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‘第6号’ カテゴリーのアーカイブ

バンクーバー・オリンピック大会を通したメープルリーフへの誇り

2010 年 3 月 11 日 Comments off


執筆:山本真由美(世界アンチ・ドーピング機構:WADA)

バンクーバー・オリンピックの総括

2010年バンクーバー・オリンピック大会は、グルジア代表のルージュの選手がテストランで死亡するという悲劇に始まり、雪が降らないサイプラス・マウンテンを例にとりイギリスの全国紙に「史上最悪の大会だ」と揶揄されながらも (Guardian, 2010.2.15)、最後はカナダの男子アイスホッケー・チームがアメリカを延長戦で破り劇的な勝利を飾り、大会の幕が閉じられた。バンクーバー大会最後の歴史的な勝利にカナダ全土が酔いしれたことは、カナダの人々の歓喜、カナダのメディアを通して当然のことながら感じられることであった。バンクーバー・オリンピックは「カナダの成功」として語られているが、その成功は、ハイパフォーマンス・プログラムである “Own the Podium Program(以下OTP)”、カナダ・オリンピック・チーム、カナダのスポーツ・システム、そして連邦政府のスポーツに対する評価、今後の政策的・戦略的方向性を決定付けたといえる。

カナダは14 個の金メダルを含む26個のメダルを獲得。金メダル14個は冬季オリンピック史上最多である。バンクーバーは2003年7月2日のIOC総会で第21回冬季オリンピック・パラリンピック大会開催権を獲得、その後短期間でパフォーマンス・システムを確立し、4年間で総額CAN$1億1700万をOTPに投資した。その継続が大会前から問われるなか、3月4日(木)の連邦政府予算発表にて、2年間で$4,400万の投資が確約される。バンクーバー大会終了により政府と民間資金が枯渇するため、OTP は大会開催前より年間CAN$2,800万の投資を要求しており、要求額より減額となっているが、連邦政府予算が大幅に削減された2010年度予算を考慮に入れると、格段な予算配分となった。

「カナダのゴールデン・ゲーム」:国家としての勝利

バンクーバー・オリンピックを総括すると、「カナダの国家としての勝利」であった、という見方が強い(注1) 。それは次の点におけるダブル勝利として集約されるだろう。

1. カナダの代表チームのパフォーマンス:エクセレンス
2. バンクーバー・オリンピック大会の成功:積極的なアイデンティティー形成

本大会における誇るべき最高のパフォーマンスが、カナダ人自身のアイデンティティーの再構築を促し自己意識を変革し、それらが相乗効果を生み出し、バンクーバー・オリンピックの成功に導いたと見ていいだろう。

カナダの国旗「メープルリーフ」

隣接国家であるアメリカ合衆国の存在があるカナダは、常に主義主張をせず控え目で「いいやつ」でいることがその特徴として考えられ、カナダ人自身も受け入れていたと一般的に考えられている。スポーツのフィールドでは、「参加することに意義がある」という意識や態度と、なぜかもたらされたメダルに対してその価値を公に語らない文化があるとされていた。しかし、”No More Mr. Canadian Nice Guy”として可能性を極限まで求め勝利を欲し、カナダ人がカナダ人の成功を喜びとして共有し、そして世界に対してカナダの象徴である「メープルリーフ(国旗)」が掲げられることに対して誇りを持つことの意義を「我々の大会」で再発見 (re-discover) したという報道が多かった(注2) 。それは、自国開催のオリンピック(1976年モントリオール大会、1984年カルガリー大会)で一度も金メダルを獲得したことのなかったカナダが、大会3日目にフリースタイル・モーグルでアレックス・ビロドー (Alexandre Bilodeau) による初の金メダル獲得で弾みがつき、フィギュアのショートプログラムの1日前に母親を亡くしたジョアニー・ロシェット (Joannie Rochette) の素晴らしい滑りに人々が感動し、終盤におけるメダル・ラッシュに続く最終日の男子アイス・ホッケーの金メダルによって、カナダとしてのプライドが絶頂に達した。これが一般的な人々のバンクーバー・オリンピックに対する見方であると思う。このカナダの国家としての成功については、バンクーバー大会組織委員会(VANOC)の組織委員長であるジョン・ファーロング(John Farlong)による閉会式のスピーチで明らかであった。ファーロングは、「今夜カナダ人はより強く、より統合され、我々の国家をより愛し、よりお互いの結びつきを強くしたと感じているだろう…国を愛するという美しい想いがカナダ全土で旋風を巻き起こした」とし、アスリートが自身の可能性を最大限に発揮しようとするスポーツの精神を知り、世界の舞台での勝利を感じたことで「過去とは違う現在のカナダ」が生まれたことを知ってほしいと述べた。

