アーカイブ

‘11〜15号’ カテゴリーのアーカイブ

南京ユースオリンピック大会の開会式:平和運動の不在

2015 年 3 月 31 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京/JOA理事/オリンピック研究委員会委員長/オリンピック・コンサート部門委員)

 

 2014年8月16日夜、小雨降る南京市のオリンピックスタジアム、習近平国家主席の参加のもと、13日間に及ぶ第2回夏季ユースオリンピック大会(YOG)の開会式が挙行された。この開会式は、2008年北京大会と同様、中国が国家の威信をかけた政治オリンピックの縮図であったといってよい。それは、大会の運営面、新地下鉄建設など南京都市開発面、警察・軍隊・大学生ボランティアなどの人員動員面、巨大展示会等の関連イベント面、Google、twitter、FacebookなどSNSが使用できないというメディア統制面など、あらゆる側面に反映されていた。
ここでは、現地調査した開会式に焦点を当ててみたい。中国の愛国主義、反日教育などオリンピズムというオリンピックの理念に逆行する側面が多々見られたからである。

 開会式会場は3時間前の夕方4時にオープン。中国流の巨大なスポーツ施設群を抱えた広大なオリンピック公園である。その会場内に文化プログラムや市民交流サイトが併設されていないのが残念な限りである。開会式のチケットは記名式で身分証明書も必要であった。軍や警察の厳重な警備体制に加え、外国人には特別な箇所にてパスポートチェックが要求された。セキュリティの1次関門で厳しいテロ対策が取られているのである。当然、食料と水は没収。これは、安全管理のためだけでなく、公式スポンサーの場内販売権利の保護のためでもある。
座席には開会式グッズの入ったバッグが置かれている。その中には、演ずる観客として必要な小道具のほか、水やウエットティッシュ、ビニールの雨合羽なども入っている。開会式グッズに関する情報提供が全くなかったので、観客は準備物に苦労することになる。これを好例として、今回のYOGでは観客に対する情報不足が随所に見られたのが残念であった。
プリゲームショーでは、子どもたちの演技が中心。蛇踊り、一輪車、マーチングバンド、チアリーダー、ラテンダンス、ロックバンドなど多彩な演技で開会までの待ち時間を飽きさせない。ただ残念なことに、小雨で足下が滑るため、転ぶ子どもが続出。

 習国家主席がスタジアムに登場する姿がスクリーンに映し出されると、割れんばかりの大歓声があがる。一斉に写真撮影も。開会式の儀式の本番が始まる。合間に、軍服姿の大勢の軍隊がフィールドのビニールシートカバーの着脱やモップ掛けに一役買う。駆け足で一斉に行動する様に、スタンドからは拍手と共に掛け声がかかって、軍隊のサポートを応援する。ここではやはり軍服姿で作業することに大きな意味があるのであろう。国を挙げたYOG運営体制、大人数を統率する管理体制、軍隊の作業に感謝する観客、習国家主席が臨席し見守る中での軍隊の活躍である。国内外の人々に印象的なインパクトを与えたに違いない。

 YOG選手団は三々五々、バックスタンドに陣取っていく。ユニフォーム姿なのでスタンドがカラフルに彩られていく。続いて各国の旗手団の入場行進が始まる。プラカード嬢に先導されて旗手だけの入場行進である。場内アナウンスが香港や台湾の入場を告げると、スタンドから大歓声が上がり、習国家主席の笑顔がスクリーンにアップされる。日本入場のアナウンスでは、唯一スタンドの観客からブーイングがあがった。中国の反日教育の成果であろうか。平和運動であるオリンピックの場で残念な限りである。1カ国だけIOC旗を掲げて入場したのが南スーダン。旗手のマーガレット・ハッサン選手1人が400m走に参加した。南スーダンは中国政府の援助する政府軍と反政府軍の紛争が長引いている地域である。最後の中国の入場では、大歓声と主に習国家主席のアップ姿が映し出される。

 バッハIOC会長の挨拶。彼はスマートフォンを使ってセルフィーで写真を撮るパフォーマンスを行った。そして、挨拶でSNSで発信するようにYOGアスリートたちに奨励したのである。しかしながら、中国国内ではSNSは使用できないという現実的な情報環境の壁がある。実は、YOGアンバサダーたちにはSAMSUNの携帯が支給され、参加選手達にはPINコードが配布され、彼らの間ではSNSが使用できるようなメディア統制の緩和策がとられていたとのことである(藤原庸介団長談)が、一般人にはほど遠い携帯電話の環境である。バッハ会長のこのパフォーマンスは、見方によれば、中国のメディア統制への皮肉かと勘ぐることができよう。

 文化プログラムでは、南京が位置する中国揚子江地域の歴史絵巻や中国文明の歴史を交えたさまざまな演技が執り行われる。さらに、若者たちの夢の実現に向けたテーマが表現されていく。それらは、今回もTVカメラの視線からの構成となっていた。YOGの様子はテレビ中継されないが、IOCはYouTubeを用いて大会の映像を発信している。その映像作成のためにIOCのテレビカメラマンたちが多く活動している。このTV目線のショットは上空からの視点が主である。われわれ観客が、開会式の会場のフィールドで繰り広げられている演技をそのままスタンドで見ていても理解できないことが多い。巨大スクリーンに映し出されて初めて演技構成が理解できることが多い。高い入場料を払った観客不在の構成であるといってよい。

