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‘16〜20号’ カテゴリーのアーカイブ

2018年平昌冬季オリンピック大会視察報告(2018年2月8-13日)

2018 年 3 月 29 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京特任教授/JOA副会長)

 

1.

南北対話路線、「平和の祭典」を前面に出して政治オリンピックの様相。文大統領の南北政治にオリンピックを利用か。KTXのモニターにも文大統領のメッセージも写し出すし、平和オリンピックのチラシも挟まれていた。しかし、南北合同・統一旗賛成派と反対派の対立は開会式会場前でも繰り広げられていた。いわゆる「南南問題」という韓国内の分断である。多くの警察官達の警備に囲まれて対峙して統一旗反対派が大声を上げていた。ジンブ駅前の横断幕も「平和オリンピック」と謳う。文化プログラムにも「平和」テーマのものも開催。北の美女軍団の応援は開会式でも見られた。あの200人もの座席が最初から準備されていたとしたら、政治の介入は周到なものであったということであろう。開会式のメッセージも、イマジンや平和の象徴であるシンボリックな放鳩にも窺えたし、組織委委員会の会長とバッハ会長のスピーチにもそれがアピールされていた。女子アイホの南北合同チームの2人の選手による聖火リレーにもそれが窺える。

2.

とにかく寒い平昌大会である。風が強いので体感気温もぐっと下がる。しかし、開会式の日だけは風もほとんどなくラッキーであった。完全防寒をしていたが、助かった。しかし、風が強い中の競技の強行は選手にとってはかわいそうであった。風力発電をする様な地区であるから、風が強いことは周知の上での会場整備であったのであろう。種目によって順延する競技と強行する競技があるのは問題かもしれない。

3.

シャトルバスの運営は特にひどい。開会式後の大混乱ぶりはニュースでも報じられた。KTXも臨時便を計画すべきであった。また、各競技が終わりそうな時間に会場近くに多くのバスを待機させておいた方が良い。シャトルバスの総合的な運営と指令がどうなっているのか?またシャトルのボランティアが少なすぎる。会場からバス乗り場までの人の動線も余り考えられていない。競技終了後の出口からシャトルに向かう流れを考えて、乗客の列の作り方など考えた方が良い。TOKYO2020の組織委員会から多くの視察が行っているが、もし専用車の移動ではこのような一般観客の混乱ぶりは体験できていないであろう。一般客からのアンケートやヒアリングはするのだろうか?

4.

文化プログラムの情報がない。やっと入手できたのが文化プログラムの会場内。これでは後手になってしまう。駅前のインフォメーションに大会の全体の情報提供できるような配慮とボランティア配置が必要である。さらに、事前にチケットを買う段階で文化プログラムが分かれば視察の細かなスケジュールも立てられるのだが。今回は平昌宣言に対応して日中韓共同の文化プログラムも実施されていた。平和オリンピックを謳うためか、非武装地帯(DMZ)でのアートフェスタも実施されていたのが興味深かったが、視察していない。

5.

子供たちの参加(動員?)が結構あるようだった。文化プログラムのパフォーマンスと観戦に動員の形のようである。寒い中の動員観戦、子供たちの参加がオリンピック嫌いを作らずに好影響を及ぼすことを期待したい。カンヌンのオリンピックパークには一校一国One School One Nationのパレードも文化プログラムの一つとして予定されていた。残念ながらその情報は現地で入手。その日は山でスノーボードと女子ジャンプの観戦に出かけてみることができなかった。小学生達の演舞も文化プログラムで行われていた。

6.

オリンピックパークやプラザ内の文化プログラムや環境展示はあまり人気が無いようである。特にカーボンオフセットのブースはがらがらであった。一方、スポンサー館には順番待ちの行列ができているので、やはりアピールがうまいのであろう。カンヌンのオリンピックパーク前にあるアートセンターのプログラムを視察にいけなかったのが残念である。

7.

ボランティアは、「アンニョンハセヨ」の挨拶と笑顔で迎えてくれるが、英語を話さないボランティアが多くて困った。神田外語大の学生達(7外語大連携ボランティアは100人参加、その内、神田外語大は50人)は寒いフェニックス・スノー・パークの道案内で頑張っていた。カンヌン駅前には公式ボランティア以外にもNGOの団体がサポートのボランティアに出ていた。日本語が話せるボラは一人だけだったが。

8.

日本人に対しての対応も悪くはない。食事のお店ではi-phoneでの自動翻訳を用いて注文など取っていた。タクシーの運転手も気軽に話しかけてきた。開会式で隣に座った韓国の女性も日の丸を広げて掲げるのを手伝って持ってくれた。しかし、開会式での日本の入場行進では歓声は起きなかった。駅前パフォーマンスも。

9.

カンヌンのオリンピックパーク内のTOKYO2020 JAPAN HOUSEを訪問した。折り鶴の紹介と体験コーナー、ITを用いたアバターでTOKYOの街中を歩く姿を大スクリーンに映し出す趣向、新5種目にビデオカメラに自分のポーズを写し込むという趣向など、様々な工夫で人集めしていたが、TOKYO大会のコンセプトや魅力発信などの試みは見られなかった。

10.

ソウル市内では、ホテル近くの観光交番の横に慰安婦の像が設置されていたし、地下鉄内では竹島(独島ドクト)は韓国固有の領土というモニターでのプロパガンダには、ここまでやるのかという感じがした。

 

 

 

アムステルダム・オリンピックスタジアム旅行記(2017年11月)

2018 年 1 月 29 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京特任教授/JOA副会長)

 

11月9日(木)

 早朝自宅を出てNEXで成田空港へ向かう。JRは料金が高いせいかお客が少ない。チェックインも保安検査場も混んでいない。成田は羽田に比べてなんとなく寂れてきた感がある。カード会社のラウンジは出国前にしかないそうで残念。KLMは初めてなので期待と不安と、、。

 アムステルダムのスキポール空港には福原君一家が出迎えに来てくれていた。お子さんは2才なので夜は食事一緒が難しそう。空港のチケット売り場で3日券と列車のチケットを購入。地域圏の3日券は33ユーロ。中央駅の往復は当日限りなので片道を購入。3人で空港から中央駅へ向かう。15分ほどで到着。アムス市内は生憎の小雨模様。中央駅からトラム2駅でホテルのディー・ポルト・ファン・クレーフに到着。ダム広場の王宮裏でトラム停駅の便利な所に位置した4つ星のホテル、駅前で便利である。チェックイン後、3人でダム広場と記念碑、ジェネバの蒸留所など見学する。その後はダッチ料理のハーシェ・クラースという店を予約してビールにワイン、地元料理を楽しむ。最後にストアで水を買い、ホテルに帰る。福原君とは久しぶりに話し込む。色々苦労があったようであるが、今後の研究生活を期待する。当方は明日からの視察が楽しみである。

 

11月10日(金)