一方で、「過去のカナダ人意識」を改革するためのプロジェクトの代表が、”Own the Podium” プログラムであったといえる。OTPはバンクーバー・オリンピック大会で最大のメダル獲得数を得るという目標を明確にしたハイパフォーマンスの戦略プログラムである。大会前はカナダ代表のパフォーマンスに対する期待と不安の声がかなり挙げられただけでなく、世界のスポーツ勢力を尻目にカナダが「表彰台を占拠する」といった捉えられ方がされ、OTPは「カナダ人らしからぬ (un-Canadian like)」、「傲慢(arrogant)」、「非現実的(unrealistic)」だとして揶揄、批判された。筆者は世界のハイパフォーマンス・プログラムについてある程度の知識を持つが、これほどまでに一般の人々がOwn the Podiumという言葉を知り、その是非について語ったプログラムを知らない。ちなみに、大会期間中を通してOTPへのサポートは90%超であった。本プログラムを立ち上げたCEOは、大望を抱きカナダとして目指すべき目標を「大々的なステートメント(bold statement)」として、Own the Podiumが創設されたと強調する。このプログラムは大会期間中、そして大会後もシンボリックに取り上げられ、スポーツのコンテキストだけでなく、カナダの経済やビジネスモデル、そして個々の成長のための教育や様々な文化プログラムとして応用されるべき国家としての成長モデルとして語られている。

一般市民の誇り

“Go Canada Go” があらゆるところで掲げられ、また道端で叫ばれ、カナダのオフィシャル・ユニフォームを身にまとった一般市民がバンクーバー市内では溢れていた。また、バンクーバーだけでなく、カナダ全土で「カナダ人であることを誇りに思う」と公に述べること自体へ驚きと、喜びを共有している場面に何度も直面した。通常ケベックとしてのアイデンティティーが強いモントリオールにおいても、それは同じであった。バンクーバー・オリンピックは、一般市民がカナダの国家として自信と誇りを得た絶好の機会であったことは間違いでないだろう。

バスに点灯表示された"GO CANADA GO"

バスに点灯表示された"GO CANADA GO"

(注1)
例えば、全国紙のThe Globe and Mailは “Canada’s golden Games” (2010.2.28)、National Postは”Gold-medal nation” (2010.3.1)とした論説を展開。

(注2)
例えば、The Globe and Mailは”NEW PATRIOT LOVE”というヘッドラインで、カナダ全土のお祭り的感覚と喜びに直面し、「国を得た感覚だ」とした (2010.2.27)。

オリンピックは教育の場であり人間力を高める場である

2010 年 3 月 11 日 Comments off


執筆:山本尚子(ライター)

-「オリンピック」とは本来、オリンピック運動のことであって、オリンピック大会のみをさすものではない。

こういった認識が、いつしか私の中で、「真のオリンピック運動とオリンピック大会とは乖離しているものだ」という図式をつくりあげていたように思います。

今回、私は日本代表選手団の本部員として、24日間、バンクーバーの選手村に滞在し、働く機会を得ました。日本選手団の団長は、(財)日本スケート連盟の会長でもある橋本聖子氏。副団長は笠谷幸生氏、総監督は鈴木惠一氏という顔ぶれでした。笠谷副団長はウィスラーの選手村に滞在されていたので、直接、お話をする機会はあまりありませんでしたが、橋本団長や鈴木総監督のお話を間近で聞く機会に恵まれました。

お二人のそばで過ごすうちに、オリンピック大会というのはオリンピック・ムーブメントにとってもやはり最高の機会なのだと、自分の勘違いを改めるに至りました。

今大会のディプロマ(参加証)

今大会のディプロマ(参加証)

人間力の向上なくして競技力の向上はあり得ない

お二人がことあるごとに選手に語りかけていた言葉をご紹介しましょう。

「オリンピックは教育の場であり、人間力を高める場でもある。人間力の向上なくして競技力の向上はあり得ない」。(橋本団長)

つまり、「オリンピアンはただ強ければいいんだということはなく、スポーツで世界の頂点を目指していく姿勢に注目が集まり、日本中の人々に勇気や夢を与える存在であるからこそ、それを自覚して、競技力とともに人間力を高め、広く社会に明るい希望を与えていってもらいたい」というメッセージでした。

「メダルは取ってからこそが大事」というお話もされていました。獲得した達成感で立ち止まってしまうのではなく、その後の過ごし方でメダルの色が輝いたり、鈍ったりもする。自分のその後の人生において、社会貢献はもちろんのこと、メダルに恥ずかしくない過ごし方をしていってほしいということでした。

余談になりますが、加藤条治選手が銅メダルを獲得したあとに本部に挨拶に来てくれました。その際に、ボランティアのNOCアシスタントさんたちの求めに応じ、気さくにメダルを触らせてくれたのですが、「僕だけのメダルじゃないんで是非どうぞ」とサラッと発したその一言がとても心に残っています。