 残念なのが、今回の開会式ではオリンピズムの平和運動メッセージがほとんど見られなかったことである。バッハIOC会長が開会の挨拶で、国連のバン・ギムン事務総長が臨席していることに簡単に触れただけであり、本大会で恒例のオリンピック休戦順守のアピールやその映像メッセージが場内スクリーンには映し出されなかった。平和のシンボルである鳩の演技も強調されなかった。このような南京YOGにおけるオリンピズムの平和思想の不在は、文化プログラムやCEP内容にも反映されていたし、選手村内に「オリンピック休戦の壁」が設置されないことなどにも反映されていた。

 さて、日本選手団約70名は、開会式やCEP等を大いに体験し、競技だけでなくどのような国際交流を果たしてくれたのか楽しみである。YOGの目指すものは、各国のメダル競争を超越するための大陸間対抗やジェンダー・ミックス、国に無関係にペアリングする団体戦など、トランスナショナルなオリンピズムの理念を体験的に理解することにある。中国のナショナリズムや愛国主義に陶酔するような観客の応援から、彼らが反面教師的に平和や超国家主義などを学んで欲しいと願わざるを得ない。さらに帰国後は、彼らが自ら体験し実践的に学んだ多くのことを、国内の同僚や後輩達に伝えていくというアウトリーチプログラムに積極的に取り組んで欲しい。それが、YOGのDNAを日本国内に、また後輩たちの若いアスリートたちに広め伝えていくことになるからである。

インチョン2014アジア・パラリンピック競技大会レポート

2015 年 3 月 31 日 Comments off

執筆:込山奈津子(JOA会員)

10月20日(月)~23日(木)、仕事の関係でアジアパラ競技大会の柔道競技を観戦する機会がありました。今回の出張は柔道競技の観戦が大きな目的だった為、他の競技を見る機会はありませんでしたが、私が観て感じたアジアパラ競技大会をご報告させていただきます。

【柔道会場 外観】

会場となったのはアジア大会で柔道とレスリングが行われた「Dowon Gymnasium」です。仁川市内の繁華街から車で10分もかからない場所にありました。宿泊ホテルからタクシーで向かいましたが、会場外はボランティアスタッフも数人いるだけでとても静かな感じを受けました。(写真1,2)

黄色のラインに沿って歩いていくと、観客用の入口に辿りつくことができました。(写真3)

会場の外にあるインフォメーションは閉じたまま。アジア大会の時に使われていたのでしょうか・・・。(写真4)

【柔道会場 セキュリティチェック】

会場に入る際のセキュリティチェックは、ゲート型金属探知機とバックの中の確認(目視)でした。バックの中身はほとんど見ず、あまり厳しくない感じを受けました。(写真5)

セキュリティ検査を抜けると、右手ブースでオフィシャルガイドブックを配布していましたが、ブースが入口から背を向けているため見えにくく、最初はまったく存在に気がつきませんでした。配布されていたオフィシャルハンドブックには競技スケジュール、会場、文化イベント、競技以外のその他情報などが掲載されていました。柔道会場では英語版とハングル版があり、英語版は競技3日目には無くなり配布終了となってしまいました。(写真6)

【柔道会場 内観】

 会場に入ると観客席はガラガラ。今大会は前回大会同様に競技の観戦は無料(開・閉会式のみ有料)でしたが、柔道は残念なことに一般の観客はほとんど見られませんでした。他の競技会場については様子を見ていないのでどのような感じだったのかは定かではありません。(写真7)

ただ、時間帯によっては近所の保育園、小・中・高等学校が授業の一環で観戦に来ており、会場内はとても賑やかになる時間帯もありました。

特に韓国代表選手の試合と学生の観戦時間が重なった際は、「テーハミング!」の大声援。保育園の小さな子どもたちまでも「テーハミング!」と一緒になって応援する姿がとても印象的でした。(写真8)

会場内のデザイン。青色を基調にカラフルなバナーや各国国旗が掲げられていました。(写真9,10)

【柔道会場 競技】

 競技は2面で行われました。パラリンピック競技の柔道がオリンピック競技の柔道と違う大きな点は、最初に組んだ状態から行うことです。審判が「はじめ」と声をかけた瞬間、技が飛び出し開始数秒で試合が終わることもあるため、最初から本当に気が抜けないようです。(写真11)

 また、組んだ状態でもなかなか技を出さないでいると「指導」をとられてしまい、その「指導」1つの差で勝敗が決まるケースも多かったです。素人目線だと、「指導」が出るタイミングが分かりにくく、「指導」1つの差で勝敗が決まってしまった試合はすっきりしない感じを受けました。審判によっても「指導」を出すタイミングが少し違う感じを受けました。競技を知らないとこの部分を理解することは難しいのかもしれません。(写真12)

 今大会の日本男子の競技成績は金メダルなしという結果に終わり、7階級中6階級でウズベキスタンの選手が優勝しました。柔道競技においてもアジア内での勢力図が変わってきたように感じられ、2020年の東京パラリンピックに向けて強化の必要性を感じましたが、パラリンピック競技を支える強化スタッフや事務局スタッフの多くは、自らの仕事を持ちながら無給で休日や平日夜間に指導等に携わることが多く、まだまだ課題は多いと考えられます。