 朝から残念ながら小雨、これが冬のアムステルダムの天候のようである。その中をオリンピック・スタジアムに24番のトラムで向かう。2012年IOCの教育会議以来の久しぶりの再訪である。その時は貸し切りバスであったが、、、。トラムの最寄り駅は「オリンピック・スタジアム」。運転手に確認して下車。スタジアムの入り口の両サイドが工事中である。何か拡張するのかと思う。1928年に初めて聖火が灯された名物のマラソンタワーを写真に撮り、メイン入り口でオランダの国内メダリスト達の名前を確認する。しかしながら、1928年アムステルダム大会の時の記録が刻まれていない。どこかにあるはずであるが,,,。オリンピック・ミュージアムに入ろうとすると鍵がかかっていて入れない。中に人影が見えたので中の女性に聞くと、「オリンピック・ミュージアムはもうない」とのこと。残念である。小雨の中をスタジアムを一周し、1936年ベルリン大会時の樫の木の記念樹を確認した。ヨハン・クライフのコートはサッカーのフットサルコートからバスケのコートに替わっていたのが残念。スタジアムのスタンドの下は民間企業の各種のトレーニング施設やアンダー・アーマーの店になっているようである。ミュージアム跡はまだ形もないが、写真やオリンピックのシンボルマークのIOC旗は壁に掛かったままであった。ごく最近に閉鎖したようである。しかたなく早々にスタジアムを後にしてトラムでホテルに戻ることにする。

バンクーバー・ウィスラーのオリンピックレガシーの旅(2017年9月5日-11日)

2018 年 1 月 29 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京特任教授/JOA副会長)

9月5日(火)

 夜21:50羽田発ANA便のバンクーバー行きで旅立つ。バンクーバーの空港でウィスラーへのシャトルバスでは、カーディフで世話になったIAPSメンバーのアラン・ハードマンと一緒のバスになる。夕方のトワイライトを海沿いに走ってスカミッシュへ。そこから山に登っていく。Whistler VillageのWestin Hotelへ到着。荷物を解いて、街に出かける。食料品店とリカーショップで水とビールを購入し、早速オリンピックメダルプラザまで散策。ここでは、たいした展示もライトアップもなさそうだが、取りあえず写真を数枚撮っておく。

 

9月6日(水)

 JAPANADAという日本語のできるスタッフのいる観光業者のブースがWestinホテル内にあったので、8日の日のバンクーバー日帰りのシャトルバスを予約する。朝9:00前スタートで夕方17:10のダウンタウン発のバスで帰ってくる予定。オリンピック・ミュージアムなどを視察することにしよう。ついでにウィスラーのボブスレー会場への行き方を聞いてバスのダイヤも確認しておく。その後、メダルプラザを再訪して、オリンピックとパラリンピックのシンボルマークや聖火台やステージなどもカメラに収めておく。その後ウィスラー・ミュージアムに立ち寄って2010年のバンクーバー冬季大会時の展示などを見ておく。ここはこぢんまりとしたミュージアムで入場料は無料で寄付金が賄われているようであった。

 国際スポーツ哲学会(IAPS)の学会の開会式ではスカミッシュのネイティブの人達の歓迎の歌で迎えられる。学会会場世話人のジョン・ラッセルから3カ所のお薦めサイト(スライディングセンター、アートミュージアム、スカミッシュの文化会館)の紹介があったので、それらの場所を確認しておく。

 午後の発表をパスして、先ずスライディングセンターへバスで向かう。ここはジョージアのリュージュのノダル・クマリタシビリ選手がコースアウトして亡くなったことで知られる。ウィスラーのバスターミナルから7番のバスで山に登る。5分で終点。そこから10分くらい徒歩で登るとスライディングセンター。コースは工事中であった。フィニッシュは上り坂になっていることに初めて気付く。ここではコースの写真を撮っておく。しかしながら、クーガーが生息している地域であるとの立て札も。バス停には熊に注意の張り紙。やはり野生の動物との共生が課題のようである。5日のハイキングに参加した人達はゴンドラの下に熊がいるのを見たと言っていた。ここには、ビジターセンターのようなものがあったがうっかり立ち寄るのを失念してしまった。その建物の裏手にグリーンのオリンピックのシンボルマークがあったのでカメラには収めておいた。30分に1本しかないバスを待ってホテルに戻り、後半の発表とキーノートを聞く。ケージファイターでもある英文学教授の講演である。バイオレンスの話だが、何故人間はそのような暴力試合を観たがるかの話が無かったのが気がかりであった。

 

9月7日(木)

 メールに返事を書いていると結構忙しく、午前中にスカミッシュのカルチャーセンターを訪問する計画が狂う。コーヒーブレイクから学会に参加することにする。午前中は日本人研究者の発表が多いので、一応皆さんの発表を聞いておく。日本的な発表に関心を呼んでいる外国の研究者も結構いたのがうれしい。昼食を急ぎ摂って、食料品に向かいビールとワイン、つまみのサーモンにお土産のスモークサーモンとチーズを買い込む。

 午後、スカミッシュのカルチャーセンターに畑、高橋の3人で向かう。4時前に付いてみると本日はイベントのため終了とのこと。残念である。少しだけ写真を撮っておく。会議のIDカードがあると少し割引があるとのこと。9日に再訪することにした。続いてAudain Art Museumに向かう。ここも5時までの開館とのことで急いで観て回る。写真撮影がOKなのが嬉しい。このミュージアムと展示品の所有者の奥さんが日本人とのこと。彼女が多額のドネーションをしていたのもうなずける。このミュージアムではネイティブ関係の美術品も多いが、色々な美術品を収集したものをモダンな建物の中に公開している。18CDN+GSTであった。記念に絵はがきを数枚購入しておいた。台湾の知人の遊氏が最後の夜だというので、皆で一緒に部屋でさよならパーティになる。

 

9月8日(金)

 朝からどんより。寒くなって雨になりそうな天気。長袖を着込むとともに、ダウンもザックに詰め込んで、小さなバンでバスターミナルに向かう。韓国の黃さん親子もバンクーバーに向かい、ホテルを変えるとのこと。娘さんがいるのでやはり学会だけでは退屈なのであろう。一緒のバスでバンクーバーへ降りる。途中で雨に変わる。

 ダウンタウンで黃さん親子と別れてウオーターフロントの聖火台の設置場所に向かう。コンベンションセンターの隣の広場に2010年当時のまま残されていた。案内プレートが整備されたことが違うだけか。明日の夜にはライトアップした聖火台の写真を撮りたいいのものである。観光客にはオリンピックのレガシーを確認できる良いモニュメントとなっているようで、記念に写真撮影している観光客も結構いたし、ガイドつけたツアーもいた。

 ウオーターフロント駅まで移動しSkytrainで選手村跡地に向かう。Olympic Village駅で下車し、20分くらい歩くと大会当時の選手村跡地に到着。Athlete Wayなどの名前の通りがあるので選手村の跡地らしい。何か記念のモニュメントが無いかと歩き回ると、Village Square という一角にオリンピック休戦の壁のモニュメントが設置してあった。嬉しい限りであるし、記念プレートにも国連の休戦決議のタイトル「スポーツとオリンピックの理想で平和で良い世界を構築するために」というメッセージが刻まれていた。この公園には大きな小鳥のモニュメントがあったが、オリンピックやパラリンピックのシンボルマークがないのが少し残念であった。隣接するコミュニティセンターの中にはオリンピックエンブレムが飾ってあったので、カメラに収めておいた。