行動規範を遵守する

鈴木総監督は、「行動規範の遵守」をよく口にされていました。

『日本代表選手団ハンドブック』には、「日本代表選手としての規範」、いわゆる行動規範が書かれています。規範の6項目目には、オリンピック・ムーブメントについても明記されています。今大会中、シャツのすそ出し事件で大騒ぎになったこともあり、「行動規範の遵守徹底」を呼びかけるリリースがあらためて配布されました。

日本代表選手団を支えてくれたNOCアシスタントの皆さんと(筆者は前列左端の白いユニフォーム姿)

日本代表選手団を支えてくれたNOCアシスタントの皆さんと(筆者は前列左端の白いユニフォーム姿)

「選手は日本を代表する公人である。その自覚と責任を持って、競技力を発揮するだけでなく、日本代表選手団の一員としてのモラル、ルール、エチケットを守ってほしい」という行動規範は、やはり人間力の向上につながっていくものです。

チームジャパンの一員であるという自覚を持つ

もう一つ、お二人が強調されていたのは、「チームジャパンの一員として、一つのチームになること」でした。

個人種目でも、異競技であっても、「チームジャパン」の一員であるという意識・連帯感を持つ。誰かがうまくいかなかったら、誰かがカバーする。昨年5月と6月に、冬季競技の日本代表候補選手と強化スタッフが一堂に介したカンファレンスが行われたのですが、そこで生まれた一体感も、今大会でしっかり機能していたように感じられました。

自分の頭で考える

橋本団長も鈴木総監督もトップアスリートとして輝かしいキャリアを持っていらっしゃいます。そのお二人が口をそろえたのが、「スポーツ選手は自分の頭で考える能力がないとダメ。そのためにも本を読み、学び、知識を広げる努力をしてほしい」ということでした。

ロゲIOC会長もサインした「オリンピック停戦を願う壁」

ロゲIOC会長もサインした「オリンピック停戦を願う壁」

初めて、オリンピック大会のど真ん中で毎日を過ごしてみて、トップアスリートの集う大会だからこそ広く発信できるオリンピック運動がここにあるんだと感じました。笠谷副団長も含めた日本代表選手団のトップのお三方が発し続けたこれらのメッセージは、今大会のオリンピアンたちの心に響いたと思いますし、彼らがまた子どもたちに夢や希望を与える存在として、オリンピック・ムーブメントを体現していってくれると信じています。

カナダにおけるオリンピック・レガシー

2010 年 3 月 11 日 Comments off

Honouring the Past, Inspiring the Future


執筆:荒牧亜衣(目白大学短期大学部)

バンクーバーオリンピックが開幕した2月12日の朝8時、ロリー・フォックスが聖火リレーのランナーとして登場した。カナダの英雄、テリー・フォックスの父親である。そして、彼の母親、ベティ・フォックスが五輪旗を持って紹介されたとき、開会式会場にはひときわ大きな歓声が上がった。

テリー・フォックスは、サイモンフレーザー大学体育学部1年生の時、骨肉腫を発症し、右足を切断した。手術から3年後の1980年、彼はがんに対する意識向上とがん研究支援を訴え、カナダ横断を目指して走り始める。”Marathon of Hope”と名づけられたこの挑戦はやがて注目を集め、テレビ報道を通じてカナダ全土に知れわたり、カナダ中の人々が彼を応援した。

テリー・フォックスはゴールであったバンクーバーにたどりつくことはできなかった。走り始めてから4ヵ月後、肺への転移が見つかり入院、22才でこの世を去ったのだ。しかし、彼の挑戦は、現在もカナダの人々の心に強く残っている。最終聖火ランナーを務めた1人であるNBAのスター選手、スティーブ・ナッシュは聖火リレーに参加した際、テリー・フォックスについてコメントを残している。

“When someone runs across the country with one leg, it posed a lot of question for a six-years-old. It was a very educational experience for me, and an inspiring one as well.”

The globe and Mail, Friday, Feb 12, 2010

彼もカナダの英雄であるが、テリー・フォックスは彼にとって英雄なのだ。1981年以来、がん研究資金を募るチャリティーイベント”Terry Fox Run”は、毎年世界中で開催され、5億ドル以上が集まったといわれている。

テリー・フォックスの功績は、開会式会場となったBC Placeに併設されているBC Sports Hall of Fame & Museumで詳しく知ることができる。このミュージアムでは、ブリテッィシュ・コロンビアにおけるスポーツの歴史や活動についてだけでなく、オリンピックに関する展示も数多く見ることができる。テリー・フォックスはカナダの英雄として称えられ、彼の死後もカナダの人々に大きな勇気を与え続けていることが紹介されていた。