 明るい結果としては、日本代表女子選手たちが今まで越えられなかった1勝の壁を出場4選手すべてが突破したことです。これは大きな成果だと言えると思います。

【柔道会場 バリアフリー】

会場内には車いす専用の応援スペースも多めに用意されていたように思います。(写真13)車いす専用トイレもいくつかありました。(写真14)ただ、視覚障害のクラスのみ実施の柔道会場には、他の競技会場ほど車いすを使用している観客は見られませんでした。(写真15,16)

【オフィシャルグッズ】

柔道の会場には残念ながらグッズ販売はなく、市内でも見つけることができませんでした。オフィシャルガイドブックには、「①開会式と閉会式時に会場にて販売、②選手村」と販売場所が書かれていました。選手に聞いたところ、選手村にもほとんどグッズはないとのことでした。

また、仁川国際空港でアジア大会のグッズを販売している期間限定ショップがあるという話を聞き行ってみましたが、アジア大会のグッズのみの販売でした。しかも、すべてがディスカウントされていて30%引きでした。(写真17,18)

この期間限定ショップはアジアパラ競技大会が終了するまで営業しているという話だったので、できればアジアパラ競技大会のグッズを数種類でも販売して欲しい・・・と内心思ってしまいました。関係するグッズのお土産も買っていけない…と選手や関係スタッフの方も残念そうでした。

【市内の様子】

市内にはアジアパラを歓迎する横断幕のようなものや、大会ロゴが入った旗などがあちこちで見られました。アジアパラ歓迎の横断幕はハングル、中国語、日本語など、参加国の母国語を使った様々なバージョンがありました。柔道会場の近くで日本語表記の横断幕を見つけました。(写真19,20,21)

また、仁川市内の繁華街には、アジア大会とアジアパラ競技大会のマスコットのオブジェがありました。ここで初めてアジアパラのマスコットに遭遇することができました。(写真22)

【最後に】

今大会は公式HPでも直前までほとんど情報がなく、不安を抱え仁川入りしましたが、そこまで不便だと感じることもなく無事に観戦を終えることができました。競技は平日昼間の開催なので難しいとは思いますが、競技観戦はすべて無料だったので、学生だけでなく一般の方にも観戦に来ていただき競技を知ってもらえたら・・・と思いました。 また、アジアパラグッズ販売がなかったことが非常に残念でした。

JOC「オリンピック・コンサート2014」報告

2014 年 3 月 24 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京/JOA理事/オリンピック研究委員会委員長/オリンピック・コンサート部門委員)

2014年6月6日(金)18:00開場-19:00開演、オリンピック・デーを記念して、今年のオリンピック・コンサートが開催されました。これはJOCによるオリンピック運動の一環として毎年実施されているものですが、今年は、2020年東京大会調整委員会の初来日に先駆けて大会準備の盛り上げも兼ねて、6月初旬に東京国際フォーラムのホールAにおいて開催されました。下野竜也指揮「東京交響楽団」の演奏、ナビゲーター藤本隆宏氏のもと、辻井伸行氏のピアノ演奏、StarSをゲストとして2時間半の映像と音楽の競演、JOCスポーツ賞受賞者でソチ冬季大会出場のオリンピアン・パラリンピアンたちの登壇もあり、彼らの活躍を音楽と映像とトークで振り返りました。

JOAは今年から広報委員会の中にオリンピック・コンサート部門を設置し、佐藤副委員長をリーダーとして展示ブースを出して広報活動をするとともにオリンピック・ムーブメントを展開しましたので、報告させていただきます。

JOAの展示ブースは、昨年よりも拡張し、さらに多くの人で賑わいました。今年のJOAの展示のメインテーマは「1964年東京から2020年東京へ:オリンピズムの飛躍!」と題しました。來田理事を中心とした広報委員会および東海地区会員の総力を挙げたJOAに関する力作ポスターのパネル展示と、YOGや1964年東京大会の紹介チラシの配布を行いました。1964年の公式ブレザーの展示には、藤崎テーラーの協力をいただきました。聖火リレートーチは今年は残念ながら3本(アテネ2本、北京1本)と少なくなりましたが、トーチ展示と記念撮影は例年の通りの大賑わいでした。師岡会員の協力により、師岡宏次&東京エイト制作の1964年の大会の懐かしい映像をVTRで流すとともに、JOAパンフと日本スポーツ芸術協会の機関誌の配布など、さまざまな広報活動を行いました。用意したチラシや機関誌など各200部はあっという間にさばけました。今回はブースの拡張とともにパネルが8枚に増えたため、フォート・キシモトの協力の下に、1964年および2020東京招致決定時の写真など、写真の展示を増やしました。さらに、野崎会員の協力により、1964年の公式ポスター3枚組とパラリンピックの公式ポスター(これはレアものです)の展示を行いました。学習院女子大学および東海大学の学生さん、中京大学の院生さんたちの協力によって、今年も多くの方々にトーチを手に持って笑顔で写っていただきました。(写真参照)

 今回で4度目の有料のコンサートでしたが、今年は平日(金曜日)の夜であったため集客が心配されました。しかし、今回も多くのオリンピアンたちの参加もあり、お客さんも思った以上に多く(約3,000人)、成功裡に終わったと思います。しかしながら平日のため、お手伝いの学生さんには授業などで迷惑をかけました。6月23日のオリンピック・デーの関連事業としては、その時期に近い土日のオリンピック・ムーブメントのイベントとして実施して欲しいものです。

