態度は定まっていないとのこと。この慰霊式の開催は、イスラエルとアラブの国際政治問題にもなる大きな問題であるが、2020年東京大会では一体どうするか、日本の関係者が知っているか心配になる。IOCはアトランタの爆破事件とクマリタシビリ選手も含めてイスラエルの選手達を追悼するモニュメント(スライド)を作成して大会毎に展示しているようである。このモニュメントの扱いも2020年の課題となろう。もう1本の発表は2020年東京大会で追加種目となったスポーツクライミングに関する発表である。チェコのプラハの大学の学生である。伝統的な登山と比較してスポーツクライミングの問題点を指摘していた。IOCが何故このような種目を選んだか聞きたいところであった。伝統的な登山は自然との調和や対話、時には征服などの特徴を持つが、スポーツクライミングは人工的な障害を克服するし、しかも競争という要素を持っている。これら2つを比較すること自体が問題なのかも知れない。人工の壁を決められたルートで何度も登ることができるパフォーマンスと、毎回変わる自然条件の中でルートも定まらない岩場を登る旧来のロッククライミングでは性格が違うからである。岩場登り自体が無くても性格が違うパフォーマンスであろう。
昼食でIAPSの年次総会を開催し、アラン・ハードマンが次期会長に選ばれた。2018年来年のIAPSの学会はオスロのスポーツ科学大学での開催が正式に決まった。9月5-8日であるが、2点の希望がある。1つは開催時期の表示の仕方である。8日(土)の夜にバンケットがあると9日のチェックアウトになるので、学会期間を5-9日と記載して欲しいこと。もう1点は、会期中にリレハンメルへの小旅行を企画して欲しいことである。そこにはノルウェーのオリンピック・ミュージアムがあるからである。
午後は2時からのスカミッシュの文化センターのガイド付き館内鑑賞のために時間調整して出かける。外はしとしと雨である。初めて傘を広げる。この雨の中を自転車のロードレース大会が開催されている。少々の雨など全く気にしない自転車愛好家である。当然、マウンテンバイカー達も雨の中、泥まみれになってマウンテンバイクを楽しんでいる。たいしたものである。感心するしかないし、バイク文化の違いを見せつけられたようである。
スカミッシュのカルチャーセンターでは、先ずネイティブスタッフの歓迎のソングを聴いて、15分のファーストネーションの内の2部族の紹介ビデオを鑑賞する。その後、40分のガイドツアーに参加する。英語の発音があまり良くない女性の案内だったので聞き取れない点が多く残念であった。文化センターなのでアボリジニの人達の生活文化が中心の展示と説明であった。それが芸術的要素も持っているということであろう。杉の皮をなめしたもので小ワークショップも。皮をよじってブレスレットを作成した。良き手作りのお土産になる。写真はたくさん取っておいたし、印象的な絵を2枚お土産に購入してホテルに帰ることにした。
フェアウェルバンケットの後にハイヤーを畑さんが予約してくれたので、夜9時半のバンで5人でバンクーバーに向かう。途中でウオーターフロントの聖火台に立ち寄ってもらい、皆でライトアップした聖火台を記念に撮影し、宿に向かう。11時半にチェックインし休むだけ。
9月10日(日)
最後のバンクーバー。先ず朝タクシーで畑さんのいるホテルに向かう。Lansdowne駅まで歩いてSkytrainでウオーターフロントに向かう。再度聖火台のところで山口さんと小田さんと合流。記念撮影をしたり、水上飛行機の発着を観たりして楽しむ。小田さんとはここで別れて、4人で選手村に向かう。Olympic Village Squareで休戦の壁のモニュメントを再訪。裏面にサインをした人達の名前が刻んであった。これは前回見落としたものである。何人か日本人の名前を見つけるが、ロゲ会長の名前が見つからなかった。2本のモニュメントの片方がオリンピックでもう1本がパラリンピックのサインである。その後、電車でOlympic Oval を再訪。
今回はミュージアムには入る時間が無くRichmondのスポーツの歴史資料を見るに止める。日曜日なので多くの人達がスケートやアイホに訪れていた。大会後の運営はまずまずのようである。ここはバンクーバー大会のスポーツレガシーとなっているように思えた。
ウィスラーではイヌクシュクの石積みモニュメント(バンクーバー大会のエンブレムのデザインの元)を見るチャンスがなかった。またいつかを期待したい。カナダのオリンピック・パラリンピック教育がバンクーバー大会のレガシーを活用されることを期待したいが、Olympic Village Squareが少々寂しかったのが残念であるが、、。
Olympically, NAO