VANOCは、大会期間中である2月27日に、今大会に出場した全選手の中から、”Vancouver 2010 Terry Fox Award”を選出した。この賞は、痛みや障害を克服して、世界を感銘させた選手に贈られるもので、フィギュアスケートのジョアニー・ロシェット(カナダ)、ノルディック距離女子のぺトラ・マジッチ(スロベニア)の2人の銅メダリストが受賞している。

近年、オリンピックを招致するには、オリンピック・レガシーに配慮した計画の立案が求められている。レガシーが特に重視されるようになったのは、2000年シドニー大会前後の頃といわれるが、1988年カルガリー大会の招致段階においても既に、競技施設を「レガシーとして残す」計画を立てていた形跡がIOC総会の議事録に残っている。スキージャンプやボブスレーの会場となった場所は、現在はCanada Olympic Parkとして幅広い世代に利用されている。さまざまなウィンタースポーツを体験できるだけでなく、季節に応じて、子どもたちを対象としたキャンプも開催している。

パーク内の施設の名称には「オリンピック」の冠が付けられ、オリンピック会場であったことが強くアピールされており、訪れる誰もがカルガリーでオリンピックが開催された歴史的事実を認識できる。たとえば、Olympic Hall of Fame & Museumにおける展示は、カルガリー大会に関する展示にとどまらず、カナダのオリンピック参加の歴史やオリンピックについての知識も得ることができる。カルガリー大会のレガシーといえるこのミュージアムは、カナダのオリンピック・ムーブメントに対する理解をうながすであろう。

ミュージアムは、オリンピックの記憶を蓄積・視覚化し、次世代へのメッセージを発信することで、オリンピック・ムーブメントの一翼を担うことができる。

「IOCスポーツ科学教育研究プロジェクト」の紹介

2010 年 3 月 11 日 Comments off


執筆:渡部和彦(広島大学名誉教授)

バンクーバーオリンピックは、多くの感動を人々に与えて終了しました。我が国はじめ各国選手の活躍は、最新の撮影技術を駆使した臨場感あふれるTV画面から迫力ある映像として提供されました。長く記憶に残ることでしょう。

ここでは、長野オリンピック(1998年)からスタートした、「IOCスポーツ科学教育研究プロジェクト」について、このプロジェクトの経緯と最近の活動について簡単に紹介し、関係の皆様方のご理解とご協力をいただければと思います。

IOC医事委員会はドーピング検査の元締めの委員会として有名ですが、ほかにも、「IOC医事委員会バイオメカニクス&スポーツ生理学専門委員会」の研究プロジェクトがあります(1984年ロス五輪から)。これは、オリンピック参加選手を怪我や障害から守り、最高のプレイができるための科学的資料を得ることなどがその目的です。このプロジェクトは、冬季オリンピックも含め継続して行われました(シドニーオリンピックまで)。長野オリンピックでは、7種目9研究課題について、世界各国のバイオメカニクスの専門家チームによってそれぞれの競技会場にカメラを入れて実施されました(フリースタイルスキー、スピードスケート、ショートトラック、アルペンスキー、スキージャンプなど)。筆者(渡部和彦)は、NAOC代表としてこの研究プロジェクト全体のお世話をしました。

さて、長野オリンピックでは、この研究プロジェクトとは別に、「スポーツ科学教育研究プロジェクト」を立ち上げました。この研究プロジェクトの目的は、オリンピックを見に来る子供たちをはじめ、一般参加者、市民を対象に、オリンピックというスポーツ界最大のイベントに因んで、最新のスポーツ科学の知見をできるだけ分かりやすい形で、広く伝達・普及しようとするものです。オリンピックの競技を見る人が、単に勝ち負けではなく、すぐれた競技選手のプレイに対して、より深い理解が得られると考えました。また、オリンピック会場に来られない人々にもスポーツやスポーツ科学の素晴らしさについて理解していただき、また日常の健康や障害予防等に関する知識についても理解を深めていただきたいとの思いから行われました。

このような考えを具体化する方法に悩んでいたとき、ヒントを与えてくれたものがあります。それは、リレハンメル大会のスキージャンプ会場に設置された大型の電光掲示板が目に入った時のことです。実は、前述の「バイオメカニクス&スポーツ生理学専門委員会」の研究プロジェクトの準備のため、筆者は、リレハンメル(1994)とアトランタ(1996)のオリンピック大会に行き、全ての競技会場を訪問し研究関連の事前調査を行いました。リレハンメル大会では、スキージャンプ会場に設置された大型の電光掲示板には、たまたま冬をモチーフにしたシンプルな静止画像が提示されていました。この掲示板を使って選手の技術のすばらしさや、なぜこの選手が金メダルで他の選手が銀や銅メダルかなど、合理的な説明ができれば、選手たちの努力が報われると共に会場の観戦者にとっても意義深く、楽しいのではと考えました。
このような考えを長野オリンピックの際に実現してみたいと考え、IOC医事委員会委員長(IOC副会長)のプリンスメロード(Prince de Merode)氏に提案することにしました。アトランタオリンピックの期間中、米国のネルソン教授に励まされ、マリオット・マルキュースホテルのIOCの執務室に呼ばれ、二人だけの会談で説明を聞いていただき、アドバイスもいただくことができました。そこで、IOC医事委員会のプロジェクトの一つに位置付けていただくことができました。