当日は、雨天の中の撤収など、佐藤会員を中心とするオリコン部門の皆さま、どうもご苦労さまでした。ご支援いただいた企業の皆さまにも心より感謝申し上げます。

<協力スタッフ>
学生スタッフ:中京大学院生2名(和田、石塚会員)、東海大学学生6名、学習院女子大学院生3名
聖火トーチ3本協力:サムスン電子ジャパン(株)、日本コカ・コーラ(株)
写真パネル展示協力:(株)フォート・キシモト(松原茂章会員)、『スポーツと芸術』(大野益弘会員、日本スポーツ芸術協会)

(オリコン部門委員:副委員長:佐藤政廣、委員:石塚創也、大津克哉、木村華織、舛本直文、和田拓也)

2014年SOCHI雑感

2014 年 3 月 24 日 Comments off

執筆:岸本健(フォート・キシモト 代表)

 

●二度目のオリンピック

ロシアでのオリンピック開催はソチが初めてであるが、旧ソ連時代、1980年のモスクワ大会も含めると二度目。私自身も日本が不参加となったモスクワにも行っているのでオリンピックでは二度目の取材となった。初めてオリンピックを取材した1964年の東京大会から数えると連続26回目となる。当社の取材は総勢10名であったが、今大会ほど宿泊先の手配などの事前準備に苦労したことはなかった。私たちは、オリンピックやアジア大会などの総合大会の取材ともなれば、組織委員会からあてがわれるいわゆるプレスホテルではなく、独自に一軒家かマンションを借りて合宿生活を行うのを常としている。経費の件もさることながら、そうした方が、取材情報等を共有でき、チームワークもとれるというメリットがあるからだ。従って数年前から現地にスタッフを派遣するなどして情報を収集し取材拠点を確保するのだが、今回ばかりは開会ぎりぎりまで宿泊先が決まらなかった。というのは、ビザ取得のためには、マンション等のオーナーからの招待状が必要で、これを取得するのはかなり難しく、ホテルであっても予約の確認書だけでは事足りずに認定された旅行会社のバウチャーが要求されるのだ。結局直前になって日本の大手旅行会社に依頼し、何とか宿泊先を確保できたが、これまでのオリンピックに比べ相当高額になってしまった。聞くところによると、三つ星クラスのホテルで一泊10万円もしたところもあったようだ。

思えば、34年前のモスクワ大会の折には、外国人は6,000人も収容できるホテルに全員が宿泊させられ、監視も厳しかった。その後もスパルタキアードやその他の競技会の取材でソ連には数回行った。そして1989年のベルリンの壁の崩壊とそれに続く1991年のソ連解体で東西の冷戦構造に終止符が打たれ、ロシアも民主国家の道を歩み出したが、20年以上たった現在でも当時の負の遺産がさまざまなところに残っていることをこの宿探しでも感じた。

事前にマスコミ等を通じて、テロ対策による過剰警備や競技施設建設などの遅れが懸念されていたので、期待と不安の入り混じった気持ちでソチ入りしたが、案の定、入国やオリンピックパークなどへの入場時のセキュリティはかなり厳しかった。イスラム武装勢力によるテロ予告や、ソチが属する北カフカス地方には独立紛争が激化したチェチェンがあることなどから、プーチン大統領が大会成功のために過剰とも思える警備体制を敷いているのは、ある意味致し方ないことかもしれないが、競技会場への入場だけでなく、沿岸会場と山岳会場を結ぶ電車に乗るにもいちいち荷物チェックがあったのには閉口した。弁当やサンドイッチなどの食料が没収されたりもした。

会場等施設に関しては、何とか大会の開会に間に合った。ただし、山岳エリアで行われた雪上競技では、高温により雪の状態の確保が難しく、人工降雪機や雪面硬化剤などが使用された。ノースリーブのウエアで競技に臨んだクロスカントリー選手がいたのには驚いた。期間中、東京では2週連続して何十年ぶりかの大雪に見舞われたのと較べると、どっちが冬季オリンピックの会場かわからないといった状況であった。

一歩街中に出ると、至るところに絵画やデザインを施された壁面が目につき、その背後をのぞいて見ると、廃棄物などが山になって隠されているなど、開催準備が付け焼刃であったことが窺えた。

また、ソチには野犬が多く人間が噛まれれば狂犬病になる危険性があることから、これもオリンピック対策として3分の2の野犬を処分したそうだ。それでも街には野犬が目に付き、日本のプレス関係者が噛まれたという話を聞いた。

●大会が始まって

開会式は、2月7日、オリンピックパークにあるフィシュトスタジアムで行われた。「ロシアの夢」をテーマとし、広大な国土の開拓に始まり、革命を経て現代に至るまでの大国が歩んできた激動の歴史を壮大なスペクタクルで表現、音楽や舞踊など、ロシアの伝統文化も色濃く反映されていた。しかしながら、2008年の北京オリンピック開会式の折も感じたことだが、豪華絢爛の出し物と裏腹に、どことなく機械的で作られ過ぎの感じがした。私としては、30年前の冬季オリンピックサラエボ大会開会式に登場した美少女たちの純粋なまなざしが、その後サラエボが辿った悲劇的な歴史と相俟って、今でも心に沁みついて離れない。また、選手団については、最近の大会では競技を重視する選手の体調などを考慮し、少人数しか開会式に参加しなくなっているが、さらに入場行進の後、すぐに座席に移動してしまい、観客はほとんど選手の姿を目にすることができなくなっている。長時間立たせる必要はないが、プログラムの内容を工夫し、もう少し各国/地域の晴れの代表選手の雄姿に接することができるようにしたらどうだろうか。