 簡単に昼食を済ませ、リッチモンドのオリンピック・オーバルに向かう。Lansdowne駅で下車し、約15分歩いてオーバルに到着。聖火リレーのモニュメントも飾ってある。カナダのオリンピック選手達のバナーとプレートも誇らしげに飾ってある。入館料はシニアは5CDNで済むので有り難かった。オーバルは半分がスケートリンク2カ所と半分がバスケットコートに替わっていた。ヨガ教室やワークアウトする施設にもなっていた。ここまで変えないと運営は難しいのであろう。オリンピック・ミュージアムは3階の一角にこぢんまりと創られていたが、子供たちが疑似体験するOlympic Experienceを大切にすることを狙った展示であった。車椅子の老人のスタッフが親切に話しかけてきたので、子供たちがたくさん来るかと質問すると、その日の午前中には200人来たそうだ。ワークシートが欲しいというと4-7才用のものをプレゼントしてくれた。嬉しい限りである。いろんな体験が売り物であるようだが、スキージャンプと反応時間のコーナーで挑戦するだけに止め、あちこち写真に収めておいた。どちらかというとカナダの自慢が多いようである。体験とデジタル情報、映像情報が多く使われていた。スポンサードで運営しているようであった。

 SkytrainのLansdowne駅まで歩き、City Centerまで電車で向かう。シャトルバスの乗り場になっているHyatt Regencyで休憩してPCで記録を作成。5時10分発のバスの到着が30分も遅れて気をもむことになる。

 

9月9日(土)

 寒い朝である。12度しかない。日中も最高13度の予報。しかしながら風向きが変わったせいか山が綺麗に見える。遠くの山の上の方には氷河も見えるではないか。今まではガスっていた(アメリカの山火事のせいとJapanadaのスタッフは言っていたが、、。)のが晴れたせいである。カメラに収めておく。この寒い中でも、ホテルの前のゴルフドライビングレンジでは短パンで練習する人達がいる。さすがにカナダ人達である。

 コーヒーブレイク後から学会に参加してオリンピック関係の発表を2本聞く。1本はイスラエル人の学生で、1972年ミュンヘンの「ブラック・セプテンバー」で11人のイスラエル選手団がアラブゲリラに襲撃されて亡くなったことに関する発表である。イスラエル選手団は毎回のオリンピックの大会時に慰霊のイベントを開催しているが、IOCの態度は定まっていないとのこと。この慰霊式の開催は、イスラエルとアラブの国際政治問題にもなる大きな問題であるが、2020年東京大会では一体どうするか、日本の関係者が知っているか心配になる。IOCはアトランタの爆破事件とクマリタシビリ選手も含めてイスラエルの選手達を追悼するモニュメント(スライド)を作成して大会毎に展示しているようである。このモニュメントの扱いも2020年の課題となろう。もう1本の発表は2020年東京大会で追加種目となったスポーツクライミングに関する発表である。チェコのプラハの大学の学生である。伝統的な登山と比較してスポーツクライミングの問題点を指摘していた。IOCが何故このような種目を選んだか聞きたいところであった。伝統的な登山は自然との調和や対話、時には征服などの特徴を持つが、スポーツクライミングは人工的な障害を克服するし、しかも競争という要素を持っている。これら2つを比較すること自体が問題なのかも知れない。人工の壁を決められたルートで何度も登ることができるパフォーマンスと、毎回変わる自然条件の中でルートも定まらない岩場を登る旧来のロッククライミングでは性格が違うからである。岩場登り自体が無くても性格が違うパフォーマンスであろう。

 昼食でIAPSの年次総会を開催し、アラン・ハードマンが次期会長に選ばれた。2018年来年のIAPSの学会はオスロのスポーツ科学大学での開催が正式に決まった。9月5-8日であるが、2点の希望がある。1つは開催時期の表示の仕方である。8日(土)の夜にバンケットがあると9日のチェックアウトになるので、学会期間を5-9日と記載して欲しいこと。もう1点は、会期中にリレハンメルへの小旅行を企画して欲しいことである。そこにはノルウェーのオリンピック・ミュージアムがあるからである。

 午後は2時からのスカミッシュの文化センターのガイド付き館内鑑賞のために時間調整して出かける。外はしとしと雨である。初めて傘を広げる。この雨の中を自転車のロードレース大会が開催されている。少々の雨など全く気にしない自転車愛好家である。当然、マウンテンバイカー達も雨の中、泥まみれになってマウンテンバイクを楽しんでいる。たいしたものである。感心するしかないし、バイク文化の違いを見せつけられたようである。

 スカミッシュのカルチャーセンターでは、先ずネイティブスタッフの歓迎のソングを聴いて、15分のファーストネーションの内の2部族の紹介ビデオを鑑賞する。その後、40分のガイドツアーに参加する。英語の発音があまり良くない女性の案内だったので聞き取れない点が多く残念であった。文化センターなのでアボリジニの人達の生活文化が中心の展示と説明であった。それが芸術的要素も持っているということであろう。杉の皮をなめしたもので小ワークショップも。皮をよじってブレスレットを作成した。良き手作りのお土産になる。写真はたくさん取っておいたし、印象的な絵を2枚お土産に購入してホテルに帰ることにした。

 フェアウェルバンケットの後にハイヤーを畑さんが予約してくれたので、夜9時半のバンで5人でバンクーバーに向かう。途中でウオーターフロントの聖火台に立ち寄ってもらい、皆でライトアップした聖火台を記念に撮影し、宿に向かう。11時半にチェックインし休むだけ。

 

9月10日(日)

最後のバンクーバー。先ず朝タクシーで畑さんのいるホテルに向かう。Lansdowne駅まで歩いてSkytrainでウオーターフロントに向かう。再度聖火台のところで山口さんと小田さんと合流。記念撮影をしたり、水上飛行機の発着を観たりして楽しむ。小田さんとはここで別れて、4人で選手村に向かう。Olympic Village Squareで休戦の壁のモニュメントを再訪。裏面にサインをした人達の名前が刻んであった。これは前回見落としたものである。何人か日本人の名前を見つけるが、ロゲ会長の名前が見つからなかった。2本のモニュメントの片方がオリンピックでもう1本がパラリンピックのサインである。その後、電車でOlympic Oval を再訪。

今回はミュージアムには入る時間が無くRichmondのスポーツの歴史資料を見るに止める。日曜日なので多くの人達がスケートやアイホに訪れていた。大会後の運営はまずまずのようである。ここはバンクーバー大会のスポーツレガシーとなっているように思えた。

ウィスラーではイヌクシュクの石積みモニュメント(バンクーバー大会のエンブレムのデザインの元)を見るチャンスがなかった。またいつかを期待したい。カナダのオリンピック・パラリンピック教育がバンクーバー大会のレガシーを活用されることを期待したいが、Olympic Village Squareが少々寂しかったのが残念であるが、、。