長野オリンピックでは、電光掲示板ではなく、効果的なパネルとビデオの形式で、「スポーツ科学教育研究プロジェクト」をスタートさせることができました。

ビデオとパネルによるスポーツ科学関係の紹介は、一般参加者、市民、児童・生徒に供覧されました。展示場所は、アクアウィング(アイスホッケー会場)、長野市役所、長野市内の小・中学校4校を巡回(大会期間中)。県内の小学校406校、中学校196校のすべてに、教育委員会を通じてビデオを無料で送付しました。アンケート調査の実施。

ビデオは、次の7つの課題について編集・制作されました。
①スキージャンプの科学、②クロスカントリースキーの科学、③ボブスレー・リュージュの科学、④アルペンスキーの科学、⑤スピードスケートの科学/スノーボードの科学/バイアスロンの科学

パネルは、28の課題について各課題1枚ずつ2組制作されました。展示会場は、エムウエーブ(スピードスケート会場)、長野市内の小中学校4校を巡回(大会期間中)。アンケート調査研究の実施。学校では、大学院学生が子供たちに対して、内容に関する解説を行いました。パネル内容について、28枚の内、3例ほど以下に紹介いたします。

パネルを見る子どもたち -長野市内小学校にて-

パネルを見る子どもたち -長野市内小学校にて-

(例)
①「なぜV字飛行は遠くまで飛ぶのか(渡部和彦:広島大学)」
②「ドーピングってなに?(鈴木紅、太田美穂、武藤芳照:東京大学)」
③「スポーツ競技選手の筋肉の特徴(石井直方:東京大学)」等など。
解説の要約は、英語記述。

最近の取り組み:プリンスメロード氏とは、その後シドニーオリンピックの際にもお会いし、励ましていただきました。残念ながら氏はその後病気で亡くなられましたが、我々は、プリンスメロード氏のご支援に報い、そのご遺志の継承として、国際的な展開を試みることにしました。その一つは、多言語による「スポーツ科学・健康教育情報」の発信です。まずは、アジア地域の子供たちに、インターネットを活用したスポーツ科学・健康教育に関する良質な情報提

供をしようと考えました。長野で用いたパネルの画像をカラー画像で接写し、留学生などの協力で、説明文を日本語から、英語、ロシア語、タイ語、韓国語、中国語へと翻訳作業を行い、国際学会(アジア運動スポーツ科学会議:ACESS)のHPから、その一部を各国言語にアクセスして、容易に引き出せるところまできました。

今後は、新しく動画なども加えたいと考えています。

パネル展示の風景 -エムウエーブにて-

パネル展示の風景 -エムウエーブにて-

バンクーバー2010パラリンピック冬季競技大会概要

2010 年 3 月 11 日 Comments off


執筆:仲前信治(日本パラリンピック委員会)

2月28日に閉幕するオリンピックに引き続き、カナダ・バンクーバーでは本年3月12日から21日の10日間、冬季パラリンピックが開催されます。本大会は、国際パラリンピック委員会(IPC)及び現地組織委員会(VANOC)が運営主体となり行われる障害者スポーツ最高峰の大会であり、過去最多の43以上の国・地域から、選手約600名の参加が見込まれています。アルペンスキー、クロスカントリースキー、バイアスロン、アイススレッジホッケー、車いすカーリングの5競技が実施され、日本からは、約100名(選手45名、役員55名)の選手団が全競技に出場します(車いすカーリングは初出場)。

冬季パラリンピックは1976年にスウェーデン・エンシェルツヴィークで開催した大会が第1回大会とされ、1998年には長野においてわが国初の冬季パラリンピックが開催されています。日本選手団は1980年の第2回大会(ノルウェー・ヤイロ)から正式参加し、前回のトリノ大会では9個のメダルを獲得、今回の大会はそれ以上の成績が期待されています。

パラリンピックの各競技は障害の特性を考慮し、一般の競技規則を一部変更して行われます。選手は障害の種別(カテゴリー)や程度により「クラス」分けされ、クラスに基づいて競技を行います(パラリンピック出場には、クラス分けの国際認定が必要)。クラス分けは公平な競技環境整備につながる一方で、オリンピックに比べ多数のメダル種目が実施されることになります。パラリンピックの種目数の削減はIPCが取り組む事項の一つとされています。