2月10日には、やはりパーク内に設置された「ジャパンハウス」において、JOC、日本代表選手団、在ロシア日本大使館共催によるレセプションが開催され、私も出席した。会場には、昨年9月のIOC総会で、ジャック・ロゲ氏の後を受けて新会長に就任したトーマス・バッハ氏や、ウクライナのIOC委員でIOC理事も務めるかつての“鳥人”セルゲイ・ブブカ氏など多くのIOC委員が来場、竹田恆和JOC会長、橋本聖子日本選手団団長をはじめ、下村博文文部科学大臣(オリンピック担当)、2020年東京大会の組織委員会会長に就任したばかりの森喜朗元首相などと親交を深めていた。

IOCのロゲ前会長は、巨大化した大会の規模的抑制、反ドーピングの徹底、そして時代を担う青少年にスポーツへの参加を促すためのユースオリンピックの創設などを進めそれなりの成果を収めた。自身、1976年モントリオール大会フェンシング・フルーレ団体の金メダリストであるバッハ新会長は、どのような新機軸を打ち出すのであろうか。既に、実施競技や開催都市決定方法などを見直す案件にも着手しており、日本の得意とする野球やソフトボールの正式競技への復活にも、かすかな灯りが見えてきた。昨年10月に会長就任以降初めて来日した折りにもお会いしたが、哲学者的な雰囲気のあったロゲ前会長に比べると、私たちに対する接し方も気さくで、考え方もより柔軟な感じを覚えたのは私だけであろうか

2020年東京組織委員会の関係者としては、上述の森会長、竹田JOC会長(組織委理事)のほか武藤敏郎事務総長、そして大会の終盤には、東京招致に貢献した猪瀬前知事の辞職に伴う都知事選挙で、新知事に当選した舛添要一氏もソチ入りし、IOC関係者との面談のほか会場、運営などの視察を行った。夏と冬の大会の違いがあるとは言え、実際のオリンピック大会を目の当たりにする機会は貴重であり、この大会で学んだことを2020年の大会で是非生かしてもらいたいものである。

パーク内には開閉会式が行われたオリンピックスタジアムのほか、スケート、アイスホッケー、カーリングといった氷上競技の会場、表彰式会場、メインプレスセンターなどがコンパクトに配置されていた。また、コカ・コーラ、サムソン、P&GといったIOCのTOPパートナーが個性的な外見を持つパビリオンを構えていたのが目を引いた。日本企業としてはパナソニックが各競技会場に大型映像機器や各種ディスプレーなどを提供、大会の運営、盛り上げに貢献した。ローカルスポンサーとして参画したヤマハは、ゴルフカー、スノーモービル、4輪バギーなどを組織委に提供、選手、役員、スタッフや観客の移動、輸送をサポートした

期間中、パーク内に設置されていた「2018年ピョンチャン大会PRブース」にも立ち寄った。しかし、韓国の「美容整形」に関するパンフレットしか配布しておらず、ピョンチャン大会の競技や施設、韓国のスポーツなどを紹介した資料を期待した私は拍子抜けしてしまった。2020東京は、ジャパンハウス内でPR展示を行っていたが、開会までの6年間に、大会概要は言うに及ばす、世界中のより多くの方々に東京そして日本に足を運んでいただけるように、スポーツや文化、その他の有効な情報を継続して発信していかなければならない、ということをつくづく感じた。

●2020年に向けて

日本選手等の活躍ぶり、競技結果については、既に新聞、雑誌、テレビなどのマスコミを通じて繰り返し報道されているのでここでは多くは触れないが、日本は、海外での大会では史上最多となるメダル8個(金1、銀4、銅3)を獲得した。今大会のメダルの特徴は、前回のバンクーバー大会ではスピード、フィギュアの2種目にとどまったのに比べ、フィギュアにスキー各種目が加わって5種目に増えたこと。そして、ジャンプでレジェンドと呼ばれた41歳の葛西、スノーボードハーフパイプで銀メダルの快挙を果たした15歳の平野、と日本の冬季オリンピック史上最年長、最年少のメダリストが同時に誕生したことなどである。

金メダルが期待されたジャンプ女子やフィギュア女子シングル等でのメダル獲得はならなかったが、メダルの有無に関わらず健闘した全てのアスリート、そしてそれをバックアップした指導者や競技団体関係者、支えたご家族などに心から敬意を表したい。これらの活躍の陰には、2012年ロンドン大会に続いて、沿岸地域、山岳地域に設置された日本スポーツ振興センターのマルチサポートハウスの存在も忘れてはならない。

帰国便の機上では、6年後の大会がどのようなものになるのかに思いをはせた。1964年の東京大会が戦後の復興を内外に強くアピールしたように、2020年には、震災からの復興と成熟都市東京の魅力を世界に発信できたら良いと考える。また、オリンピック憲章では“文化プログラム”の実施が義務付けられているが、日本の伝統文化の紹介や文化・芸術分野での国際交流など、充実したプログラムが実施されることを望んでいる。