Olympically, NAO

 

 

 

 

 

第180回15周年記念「JOA特別コロキウム」報告

2017 年 8 月 5 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京特任教授/JOA副会長)

 

テーマ:「オリンピックのサステイナビリティ:特に「環境プログラム」に焦点づけて」
・日 時:2017年7月22日(土)13:00-17:15
・場 所:武蔵野大学有明キャンパス 1号館2F 1-207室
・主 催:(特非)日本・オリンピック・アカデミー研究委員会 JOAコロキウム部門
・協 力:武蔵野大学(会場および受付の学生ボランティア、広報等)
・参加費(資料代):JOA会員1,000円、非会員1,500円(学生は無料)
・参加者:約60名(内訳:演者・司会:5名、JOA会員20名、非会員9名、学生16名、ボランティア学生8名、武蔵野大職員スタッフ数名)

<内容>
・総合司会:谷口 晃親(JOAコロキウム部門委員)
・開会式挨拶:坂本 静男(JOAコロキウム部門副委員長)

・13:10-14:10
基調講演:石川 幹子(中央大学教授・環境デザイン・都市環境計画)
テーマ:「五輪の真のレガシーとは」:地球環境時代の東京へ
司会:舛本 直文(首都大学東京特任教授、JOA副会長・研究委員会委員長)

・14:20-17:15
シンポジウム
企画主旨説明:舛本 直文

1.オリンピック環境プログラムの現在
大津 克哉(東海大学准教授・JOA理事)
2.オリンピックの環境問題:札幌1972・恵庭岳滑降競技場建設問題を教訓に
石塚 創也(公財 日本体育協会スポーツ科学研究室研究員・JOA会員)
3.組織委員会の目指す環境プログラム
林 俊宏(公財 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 持続可能性企画課課長)
4.石川 幹子:パネリスト兼コメンテーター

◎パネルディスカッションおよびQ&A

・17:30-19:30
情報交換会:参加者34名
会場:武蔵野大学有明キャンパス1号館13F1-13B会議室
会費:5,000円(学生3,000円)

<概要>
石川幹子先生の基調講演では、「真のレガシー」を目指して、現在建設中の新国立競技場をめぐる環境問題について、何が問題であるのか、どのような対応をすれば良いのかのご提言を頂いた。日本の先人達が文化として築き上げてきた神宮内苑と外苑の「杜」を守るために、人工地盤の上に計画されている偽物の緑化の計画を取りやめ、巨大な歩道橋の階段を緩やかなスロープに変え、暗渠となった渋谷川を地上に再生(水循環の回復)して、周辺の平均気温も下げる(暑さ指数注)平均1.0℃、最大4.6℃程度低くなるという試算)というご提案であった。石川先生は、有明地区のセンタープロムナードの緑化事業(緑の創出事業)の担当者でもあり、これまでの多くの環境計画の実績に基づいた新国立競技場の改善案であり、傾聴に値するご提案であった。哲学無き建設計画は、本物の「杜」の継承に繋がらず、我が国が作り上げてきた文化としての「杜」を受け継いでいくことはできないというご指摘であった。

シンポジウムでは、企画説明の後、先ず、大津会員よりIOCのオリンピック環境プログラムの現状について報告された。IOCの活動の歴史的経過、IOCの取り組みの現状を紹介し、近年は「スポーツと環境会議」が開催されなくなったことも指摘された。環境問題は、「今は大丈夫、先のことだ」として、なかなか自分事にできない性格の問題であるため、理解が進まないこと。しかし本来、アスリート達やスポーツ愛好家こそは環境に敏感であると指摘し、「新しい社会づくりの力=人数X意識X行動」という公式を示して意識改革と行動の必要性を提案した。続いて、石塚会員は、1972年札幌冬季大会の恵庭岳滑降コースの環境問題を材料に、私たちが過去の環境問題から学ぶべきことについて提案された。当時、恵庭岳滑降コースの建設について自然保護の観点から議論がなされ、オリンピックでの使用後にコースを廃止し緑を復元することによって妥協した事例であるが、約束されていた自然の完全復元は未だなされていない。当時の北海道自然保護協会の立場も紹介しながら、開発と環境保護の妥協点を模索する必要があること、札幌では人的要因が環境保護には好条件に繋がったこと、環境保護は持続可能性を向上させる為の必須条件の一つであること、等の指摘があった。最後に、組織委員会の持続可能性企画課の林課長より、東京2020大会の目指す環境プログラム対策の現状と今後の方向性が示された。IOCのAgenda2020の提言4,5および国連のSDGs等の国際的状況にも対応しながら、東京2020大会で求められること、目指すべきことが指摘された。再エネ、省エネ、CO2削減などへの日本の新技術への期待、調達物品等の後利用・再利用の最大化、リサイクルの有用性の再確認、自然との共生などの提案があった他、2017年第1次の運営計画に続いて2018年3月に出される第2次運営計画では、具体的数値目標を掲げて提示される予定も紹介された。中高校生向けのサス・ボランティアを検討していることも紹介された。

全体ディスカッションでは、IOCがオリンピック影響評価研究(OGI study)の変更を提案していることが明らかになった。OGIでは評価項目が多いこと、指標が発展途上国向きであること、期間が短すぎるなどの理由で見直され、IOCの中で検討中であることもフロアから紹介された。環境プログラムと平和との関係について質問が出たり、聖火リレーや聖火台をCO2排出しない方式に変更できないか、ロンドンの環境レガシー評価など、様々な質問が出たりした。時間の関係でフロアとの十分なディスカッションができなかったが、石川先生から纏めとも言える貴重なコメントを頂いた。レガシーキューブを平面化して考えると、有形のレガシーの中で計画的でネガティブなものを考えることができるが、新国立競技場がそれにあたると指摘された。その他、渋谷川やゴミ処理の問題も平面的に位置づけることもできること、さらには時間軸を入れて考える必要性、キューブで抜け落ちているヒューマン・レガシーの発想などを取り入れてレガシーを再考する必要性などの指摘があった。

情報交換会でも、石川先生が手がけられた有明地区のセンタープロムナードの緑化と密かな仕掛けについて紹介があった。様々な方々からスピーチを頂き、有意義な時間を過ごすことができた。武蔵野大学1号館13階の会議室から眺める湾岸の夜景は絶景であり、全面的にサポートいただいた武蔵野大学の教職員学生の皆様に心より感謝申し上げます。最後に、JOAコロキウム部門の皆様のご尽力にも心より感謝して報告を締めくくりたい。

 

 

 

 

JOC「オリンピック・コンサート2017」における広報活動報告

2017 年 8 月 5 日 Comments off

執筆:石塚創也((公財)日本体育協会スポーツ科学研究室研究員/JOA会員)

 

 