【アルペンスキー、クロスカントリー、バイアスロン】

種目数削減の取り組みの中で、これらの競技はクラス毎ではなく、立位、座位、視覚障害のカテゴリー毎に実施されています。選手の成績はカテゴリー毎に、実際にコースを走るのに要した「実走タイム」にクラス毎に設定された「係数」を掛けて算出する「計算タイム」により決定します(バイアスロンはさらに、射撃の失敗数をタイム加算して計算タイムを求めます)。パラリンピックの競技会場では「計測タイム」で記録が表示されるので、観客にも競技の様子がわかりやすくなっています。なお、視覚障害カテゴリーでは、声や音でコース誘導する「ガイド」が選手と共に滑ることが認められています。

アルペンスキーでは、板やストックなどの競技用具は基本的には一般と同じものを使用しますが、片足を切断している選手などは1本のスキーで滑走するため、ストックの替わりに「アウトリガー」と呼ばれる専用ストック(ポールの先端に小さなスキー板を付けたストック)を使用します。また、車いす使用者などの選手が出場する座位カテゴリーの選手は、シートとサスペンションを装着した軽量フレームに1本のスキー板を着けた「チェアスキー」に乗り滑走します。ストックは、ポールの短いアウトリガーを使用します。

クロスカントリースキーは、立位、視覚障害カテゴリーの選手は一般競技と同様にクラシカル走法、フリー走法それぞれの種目で競技を行います。座位カテゴリーの選手は、2本のクロスカントリー用スキー板の上に、座るための装置を取り付けた「シットスキー」と短めのストックを用いて競技を行います。

バイアスロンは、一般競技同様にクロスカントリースキーと射撃を組み合わせて行いますが、射撃には、一般競技とは異なりエアライフルやビームライフル(視覚障害選手)を使用し、銃を背負っての走行は行いません。ビームライフルの射撃には、電子音で標的の位置を知らせる音式スコープ(的に近づくと音が高音、離れると低音に変化)が使われます。

【アイススレッジホッケー】

「氷上の格闘技」とよばれるにふさわしい激しいコンタクトや、華麗な組織プレーで観衆を魅了する、冬季競技の花形として人気が高い競技です。脊髄損傷や切断などの下肢障害のある選手が、「スレッジ」とよばれるホッケー専用に開発されたソリに乗って行うアイスホッケーです。選手たちは、末端に「アイスピック(刃)」が取り付けられた2本のスティックを巧みに操り、スレッジを滑走させながらパックを相手ゴールに運びます。今大会より、女性選手をプレーヤーに含めることが認められました。

【車いすカーリング】

車いす使用者が行うカーリングで、2006年のトリノパラリンピックから正式競技となりました。1チーム4名で構成されますが、少なくとも1名は女子選手を含めることが義務付けられています。一般のカーリングと違い、デリバリー(投球)は助走なし・静止状態で行います。その際、車いすを固定するためチームメイトが後方から車いすを押さえることが認められています。また、スウィーピング(ブラシで掃くこと)が禁止されていますので、より正確な投球技術や緻密な戦術が求められます。

会員レポート Vol.6_No.1

2010 年 3 月 11 日 Comments off

2010年バンクーバー冬季オリンピック大会観戦記


執筆:舛本直文(首都大学東京)

2010211日から14日まで4日間バンクーバーに滞在し、冬季オリンピック大会の前半の市内の様子や会場を見て回ったので、雑感を含めて報告してみたい。

不平不満だらけの大会」

今回の大会の前半の印象を一言で述べると「不平不満だらけの冬季大会」ということになろう。アスリートにとっては、雪不足・悪天候への不満、リュージュ選手の死亡による高速コースへの不満など。観客には、案内を含めた会場運営の悪さへの不満、順延によるチケット対応への不満、常設聖火台設置位置への不満など。カナダの文化大臣には、開会式の内容のフランス色不足への不満など。市民には、オリンピックグッズ販売店の狭さ、長蛇の列のイベント会場など。ドーピング検査によって大会開始前までに30名の選手が失格になったというニュースはIOCにとっての不満であろう。苦労して入手した高いチケット、法外な価格の宿泊代、バス移動の運営のまずさ。そのようにしてまで観戦したオリンピック。訪れた世界各国の観客の目にはこの冬季大会がどのように映ったのであろうか?

