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史上最大の規模となった北京オリンピック

2008 年 12 月 27 日 Comments off

-中国の、中国による、中国のための“世紀の祭典”-

   

執筆:伊藤 公 

(写真撮影・提供:舛本直文氏)

 

 第29回オリンピック競技大会(通称・北京オリンピック)は、2008年8月8日(金)より24日(日)までの17日間、中国の首都・北京市を主会場にして開催された。この北京オリンピックには史上最多の204の国と地域から11,000人近い選手が参加し、28競技302種目が実施された。前回のアテネ大会の参加国・地域は202、実施種目は301なので、そのいずれにおいてもアテネ大会を上回り、史上最多を記録した。

 北京市が第29回夏季オリンピックの開催地に選ばれたのは、7年前の2001年7月、モスクワで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会の際だった。この時は大阪府が立候補していたことと、21年間IOC会長として君臨していたサマランチ会長の後任者を決める選挙も行われるために、オリンピック・ウォッチャーの私はモスクワまで出かけ、一部始終を取材した。
 その8年前の1993年9月、モンテカルロで行われたIOC総会の際に20世紀最後の大会となる2000年の第27回夏季大会の開催地に初立候補した北京は、決選投票でシドニーに43票対45票の2票差で負け、涙を飲んだ。したがって第29回夏季大会への立候補は、中国が21世紀へ賭ける最大の挑戦だったともいえる。この時に立候補したのは、北京、大阪のほかにトロント、イスタンブール、パリの5都市。大阪は1回目の投票でわずか6票しか獲得することができずに早々に落選したが、北京は2回目の投票で過半数の56票を獲得し、トロント(22票)、パリ(18票)、イスタンブール(9票)を引き離して楽勝した。
 サマランチ体制下の当時のIOCは、全世界人口65億のうちの5分の1にあたる13億を誇る中国の偉大なマーケティング市場に狙いをつけ、その結果、北京を楽勝させたと、私は見る。

アクアキューブ前の広場。北京大会を歓迎する市民の風景

アクアキューブ前の広場。北京大会を歓迎する市民の風景

 しかし、その時点から、民族・人種・宗教などの人権問題、急激な発展による大気汚染や交通渋滞問題、国民・市民のマナーの悪さなどが懸念されていた。「2008年大会の開催地は北京に決まったが、根本的な人権問題や大気汚染問題などで解決しなければならないことが山積している」と、当時のカラードIOC事務総長は釘を刺していた。が、「本番まではまだ7年もあり、解決できる」との中国側の弁解に、今にして思うと、IOCサイドも国際スポーツ界も楽観視していたのではないかと思う。

 7年の歳月はまたたく間に経過した。その間、北京市内の大気汚染はますます進み、食の安全が話題となり、チベット自治区では暴動が勃発した。さらに137,000㎞に及ぶ聖火リレーは物々しい警備の中で行うことになり、60,000人以上が犠牲となる四川大地震が発生するなどして、北京オリンピックの前途に暗雲が漂った。しかし、一大国家事業として位置づけている”世紀の祭典”を成功させることに意欲を燃やす中国は、国家の威信をかけて開幕に漕ぎつけた。
 こうして北京オリンピックは、何はともあれ、2008年8月8日(金)午後8時にスタートが切って落とされた。

 史上最多の576名の代表選手団を編成し派遣した日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆和会長は、「運営面では混乱なく無事終了した。大気汚染、食の問題、輸送など心配なく終わったのは何よりだった」と語ったあと、「とにかく、中国が威信を賭けた大会だった。中国が大国であるということをアピールした17日間だった。選手村の宿舎、食事面は完璧だった。評判がすこぶる良かった。各競技場の施設も非常にレベルが高く、陸上や水泳で記録ラッシュに沸いた。135のオリンピック新、43の世界新が生まれた」と評価する。竹田JOC会長が言うように、北京オリンピックは、関係者から見れば、素晴らしい大会だったのかも知れない。
  だが、大会関係者以外の一般の人たちの評価は決して良くはない。北京在住の日本人はかなり多いが、日本選手の活躍するシーンを実際に観戦した人は少なかったような気がする。隣国で行われたオリンピックにもかかわらず、日本人観光客が意外に少ないことに驚いたものだ。中国国民はもちろんのこと、一般観客にとって、北京オリンピックはセキュリティが厳しく、窮屈な大会だった。

開会式会場入り口のセキュリティチェック。顔写真を撮られる筆者

開会式会場入り口のセキュリティチェック。顔写真を撮られる筆者

 それはともあれ、北京オリンピックで、中国はアメリカを追い抜き最多の金メダルを獲得するのではないかと私は予想し、そのことを多くのメディアに公表していた。私のその予想は的中したが、2位のアメリカに15個の差をつけるとは思ってもみなかった(金メダルの数は、中国の51個に対してアメリカは36個)。メダル総数は中国の100個に対してアメリカは110個。慣例によると、成績は1位は中国で2位はアメリカ、3位はロシアということになる。北京オリンピックは、名実ともに、「中国の、中国による、中国のためのオリンピック」だったと言える。
 注目すべきことは、前回のアテネ大会で10位だったイギリスが、金19、銀13、銅15、計47個のメダルを掌中にし、4位に躍進していることだ。16年前の1996年のアトランタ大会では金1個、メダル総数で16個だったイギリスの健闘ぶりに驚いた。4年後の2012年の第30回ロンドン大会を4年後に控えたイギリスは、この4年間で414億円の強化費を注ぎ込み、ロンドン大会までには520億円の強化費を計上しているという。オリンピックはもちろん、メダルを獲得することがすべてではないが、国興しをオリンピックに委ねていることも間違いあるまい。 

 576名の代表選手団(そのうち選手数は339名)を派遣した日本は、福田富昭団長のもと前回アテネ大会の金16、銀9、銅12、計37個のメダル獲得を目指して頑張ったが、結果は金9、銀6、銅11の計26個のメダル獲得にとどまった。福田団長は「目標には届かなかったが、日本はよく戦った」と評価している。339名の日本選手の中にはベテランが多く、金メダル9個のうち、7個は2連覇だった。ということは、各競技種目とも、選手の新陳代謝がなかったことを意味する。が、8位までの入賞者数はアテネ大会と同じ77で、次回大会に希望をつないだ。

 最後に、今回の北京大会と前回のアテネ大会の上位20カ国のメダル獲得数比較表を掲載する。これを見ると、2つのオリンピックで順位の変動はあるが、上位10カ国の顔ぶれは同じであることがわかる。この傾向は、4年後のロンドン大会にも続くのだろうか?

 メダル獲得数上位20カ国の2大会(北京・アテネ)比較表