今年度のオリンピック・コンサートは、2017年6月9日(金)(18:00開場-19:00開演)に東京国際フォーラムにおいて開催されました。このコンサートは、日本オリンピック委員会(JOC)が「オリンピズム(オリンピック精神)」を多くの方に伝えていく活動(オリンピック・ムーブメント)の一環として主催しているものです。今年は、「つなげよう情熱、輝く未来へ!」をテーマに、6年連続ナビゲーターの藤本隆宏さんの進行のもと、梅田俊明さんの指揮による “THE ORCHESTRA JAPAN”の演奏や、スペシャルゲストの新妻聖子さんと中川晃教さんのスペシャルステージが行われました。また、ゲストオリンピアンの小谷実可子さんや小塚崇彦さん(JOA会員)をはじめ、JOCスポーツ賞で表彰された小平奈緒さん他、多くのオリンピアンも登壇しました。来場者の方々は、すばらしい映像と音楽に浸り、なかなか聞くことのできないオリンピアンの生のトークに感動していたことでしょう。

毎年、JOA広報委員会オリンピック・コンサート部門は、佐藤政廣副委員長を中心に展示ブースを開設し広報活動を行っています。展示ブースでは、聖火トーチの展示やオリンピックに関する知識の提供など、積極的にオリンピック・ムーブメントを展開しています。今年度のJOAブースでは「オリンピックのスポーツプログラム」を展示テーマに掲げ、例年のトーチの展示や、フォート・キシモト様にご協力いただいているパネル展示(廃止された種目と2020年東京大会の追加5種目)とともに、和田拓也会員が作成した「1964年と2020年大会の実施競技種目一覧」と「これまでオリンピックで行われた競技種目の変遷」のポスターの2枚、JOA広報用のポスター3枚を掲示しました。トーチについては、佐藤副委員長の尽力により、アテネ大会(1本)、北京大会(2本)に加えて、ロンドン大会(1本)、リオデジャネイロ大会(1本)の計5本の展示を行うことができました。

展示ブースでは、例年通り多くの来場者がトーチを持って記念撮影を楽しんでいる姿を目にすることができました。これら展示のほかに、日本スポーツ芸術協会のご協力で機関誌『Sport Art 2017』や写真コンテストのチラシ、JOAオリンピック小事典のPRチラシなどの配布も行いましたが、用意した約300部をコンサート開演までに全て配り終えることができました。特に今年度は、来場者とポスターの距離が遠いという課題を克服するため、写真1の通り「ポスターゾーン」と「トーチゾーン」を分離するという、これまでにない試みを行いました。その結果、来場者にはポスターをじっくりと眺めて頂くことができたようです。その他、今回は新しい試みとして『JOAスポーツ小事典』も隣の売店で即売して頂きました。ご協力に感謝します。

当日は、JOA会員や学生の方々、その他多くの方々にご協力をいただきました。ご支援いただいた企業の皆様にも、心より感謝申し上げます。

 

【協力スタッフ】
学生スタッフ:東海大学7名、武蔵野大学1名、首都大学東京2名、

聖火トーチ6本協力:サムスン電子ジャパン(株)、日本コカ・コーラ(株)、(株)Panasonic
写真パネル展示協力:(株)フォート・キシモト(松原茂章会員)

【JOA広報委員会オリンピック・コンサート部門委員】
委員長:來田享子、副委員長:佐藤政廣、委員:青柳秀幸、飯塚俊哉、石塚創也、大津克哉、木村華織、谷口晃親、舛本直文、和田拓也

 

 

 

2017年トリノの平和運動レガシー視察記

2017 年 3 月 31 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京特任教授/JOA理事)

 

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トリノ大学のオリンピック研究センターOMEROにて所長のPiervincenzo Bondonio 氏とDavide Cillilo氏

 

2017年2月24-26日の3日間、2006年冬季オリンピックを開催したトリノ市内の平和運動を視察するために、11年ぶりにトリノを訪問した。研究センターのOMEROと選手村跡地の視察を中心に報告してみたい。

2月24日(金)OMEROとSERMIG,トリノUrban Center

朝、駅前からトリノの街中を歩いて目指すはトリノ大学のオリンピック研究所であるOMERO( Olympics Mega Event Research Observatoryオリンピックメガイベント研究センター)。街の中央にあるローマ通りを通り、有名なサン・カルロ広場を抜けて王宮前のカスッテロ広場へ。そこから名物のモーレ・アントレリアーナの高い塔の前を通り、約45分でトリノ大学の新キャンパスに到着。近代的な建物でできたモダンなキャンパスである。法学、経済などの文系のキャンパスである。構内に入ってOMEROのある第3ビルに向かう。建物内には多くの若者が並んでいる。聞くと高校生へのオリエンテーションだそうである。受付でD3、2階のルーム#8迄案内してもらって、ようやくOMEROに到着する。

Piervincenzo Bondonio(通称Pier)氏は名誉教授でOMERO所長。ポスドクのDavide Cilliloがサポートについてくれた。中心課題は、トリノ冬季大会の際に選手村に設置された「オリンピック休戦の賛同のサインの壁」の所在。これを彼らに聞くが、彼らはこれが存在したことすら全く知らない。大会時にRAIというテレビ局ラジオ局内に設置された大きな「休戦ノート」のことも知らないという。それらの写真を見せたのであるが・・・。

続いて、2006年トリノ冬季大会のレガシーについて質問する。OMEROの性格から言って、基本的には社会の発展と経済効果等の関心が強いようである。英文で書いたものがあるので希望するものは後日に送ってくれることになる。質問の主な回答は以下の通りである。

大会後はオリンピック施設の後利用が官民合同で進められたこと。ジャンプ台やボスレー会場などの活用をOMEROが提案したこと。オリンピック教育のレガシーとしては、トリノ大会後にユニバシアード、マスターゲーム等の様々なスポーツ大会が開催されたこと。今トリノ市はヨーロッパのスポーツキャピタルとして位置付いているという。学校ではミニオリンピック大会という名前でイベントをすることをIOCが認めたとも言っていたが、これにはIOCの承認がいるのかと不思議に思った。

Pierはこれ以外にSERMIGというトリノ発祥の平和運動団体を紹介してくれた。そのうえ、施設まで一緒に歩いて案内し共に視察してくれた。SERMIGは第2次世界大戦時の兵器工場跡に再建された平和運動団体である。そのためPeace Arsenalと称していた。案内してくれたマティアという若者がこの組織の変遷を語ってくれたが、基本的な活動は難民や世界の貧困層を支えているボランティア団体である。常時100人のボランティア達が活動し、難民達の能力アップや生活していくための支援をしているそうである。マティアは「これらの活動は、慈善ではなく何が正しいかと自分自身に問うて行動することが大切だ」強く語っていたのが印象深かった。

SERMIGは2006年のトリノのオリンピックの時には何をしていたか、と私がマティアに質問すると、毎日の平和支援活動のルーティンを淡々と行っていたとのこと。世界の貧困や難民との戦いはオリンピックとは関係ないというスタンスであった。これにはいささかショックでもあった。軽い昼食を社員食堂でご馳走になり。Pierが午後にアレンジしてくれていたUrban Centerへ向かう。