私自身オリンピック研究者としての不満は、文化プログラムや教育プログラムなどの情報の不案内と、会場や街中のイベントに子どもたちの参加がほとんど見られないことである。これはバンクーバーの組織委員会(VANOC)が従来の慣習を捨て、「一校一国運動」を展開していないせいでもあろう。子ども達の姿は、見た限りではロブソンスクエアの仮設リンクにちびっ子アイスホッケーとして動員されていたくらいであろうか。これもアイスホッケーフリークのカナダ人らしさ故といったほうがよかろう。VANOCは、子ども達に対してオリンピックの祝祭性と平和・教育メッセージを伝える好機を失ったといえよう。また、1994年リレハンメル大会から続いてきた「草の根の平和と環境メッセージリレー」も今大会で実施されず、その良きムーブメントの流れが途絶えてしまった。ただ、オリンピック・オーバルがあるリッチモンド市の市役所で子どもたちの教育・文化・倫理プログラムの展示があったが、滞在が土日で市庁舎が閉館。これを視察できなかったのが、返す返すも残念であった。これは教育・平和運動プログラムに関する事前情報不足の結果でもあるが、良いプログラムに参加して欲しいというVANOCの意欲の欠如のせいかもしれない。さらに、各国のナショナル・ハウスに関しても情報不足であり、今回はジャパン・ハウス以外、どこも訪問することができなかった。また、オリンピック研究者仲間にも会うことができなかった。滞在費が高額になり、オリンピック研究者達も大会開催期間中の調査や研究を敬遠してきているようである。

「開会式のメッセージは?」

大会開始前、グルジアのリュージュの選手が練習中に死亡するという悲惨な事故があり、グルジア選手団は喪章をつけての行進。ロゲ会長も開会式で黒いネクタイ姿でスピーチし、この残念な事故に触れて哀悼の意を表していた。

夕方5時からスペクテイターリハーサルが始まったが、最近の開・閉会式セレモニーでは観客参加型の演出が多い。白いポンチョは照明演出の都合のため。今回の鳴り物はドラム型のボックス。ペンライトが2種類。小道具をうまく使わせて、光の一大ページェントにするのがお決まりの「演ずる観客」という演出である。

セレモニー開始前にバンギムン国連事務総長のオリンピック休戦メッセージが英仏2ヶ国語で流れたが、テレビの国際映像ではこれが放送されないのが残念な限りである。

開会式のショーはインプレッシブなものであったが、全体のストーリーとメッセージ性が良く分からなかったのが残念である。スノーボーダーがオリンピック・シンボルマークをくぐり抜ける最初のジャンプの演出は、スキーのジャンプと思っていたため、サプライズであった。全体の演出は、1998年長野大会の御柱、2000年シドニー大会のアボリジニとの和解、2002年ソルトレーク大会の開拓民の歴史、2006年トリノ大会の空中サーカスのパフォーマンス、2008年北京大会の発光ダイオードの活用など、なじみのものを組み合わせたような演出であったといえよう。

今回は初めての屋内の開会。聖火を最後にどのように扱うのか興味津々であった。聖火の最終点火者は4人であったが、1本の聖火の支柱が起き上がらなかったため、点火できなかった点火者がいた。観ているときには気がつかなかったが、その時にグレツキーが彼女に声をかけて一緒に点火すれば、もっと印象的になったかもしれない。それはともかくも、聖火は競技するアスリート達の目に届く範囲にあって欲しいものである。ウォーターフロントのフェンスに囲われたIBCの中に鎮座するのは、なんとも見世物主義的ではないか。しかも市民が聖火をバックに記念撮影すれば必ずフェンスが写ってしまうのである(写真)。

撮影すればフェンスも写る聖火

撮影すればフェンスも写る聖火

さて、今回の開会式の演出で平和と教育のメッセージがどれだけ盛り込まれ、それがどれだけ伝わったのか。ショーで盛り上げる以前にオリンピック像を再構築しなくてはならないであろう。今回のように30人もドーピング検査で失格になる選手がいるのは、やはりメダル至上主義のせいであり、それを容認する空気のある競技界とそれを煽るメディア界、それがさもスポーツの姿であるようにメディアによって刷り込まれている視聴者、という構図が強固に作り上げられているのかもしれない。ここに大きな問題が潜んでいるように思われる。

〔「都政新報」2010年2月26日より転載〕

会員レポート Vol.6_No.2

2010 年 3 月 11 日 Comments off

バンクーバー五輪、行き過ぎたナショナリズムと勝利至上主義


執筆:師岡文男(上智大学)

2010年2月12日(金)午後6時、配付されたポンチョを着て、厚紙の箱でできた太鼓を叩き、5万5千人のペンライトで光の海を作りながら観客全員参加型の「第21回オリンピック冬季競技大会開会式」を楽しんだ。素晴しい音楽と映像、パフォーマンス、飽きることのない演出であった。特に選手団の入場の際、(TV放送には映し出されなかったそうだが、)会場の大スクリーンに参加国の位置が地球儀上に示され、オリンピックは普段日本のニュースにはほとんど登場しない国の存在をも意識させる良い機会であることを痛感した。そして、オリンピックが良い意味での愛国心が自然に湧き上がる国際イベントであると同時に行き過ぎたナショナリズムに走りがちな危険性もはらんでいることを感じた。