さらに、2020大会の開催をきっかけとして、各競技・種目における競技力の向上が図られるのは当然のことであるが、パラリンピック、障害者スポーツ、生涯スポーツ、地方スポーツの振興、指導者育成や競技施設の充実など、我が国においてより良いスポーツ環境が整備されれば、オリンピックを招致した意義は深くなる。

オリンピックのレガシーはスポーツに直接関係する事柄だけではなく、社会インフラの整備、政治、経済、文化・芸術、教育、環境などあらゆる分野に及ぶ。すなわち、レガシーを引き継いでいくことにより、将来に向け、健康で豊かな社会の実現や国際社会に貢献する日本の醸成に寄与することになるのだ。

また大会開催までの間に、2011年に制定された「スポーツ基本法」の前文の「スポーツは、世界共通の人類の文化である。」との共通理解の下に、各条文に謳われている事項が政策として具現化し、さらに念願である“スポーツ庁”が設置されればなお良い。

当社の今大会の取材は総勢10名で臨んだが、16年ぶりにメダルを獲得したジャンプ団体と同じように、“チーム・キシモト”として力を発揮することができた。冬のオリンピックとは考えられないぐらい日中には20度近い気温になることもあり、スタッフは時に半袖の衣服で頑張った。当社は、一昨年よりIOCとのプロジェクトをスタートさせた。当社の1964年以降のオリンピック関係写真をデジタルデータ化してIOCに納品。世界のオリンピック・ムーブメントのために有効に活用するという主旨である。今大会の取材によって得た多くの写真も、長年にわたって蓄積された当社の“オリンピック・アーカイブズ”に、また新たな一ページを加えることになる

 

 

 

 

 

2012年「第8回IOC国際スポーツ、文化、教育会議」に参加して

2013 年 3 月 30 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京・JOA理事)

第8回目のIOC国際スポーツ・文化・教育会議が2012年11月25-27日の間にオリンピック都市アムステルダムで開催された。JOAからは和田専務理事を始め、田原、來田、荒牧、大津、舛本の6名(その他のJOA会員:水野JOA副会長、中森理事、桶谷会員)が参加して情報収集と意見交換を行ってきた。日本からはその他に2020年オリンピック招致委員会、文科省、スポーツ振興センターからも多くの参加者があった。その様子を簡単に報告する。(ただし、会議に関する受け取り方は個人的なものであり、他のメンバーは違った感想をお持ちのはずであろう。)

<11月25日(日)>
午前中はIOC Conferenceのツアー。和田、荒牧、大津の面々とEducationツアーに申し込むが、荒木田さんはキャンセル待ちとのこと。うまく参加することができた。バス1台分が定員のようである。オリンピックスタジアムに近づくと聖火台が遠望できる。建物が新しくなっているようである。スタジアムをバスで1周する。オリンピックの歴史家が1936年ベルリン時に持ち帰った樫の木、聖火台の大修理、ヨハン・クライフ・コーナーなど説明してくれる。入り口には聖火の炎が灯り、入り口のエントランスにはオランダのスポーツ殿堂のアスリート達の名前が刻んである。中には、オリンピック・ミュージアムが整備され、グランドは現在も大活躍のようである。お茶を飲んで2本のレクチャーを聴く。ミュージアムの説明とアムステルダムのスポーツ振興に関するプレゼンである。サンドイッチの簡単な食事後にまたプレゼン。今度はサッカーのworldcoachesのシステムである。その後はまたミュージアムに移動してサプライズのイベント。聖火台の改修の際にタイムカプセルを発見したとのことでオランダのNOC会長にプレゼントされた。
夜は開会式とレセプション。観光クルーズ船がホテル近くのホテル専用桟橋から出発。港からマハレの跳ね橋まで夜のクルーズで観光し、旧港のマリタイム・ミュージアムでレセプションと開会式が執り行われた。桟橋にはレプリカであるがアムステルダム号という大きな帆船が係留されている。退役軍人らしい合唱隊が躍動するような歌で迎えてくれる。雰囲気がいいミュージアムでのディナーと開会式が執り行われた。IOC芸術賞art awardの授与式では、IOC賞はロンドン開・閉開式の総合監督であるDanny Boyleが受賞。絵画と彫刻部門の表彰も行われ6人が表彰された。しかし、文化プログラムというには少々パフォーマンスが今ひとつか。若者たちが中心の演技と、輪を使った力業のパフォーマンスを楽しみながらの食事会であった。