Urban Centerでは、韓国からの視察団の前にガイドに少し時間が取れるので、質問することができるという。Chiara Lucchiniというガイドさんに詳しくオリンピック後の街の再開発について説明を受ける。英語版の冊子があると言って探してくれるが、なかなか見つからず残念であった。彼女は、トリノ大会後にはオリンピックの選手村跡には休戦の壁など無いと言っていた。これに関しては26日に確認することにした。

トリノの都市開発のレガシーとして、先ず、都市交通などのインフラの整備が進み、地下鉄のように交通の地下化が進んだこと、第2に工場群の再配置で郊外に進出したことで、その跡地に文化施設や住宅や事務所群、公園などが建設できたこと、第3に、街のリカバリーと言っていたが、クリーン化やペデストリアン設置、駐車場の地下化などが進んだこと、第4にトリノ市に新たな関心が高まったことで、サボイ家の観光施設や新しい経済が発展したこと、第5にユネスコから2016年にデザイン・キャピタルの認定を受けたとのことである。肯定的なレガシーばかり強調していたが、彼女の専門は都市開発であって平和レガシーには専門外だと語っていた。

 

2月25日(土)Pier氏宅にて再度インタビュー

昼食をOMEROの所長のPier宅に招待される。再度、オリンピック休戦の壁について話し合う。トリノ大会の組織委員会委員長であったカステリアーニ元市長にメールして聞いてくれたとのこと。カステリアーニは、最初は休戦の壁など記憶に無かったと言うことだったが、再度聞くと思い出したそうである。そして、その休戦の壁の後利用ができなかったのが残念であるとのことであった。Pierは、これらは一過性の平和運動だと行っていたが、私はオリンピアン達のサインは大切なお宝であり、子供たちへの教育に有効活用しないのはもったいないこと、バンクーバーはハイチの地震への義援金のためにオークションに掛けて売ってしまったこと、ロンドンは半分の5本をローザンヌのミュージアムに展示して活用していることなど話しておいた。

 

2月26日(日)選手村跡地訪問

今日はトリノのオリンピック選手村を訪問して、オリンピック休戦賛同の壁がないことを確認することにした。メトロのLingotto駅まではすぐたどり着くことができたが、その先、元オリンピック選手村まではなかなかたどり着けない。メトロを降りて、案内版がないためにぐるっと7,000歩もあるいてようやく選手村跡にたどり着くことに。予定外の散歩となる。それは地下鉄の駅を降りての表示の悪さが原因である。自動車博物館が示されているところまで行っても選手村跡地の表示はない。とうとう約1時間大回りをして列車のLingotto駅に到着。その先がトリノ大会のメイン選手村跡地である。メトロと列車のLingotto駅はずいぶん離れているのだ。

都市開発センターの彼女が成功例の一つとしてあげていたのと様子が違い、選手村跡のビルのカーテンにはビニールがかかっており、壁ははげ落ち、階段のコンクリートもはげ落ちる有様である。とても成功した例とは思えないような貧民街化した街のようである。空き室も多く目に付いた。共通スペースらしきところは落書きだらけである。希望の橋であるオリンピックアーチと線路をまたぐ陸橋は健在であったが、動く歩道はストップしたままであった。歩道を渡ったその先はショッピングモールになっている。メトロの終点駅を降りたときにはこのようなショッピングモールの全く様子が分からず、前方にどんどん歩いて行ったのが失敗であったことに気付く。

元選手村がまさに貧民街化しているのが非常に残念な限りである。共通スペースの建物の壁にわずかに2006TORINOの文字の痕跡があったのでカメラに収めておく。当然、オリンピック賛同の壁など跡形もない。オリンピックの時に架けられたメトロのLingotto駅と選手村を結ぶ「希望の橋」を渡る時、遠方にアルプスの山々が見えた。この陸橋を渡る途中からはLingotto Ovalが見えた。何かイベントを行っているようであった。このOvalまで2006年には観戦に来たことを思い出した次第である。この希望の橋を渡った先のショッピングモールにはユベントスショップがあり、孫用にユーベのTシャツを購入。道を迷ったが、せめての幸運である。

 

所感:
今回は山岳地帯の2つの選手村跡地には訪問していないが、トリノ市内のメインの選手村跡地を訪問した。選手村の造りや色使いはモダンな感じであったが、貧民街化しているような寂れ方にはいささかショックを受けた。共通スペースは使用されておらず、落書きだらけ。当然、「オリンピック休戦賛同の壁」など残されてはいない。RAIの「休戦賛同ノート」もどこに消えたのか? トリノ市内のオリンピック平和運動のレガシーが感じられなかったのが残念である。

一方で、Peace Arsenalのようなボランティアの平和支援団体の存在にトリノ市の強さのようなものも感じた。OMEROは大学の方針とも合わせてオリンピック中心の研究所ではなくなったとのこと。名前もInterdepartmental Research Centre on Urban and Event Studiesと変更したとのこと。これもオリンピック・レガシーという観点から見れば、残念な事態であろう。さて、2020年東京大会の平和レガシーはどうなるのであろうか?

 

 

2017年2月シンガポールのスポーツハブ視察記

2017 年 3 月 31 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京特任教授/JOA理事)

 

 

2017年2月3日(金)

シンガポールのSport Hubの2度目の見学である。この施設は、メインスタジアムの他に、水泳施設、屋内競技場、サッカー場にテニスコート、レガッタ施設などほとんどの競技施設が集まっている。ショッピングモールの中心にはスポーツクライミング施設が設置され、多くの若者が挑戦しているのがよく目立つ。このハブは、ショッピングモールにレストラン、温泉にシアターなどの複合施設で公共交通機関のMRTも走っている。NOC、NPC、スポーツ科学研究所やトレーニング施設、各競技団体の事務所も入った総合スポーツ施設である。これがシンガポールのスポーツ界には良い環境を提供することになっているのであろう。

今回は特にスポーツミュージアムを中心に見学した。ガイド付きのツアーを友人のKimさんが用意してくれている。同じCHIJ小学校の体育教師のValerieが同行してくれた。ガイドにこのミュージアムのコンセプトを尋ねる。展示はシンガポールスポーツの歴史と発展を中心に、子供たちが興味を持って学べるように心がけているとのこと。さらには子供たちがチャンピオン達に触れてこの先のインセンティブになり、選手を目指したり支えるボランティアになったりするようなマインドを育てることと、ガイドもKimさんも話していた。Valerieによれば、多くの小学校や中学校の体育の授業で見学にも来るとのことである。子供たちは入館料が無料である。

ミュージアムの入り口には旧スタジアムのベンチを再生した壁が出迎えてくれる。その先には、シンガポールのスポーツ殿堂Hall of Fameに入った52名を称えたプレートが飾ってある。シンガポール初のオリンピックメダリストのTAN HOWE LIANG氏の名前もある。1985年に殿堂入りしている。この殿堂にはオリンピックのメダリスト、アジア大会、コモンウェルス大会の金メダリストが名前を連ねることができるそうである。Kimさんの親族達の名前もあった。