開会式会場での筆者

開会式会場での筆者

カナダは多くの国から移民を受け入れている一方、イギリス系カナダ人とフランス系カナダ人の対立がいまだにある国である。開会式で、ハイチ出身のミカエル・ジャン総督による五輪史上初の黒人による開会宣言にはカナダの先進性を感じたが、フランスとイギリスの入場行進の際、立ち上がって熱狂的な応援を送るグループがはっきり分かれていたのは興味深かった。また、カナダ国歌演奏の際、明らかに意図的に起立しないカナダ人家族がいるなど、良い意味でも悪い意味でも「国」を意識するのがオリンピックの功罪といえよう。そういった事情があるカナダだからこそ「ファーストネーションズ」と呼ばれる先住民にスポットをあてたり、「表彰台を独占しよう!」といったスローガンが必要だったのかもしれないが、閉会式でのこれでもかと言わんばかりのカナダ紹介と英語だけのトーク

ジャパンハウスでの橋本団長

ジャパンハウスでの橋本団長

ショー、「We are all Canadians!」のしめくくりにはいささか閉口した。首都大学東京の舛本教授が指摘されておられるように、これほど子どもたちが登場しない開会式・閉会式も珍しく、長野から北京まで続いた「一校一国運動」が途絶えてしまったこともこうした風潮を作り出してしまった一因のような気がしてならなかった。

そして、ロシアのプーチン首相の「五輪の意義は参加することではなく勝つことにある」や石原都知事の「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」といったオリンピズムをまったく理解していない五輪主催国や招致都市の首長の発言には本当にがっかりした。こうした考え方がドーピングを蔓延させてきた過去を忘れてはならない。

開会式で「For today, the Olympic Games mean more than just performance」と述べたロゲIOC会長

開会式で「For today, the Olympic Games mean more than just performance」と述べたロゲIOC会長

会員レポート Vol.6_No.3

2010 年 3 月 11 日 Comments off

オリンピックムーブメントとしてのワールドゲームズ(WG)


執筆:師岡文男(上智大学)

2000年10月27日、IOCと国際ワールドゲームズ協会(IWGA)は「IOCは各国オリンピック委員会(NOC)がWGに参加する各国代表選手団を支援することを奨励する」など9項目が盛り込まれた「相互協力に関する覚書」に調印し、WGはオリンピックムーブメントとして位置づけられた。2009年7月16日(木)~26日(日)の11日間台湾の高雄で開催された第8回WGには、84の国と地域から26公式競技・5公開競技に2,908名の選手が参加し、バンクーバー五輪(82カ国・地域2600名)を若干上回る規模の大会に成長してきている。開会式では、IOCの猪谷千春副会長(当時)が挨拶し、IOC委員、IF役員、NOC役員なども数多く出席した。

開会式で挨拶するIOC猪谷千春副会長

開会式で挨拶するIOC猪谷千春副会長(当時)

WG競技から五輪競技になったスポーツは8競技(バドミントン、野球、ソフトボール、テコンドー、トランポリン(ソロ)、トライアスロン、ビーチバレーボール、ウエイトリフティング(女子))あり、2012年のロンドン五輪の新競技の候補にWG競技のスカッシュ、空手、ローラースポーツ、ソフトボール、7人制ラグビーがとりあげられ、最終的に7人制ラグビーが採用される一方、五輪競技からはずされたソフトボールがWGの公開競技に戻ってきたり、WGと五輪との関係は年々深まり、大会ロゴにも五輪マークが使われている。

WGの目的のひとつ「民族、国家間の紛争や思惑に利用されない国際スポーツ大会の実現」は、100%とはいえないものの、今回ぎりぎりの線で一応守られた。大会組織委員会が大会開始直前になって「中華民国 馬英九総統」が開会宣言を行うことを決定し、大会中「中華民国(Republic of China)」の名称を使ったり、中華民国国旗を会場に持ち込むことを許可しても、中国選手団は表立った批判をすることなく、「開会式当日の夜便で到着したために参加登録手続きが間に合わなかった」「帰国便のスケジュールの関係で」などの理由で中華民国の馬英九総統が出席する開会式・閉会式に欠席しただけで、競技には予定通り参加し、モスクワやロスアンゼルス五輪のようなボイコットは起こらなかった。

五輪マークの入った大会ロゴ看板の前で開会宣言する中華民国 馬英九総統

五輪マークの入った大会ロゴ看板の前で開会宣言する中華民国 馬英九総統

次回2013年コロンビア カリWGは初の南米での開催であり、2016年の初の南米での五輪、リオ大会に先駆けての大会であるだけに、WGの存在意義がますます評価される大会になることが期待されている。