<11月26日(月)>
今日が本格的な会議の開始。9:00に全体会が始まる。ガンガ・シトレの開会の挨拶の後、コミッションの委員長であるニコロウNikolou氏の司会でスピーチがすすむ。IOCのRogge会長のスピーチはVTR録画しておいた。UNESCOのEngida副事務局長のスピーチも力強い。ECのスポーツ部門のスピーチに続き、オランダの女性スポーツ大臣Schipper氏のスピーチもある。彼女は最後にRogge会長の功績をたたえてオランダからの勲章を授与した。Q & Aでは、いくつか質問があったが、世代間格差、ジェンダー間の問題指摘があり、もっと若い世代に魅力的な会議にならないかとの質問が面白かった。また、「スポーツが世界を変える」というコンセプトは理解できるが、しかし現実を見れば、政治的挑戦や経済的挑戦などの問題が多いという指摘もあった。Rogge会長の返答では、彼はスポーツの持つ力を指摘し、平和重視を主張していた。さらに人権、特に難民への対応の指摘があり、これからはIOCとUNで人権に関する取り組みがクローズアップされることになるであろうという予感がした。
全体会の2本目は台湾のWu IOC理事の司会によって、「スポーツによる教育強化」がテーマとして話し合われた。結構時間が伸びてしまったが、UNOSDPのLemke氏のプレゼンは体育教師と言うこともあり力強く印象的であった。Kemp氏によるビデオゲームによるオリンピック教育の紹介は、やはり子供達がセデンタリーになり、問題が多い提案であると感じた次第である。
午後の第1分科会ではOlympic Valuesの分科会に出た。オランダのVan Leeuwen氏によるIOCのオリンピック・バリューのexcellence, friendship, respectを’Me, You, We’と対応させて理解する発表は、なるほどと感心させられた。またWADAのKoehler氏の発表が,ドーピング問題を根本から疑問視しながら考えさせるチャレンジングなもので結構面白かった。彼も指摘したGlocalな発想は大いに首肯できる点であった。
午後のもう一つのLegacyの分科会はミューラーMuller氏の司会進行。様々な大陸や国でのイベントによるレガシー形成である。インスブルックIWYOGのMs. Pili氏のLegacyの報告を楽しみにしていたのであるが、残念ながら今ひとつの報告であった。アフリカのケース報告はやはり特殊である感じが否めなかった。

<11月27日(火)>
会議の3日目の最終日。全体会の座席にプレゼントのチョコが置かれている。同時にいろんな色の紙がおいてあるが、これが後のグループディスカッションのメンバーの組み合わせとなる。全体会ではリビアの世界遺産でのオリンピック学習とイタリアのラッパーによる歌を用いた反ドーピングへの取り組み事例が報告される。その後はグループディスカッションに移行。私たちのグループに与えられたテーマは、1.学校でスポーツを普及するにはどうするか? 2.普段の生活でオリンピック・バリューを普及させるためのユースの役割は? というものであった。6人のグループであるが、司会進行がボリュームアップしてどんどんしゃべるため、メンバーの話がよく聞き取れないのが残念。私自身は、学年別のカリキュラムの重要性、課外と正課体育の違いなどを話しておいた。第2のお題に対しては、アメリカやジャマイカにはユースオリンピック大会YOGの後にアウトリーチプログラムがあるということ。日本には残念ながらないと話しておいた。IOAのコスタスCostasによればギリシャもないそうだ。やはり残念なことである。IOCは伝達プログラムの重要性を伝えるべきであろう。ここで、アメリカの参加者アマンダは女子サッカーの経験者。ナデシコがロンドンの決勝で負けた試合を見たと話した。ワンバックとモーガンがいいプレーンヤーだというと、日米はいいライバルだし、米国はもう若返りを図っているという。日本の育成システムはどうであろうか?
このグループディスカッションの中で、リビアの参加者達から「2020年の日本の招致団の姿が見えないがどうしたのか?」と聞かれた。確かに、この日は竹田、水野、中森、荒木田氏の招致委員会の姿が見えない。閉会式にも不在であったのは残念。招致活動としては最後の別れも言ってよろしくというのが大切なことであろうと感じた次第である。別の何らかのミーティングが入っていたのかもしれないが、、、。リビアの女性から東京招致のpinが欲しいと言われたが、1個しかないので申し訳ないと断る。実は余分に持ってはいたのだが、まだ招致のプロモーション活動は禁止されていると聞いていたからである。
全体会の最後は、若者たちが壇上に登っての報告である。彼らはPolicies政策、Practice練習、Possibility可能性の3つのPのテーマで3人ずつが発表し、フロアとのQ&Aを展開する。司会役が結構強引にディスカッションを進める。台湾のWu IOC理事がIOCの中にYouth Commissionを作る計画を紹介した。来年の2013年が好機だという。司会がしっかりそのことを理事会に伝えるように釘を刺す場面もあった。全体会の最後にアムステルダム宣言を採択して会議が終了。
今回は多くの日本人グループが参加していたが、プレゼンや発言がなかったのが残念であった。日本のプレゼンスが全く見られなかったといってもよかろう。この会議では、競技ではなくスポーツ、それを教育で振興や展開していく、そのためには教育者(広い意味での、コーチや監督、トレーナーや親など取り巻き全員)の重要性が宣言にて触れられた。一方でYOGを活用して世界的なインパクトを高めていく方向も捨てられてはいない。ロッテルダムを始め、グラスゴーも含め2018年夏季YOGに5都市が手を上げている。このような日常的なスポーツと頂点のエリートスポーツの2方向からスポーツを普及・振興し、さらに一層教育によってスポーツを広め、それによる平和な社会を希求するというIOCのスタンスを確認した会議であったといえる。

参考:会議の様子とアムステルダム宣言は以下のIOCサイトで見ることができます。
http://www.olympic.org/news/8th-world-conference-on-sport-culture-and-education-issues-call-for-action/184248

11月26日の全体会でオランダから勲章を贈られたIOCロゲ会長。右はオランダのスポーツ大臣

11月27日の最終日の全体会で壇上に並ぶヤング・アスリート達。中央が司会者
11月27日の最終日の全体会で壇上に並ぶヤング・アスリート達。中央が司会者

リレーコラム01「東京オリンピックと私 しろうと編(仮)」

2012 年 3 月 19 日 Comments off

執筆:高橋玲美(編集/ライター JOA会員)