Sport Hubのwebsiteには常設展示の5つのテーマが掲げられていた(巻末参照)。ミュージアムの入り口にはサッカーボールの皮でできたオブジェ。ミュージアム内の展示はシンガポール初のスポーツクラブなど、、。やはり英国統治下の影響が強いスポーツであるヨットや乗馬などのクラブの展示が先である。水球には力が入っているようで、Kimさんの義父のTAN HWEE HOOK氏や甥御さんのTAN ENC=BOCK氏も殿堂入りしていた。さらに、彼らのメダルや水着も展示してあった。メダルなどは寄付ではなく借用しているとのこと。昨年のリオ大会の水泳競技でオリンピック初の金メダルを獲得した選手のメダルや展示はまだであった。おそらく今年に殿堂入りするだろうとはKimさんの談。彼はテキサス大学に留学し、今もそこでトレーニングしているとのこと。

旧スタジアムの入り口のマシンやベンチ、照明やアナウンススピーカーなど旧スタジアムの遺品をレガシーとして展示もしていた。現在のメインスタジアムは旧スタジアムの跡地に作られ、開閉式のルーフでコンサートなどもできるようになっている。足下からは冷気の空調も完備されている。

ミュージアムの展示には、スポーツ競技だけでなく、シンガポールのスポーツ教育用の展示パネルも多い。人権やアンチドーピング、フェアプレーなどの啓発パネルも飾ってある。ミュージアムの中心部は2010年のYOG関係でまとめられている。中には、オリンピック大会の公式ポスターやトーチも(すべてではないが)飾ってある。3台の大きなビデオスクリーンも設置され、その一つでYOGの開会式の映像を映し出している。最後にシンガポールYOGのマスコット達の所で記念撮影である。

時間が無いのでSHIMANOの自転車ミュージアムはざっと済ます。Kimさんが私の自宅の場所を知りたいというのでGPSの画面で教えてあげる。その後はメインスタジアムの見学である。スタジアムの座席は赤と白のシンガポールのナショナルカラーで彩られ、開閉式のルーフと座席に下から冷気が出て暑さ対策もしっかり取られている。サッカーなどの時には55,000人収容のスタンドに仮設の座席を増設できるそうである。障害者の車椅子用の観戦スペースも多く取られている。ここでは陸上、ラグビー、サッカー、コンサートイベントなどに使うそうである。スタンド外のコンコースは3色のレーンで、w-upや一般の人たちも走れるようになっている。

シンガポール・スポーツミュージアムのサイト
ttp://www.sportshub.com.sg/Venues/Pages/singapore-sports-museum-permanent-galleries.aspx

 

 

 

 

 

 

 

2016年2月JOA特別コロキウム報告

2016 年 3 月 22 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京教授/JOA理事)

 

 

・日 時:2016年2月7日(日)14:00-17:00
・場 所:学習院女子大学 7号館734室
・参加者:31名
・内 容:大学連携事業第2弾
・テーマ:「2012ロンドンから2020東京へ:大学のコントゥリビューションを学ぶ」
・企画・司会:舛本 直文(首都大学東京、JOA理事)

講演1.大学および学生たちのオリンピック・パラリンピック大会への参加
Engaging colleges, universities and students with the Olympic and Paralympic Games
演 者:PODIUM前事務局長 Matthew Haley 氏(現UK Sport)

講演2.「英国における⾼等教育部⾨の研究能⼒強化に 向けた2012 年ロンドンオリンピックの活用:2020 年東京⼤会への教訓」
Leveraging the 2012 London Olympics for building research capacities in the UK Higher Education sector: Lessons for the 2020 Tokyo Games
演 者:Brunel大学Leader Vassil Girginov(昨年招聘者)

討 議

交流会(クローズド・ディナー)

はじめに

 2020年東京オリンピック・パラリンピック大会関連のニュースが新聞の紙面やテレビ画面を賑わせている。東京都のオリンピック・パラリンピック教育も提言をまとめ、さらに東京都の2020年への取り組みも策定された。2020TOKYO組織委員会もアクション&レガシープランの中間報告をまとめたように、多くの方針が定められつつある。各大学も組織員会と連携しながら、また独自の取り組みも展開しているところである。しかしながら、まだまだその具体的な取り組み案が見えてこない状況にある。

 そこで、(公財)全国大学体育連合の研究補助金、首都大学東京の研究費も合わせて、平成26年度(NPO)日本オリンピック・アカデミー(JOA)の特別コロキウムの一般開放フォーラムとしてオリンピック・パラリンピック大学連携関連でシンポジウムを開催した。特に、2012年ロンドン大会時の英国大学連携組織であるPODIUMの元事務局長のMatthew Haley氏(UK Sport)を大学連合の研究補助金で招聘し、PODIUMの実務担当者の立場から事務局の具体的な活動や課題について情報提供を得た。また、昨年度のJOA特別コロキウムの招聘者でもあるVassil Girginov氏(Brunel大学)を首都大学東京の「2020未来社会プロジェクト」の研究費で招聘し、2012年ロンドン大会がイギリスの各大学の研究面に与えたインパクトに関して行った調査研究に焦点を当てて情報提供を得た。両氏からPODIUMの情報提供を得ると共に、2020年東京大会に向けた日本の大学連携のあり方について情報交換と議論を深めた。

1.講演1:Matthew Haley氏の講演から

 組織と活動:英国政府のPODIUMへの資金援助は2007~2013の7年間、94%の大学が2012年ロンドン大会関連プロジェクトを実施、190のプロジェクトが2012年ロンドン大会のInspire Markを使用、各大学は働き手・ボランティア・施設・専門家を提供、25,000人の学生と新卒者がボランティアに参加、10,000人の学生がセキュリティ担当と案内役になった、大学が提供したトレーニング・キャンプは60以上、国内18大学のボランティがインタビューを受け、50,000人のボランティアがオリンピック公園近くのコミュニティカレッジでトレーニングを受けた。大学が研究に参画した分野: スポーツでは、オリンピック・スポーツ、パラリンピック・スポーツ、スポーツ科学、障がい者スポーツのクラス分け、スポーツ・カウンセリング、支援技法、アスレティック適性(athletic identity)。大会運営面では、デザイン、組織、施設、運営、マーケティング&ブランディング、市民の関心、市民の満足度;大会によるインパクト面では、都市再開発とレガシー、スポーツ参加、健康増進、雇用、ボランティアに関する諸研究が実施された。

 PODIUMの提供サービス:大学が2012ロンドン大会組織委員会・パートナー・スポンサーを支援できるよう、また逆方向の支援も可能となるように仲介。サポートとアドバイスでは、アイデア提供と良い実践の共有化を計った。ウェブサイトおよびE-メールニューズ・レターによって6,000人の登録者に情報発信。国内に半期ごとのマガジン発行。オリンピック専門研究家のウェブサイトを構築し、450大学のスタッフ、教育・研究者を掲載して情報提供と仲介。2009, 2010, 2011年には年次学会大会を大学などのショーケースの場として開催。2012年の大会年にはベストプロジェクトの表彰、英国内の地域イベントで大学などのショーケースの場の提供、ボランティと従業員のリクルートである。大会開催中には、大学の活動成果を公表するために毎日PODIUMニュースを配信した。

2.講演2:Vassil Girginov氏の講演から

 これは講演者のGirginov氏と筆者(舛本)及び本間恵子氏の協同研究の成果報告でもある。本協同研究の目的は、(1)英国の⾼等教育機関が2012 年ロンドンオリンピック・パラリンピックをどのように活⽤して、研究・教育能⼒を⾼めたのか、その戦略、プロセス、メカニズムは何か、(2)2012 年ロンドン⼤会から教訓を導き出すこと、(3)日本の⾼等教育界が課題を検討できるようにすること、の3点であった。

 Girginov氏の講演によれば、2012年ロンドン大会時に高等教育機関が⽤いた能⼒強化の活⽤プロセスは以下の6点であった。(1) 新設コースの導入・活用、研究・教材等のリソース、新たな交流を通して学⽣の体験を⾼めること、(2) オリンピック研究プロジェクトへの参加機会や学生に適した奨学⾦提供による⼤学院における研究活動の向上、(3)さまざまな政府機関や寄付財団、⺠間企業、組織委員会に対するコンサルタント、(4) オリンピック関連の研究・教育活動や学⽣の競技成績、地域貢献活動を発信することによるイメージ構築、(5) 研究活動やサービス提供を通じたリソースの作成、(6) 公的機関やNPO、⺠間企業とのパートナーシップの構築である。

 一方、高等教育機関が能力強化のために用いた活用メカニズムは以下の6点であった。(1)組織内部あるいは組織間の機能や相乗効果を⾼めることができる研究資⾦の申請、(2)新しいコースの提供、(3)公開講座の提供によるコミュニティとの関わり、(4)学生とスタッフによる大会時・大会後のボランティア、(5)知識の普及・共有のための学会やワークショップの開催、(6)全国と地域のプログラムに関与して学生とスタッフの参加を促すこと、である。⾼等教育機関のコアとなる能⼒のうち、オリンピック活⽤による好影響の最たるものとして、「発展的な結果を出せる能⼒」「関連づける能力」の2つの能力が重要であるとの指摘があった。

 2020年東京大会への教訓として、(1)オリンピックに関する教育研究関連の取り組みをできるだけ早くから実施すること、(2)多様な活動やリソースを調整するための運営グループを大学内に設立すること、(3)能⼒強化のニーズを⾒極め、重要な戦略的⽬標に研究・教育計画を合わせること、(4)⼤学全体で研究・教育活動に責任を持ち、オリンピックやスポーツ以外の部署・スタッフを教育すること、(5)研究・教育へのインパクトを⽰すことは、組織や政府の⽀援を継続的に得るために重要であるため、教育研究活動を定期的に監視・評価し、信頼に足る情報を提供し、賛同者達に明確な根拠を与え、計画を修正できるようにすること、の5点が指摘された。

 本フォーラムでは、ディスカッションも含め2020年東京大会への示唆として、以下のような結論を得た。組織的には、専従の人員確保と英国政府からの補助金による運営、事務所の設置やLOCOGとの連携が重要である。特に、第2エンブレムとしてInspire Markの使用、e-mailアカウントにac.の利用による信頼性の確保による効果が大きいこと。プログラム的には雇用やボランティアの組織化とトレーニング、情報発信と共有化や、good practiceの表彰などインセンティブにも配慮したプログラム展開が効果的であるようである。情報発信にはSNSやwebsiteが重要なツールであり、そのシステム構築が肝要であろう。

 日本の大学連携へのレッスンとしては、事務局の人的・物理的組織化と予算化、事務局常駐者によるSNSを駆使した情報発信、イベント企画や学会などの会合調整、組織員会や各種団体との連携など、多くの課題があることが浮き彫りになった。

 (付記:なお、この特別コロキウムは、JOAコロキウム部門の定常経費の他、(公社)全国大学体育連合の大学体育研究補助金の一部と首都大学東京「2020年未来社会研究プロジェクト」の助成金の一部を用いて開催された研究フォーラムである。)

JOC「オリンピックコンサート2015」報告

2016 年 3 月 22 日 Comments off

執筆:和田拓也(中京大学大学院/JOAオリンピック・コンサート部門委員)

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 今年のオリンピックコンサートは、2015年6月12日(金)(18:00開場-19:00開演)に東京国際フォーラムにおいて開催されました。このオリンピックコンサートは、日本オリンピック委員会が、「オリンピック精神」を多くの方に伝えていく活動(オリンピック・ムーブメント)の一環として主催しているものです。今年は、「つなごう、聖なる炎!」をテーマに、藤本隆宏氏ナビゲーターのもと、梅田俊明指揮による “THE ORCHESTRA JAPAN” (2015年度春に新しく設立)の演奏やスペシャルゲストmiwaさんのスペシャルステージが行われました。また、ゲストオリンピアンの上村愛子さんや宮下純一さんをはじめ、多くのオリンピアンも登壇されました。観客はオリンピアンのトークと共に、約2時間半の映像と音楽の共演を楽しむことができました。

 JOAは今年も、広報委員会のオリンピックコンサート部門の佐藤政廣副委員長を中心に、展示ブースを設置してJOAについて広報するとともに、オリンピックに関する知識の提供の面でのオリンピック・ムーブメントを展開しました。

 展示ブースは昨年度より縮小しましたが、JOAのポスター2枚に加えて、フォート・キシモト様に協力いただき、ギリシャでの聖火の採火写真や各大会の聖火台のポスターなどを展示しました。また、昨年同様トーチの展示も行いました。トーチは佐藤副委員長の尽力により、昨年のアテネ大会(2本)、北京大会(2本)に加えて、ロンドン大会(1本)の計5本の展示を行うことができました。

 これら展示のほかに、JOAの冊子、パンフレット、聖火や聖火リレーに関する知識を盛り込んだチラシの配布も行いました。配布物は約200部用意しましたが、開場30分ほどで全て配り終えてしまいました。より多くの方に持って帰っていただくことも考えると、来年以降、配布物の量を増やすことも検討する必要があると思われます。

 今年のコンサートは、平日の開催であることやオリンピック大会の合間ということなど様々な要因もあり、来場者数が少なく、空席も目立ちました。しかしながら、JOAのブースの前では、例年通り多くの来場者がトーチ展示やトーチを持っての記念撮影を楽しんでいる姿を目にすることができました。そのため、今年のJOAの広報活動ならびにオリンピック・ムーブメントの展開も成功裡に終わったと感じています。

 当日は、多くの学生や荒井専務理事はじめ、オリンピックコンサート部門委員以外の方々にもご協力いただきました。また、ご支援いただいた企業の皆様にも心より感謝申し上げます。

 

【協力スタッフ】
学生スタッフ:東海大学6名、学習院女子大学・大学院3名、首都大学東京1名
聖火トーチ5本協力:サムスン電子ジャパン(株)、日本コカ・コーラ(株)
写真パネル展示協力:(株)フォート・キシモト(松原茂章会員)

【JOA広報委員会オリンピックコンサート部門委員】
委員長:來田享子、副委員長:佐藤政廣、委員:石塚創也、大津克哉、木村華織、舛本直文、和田拓也