オリンピックの関連書籍や写真集を制作している最中、くり返し頭の中で甦る年上の友人の言葉がある。「おれ東京オリンピックのとき、閉会式を見ながらテレビの前で泣いたんだよ。終わっちゃうのがいやだーって」。すると、現在展開中のオリンピックを観ている大人や子ども達の姿がイメージとなって浮かぶ。絶対に忘れたくないシーン、いつまでも浸っていたい思い出を、少しでも効果的に切り取って紙に残したいという気持ちが一層強くなる。

最初にこの言葉を聞いたとき、心底うらやましいなあと感じた。スポーツ観戦好きを自認する私だが、オリンピックに限らず自分にとってそんな大会は過去にあっただろうかと考えて、思いつかなかったことが寂しかった。ただ、中学生のとき「ドーハの悲劇」の夜を泣き明かした身としては、少年の日の友人がどれだけオリンピックを楽しんだか、どれだけ別れが辛かったかは何となく想像できる。そして、ああうらやましいなあ、と思う。

私の記憶のなかの第1回オリンピックは1992年のアルベールビル冬季大会で、男子ノルディック複合団体の勇姿に憧れをかき立てられた。同年のバルセロナ夏季大会では家族じゅうでバレーボールにかぶりつきになった。ただ、振り返ってみるとなんとも断片的な印象だ。競技単体にスポットが当たり、大会全体が醸し出すうねりを受信できていなかったのかもしれない。1998年の長野冬季大会でやっと、「これがオリンピックというものか」という実感があった。みんなが開会式を生中継で観ていて、メダルが生まれた瞬間近所から歓声があがり、だれもかれもがオリンピックを話題にするという一体感……自国開催の空気はやはり違った。

スポーツ好きな人と、過去の大会で印象に残ったシーンを語り合うのは楽しい。そして古い記憶ほど掘り起こしがいがあり、相手と共有できたときの喜びも大きい。東京オリンピック世代にはきっとそんな機会がたくさんあるんだろうなあ。その一体感は長野の比ではなかったかもしれないな。日本の、この時代を生きたという共通の刻み目のようなものを、この世代の人々は各々の「1964年」に持っているのかもしれない。

一昨年、報道などを通してオリンピック誘致にかかる労力と困難さをかいま見、1964年の東京大会が奇跡であったことを知った。そして今、2度目の奇跡を起こそうとしている人々からの、東京オリンピックを知らない子ども達へのメッセージのようなものを感じている。心に刻まれるオリンピックとは語り伝えるものではなく、各々が実際に参加し、時代の空気や自分自身の生活をひっくるめた物語として人生に彫りこんでいくものだというような。ぜひ参加してみたいなと思うのだ。 了

第1回冬季YOG大会を視察して

2012 年 3 月 19 日 Comments off

執筆:舛本 直文(首都大学東京)

2012113日に開幕した第1回冬季YOGインスブルック大会のテーマはBe part of it! 皆で参加しよう!ということである。3回目のオリンピック・シティとなるインスブルックはその伝統と若者中心の新奇さの調和を図ろうとした。その狙いは、3つの聖火台に火が灯されたベルクイーゼルのジャンプ台で開催された開会式のプログラムに典型的に示されていた。男女2人の若者がPCでチャットする形でプログラムが進行した。出し物には1964年と1976年の過去2回の冬季大会の時の音楽やファッションなどの文化環境や当時の時代風景を描いていった。プログラムが配布されない簡素な開会式であったが、このようなメッセージはよく伝わってきた。しかし、鳩などの平和希求のメッセージや環境保護のメッセージがなかったのが悔やまれる。

競技面ではシンガポール同様に新しい方式が取り入れられていた。アイスホッケーのスキル・チャレンジ、カーリングの男女混合チーム戦、アルペンの男女混合パラレル、スキークロス、女子ジャンプなど14競技において、若者たちに興味を持たせるような工夫が施されていた。この内、スキル・チャレンジを観戦することができたが、なかなかおもしろい新企画である。男子16名、女子15名が予選会に挑戦し、上位8名ずつが決勝に進む。Fastest Lap, Shooting Activity, Skating Agility, Fastest Shot, Passing Precision, Puck Controlと名付けられ、スケーティング技術(スピードと敏捷性)、シュート力(正確性とスピード)、パスの正確性やパックのコントロールなど、ホッケーに必要な6種の基礎技術を競い合うという仕掛けである。日本からは出口、古川の2名が出場していた。最後まで見ていないので、チームプレー戦があったかどうか定かではないが、個人トライアルだけでなく、チーム戦が組まれてもよかったと思った次第である。例えば、男女混合(ジェンダーmixでのパス移動)や大陸チーム戦(NOCs mix2から4人チームのトータルスコアなど)などの工夫である。個人スキル・チャレンジだけでなく協力のスキル・チャレンジによって選手間の交流を狙うのも面白い。なお、競技方法を説明するプログラムやパンフレットがないので観戦していて非常にわかりづらかった。VTRと掲示表示とマイクアナウンスでの説明だけでは子供たちにもわからないであろう。また、競技結果が電光掲示板に速報で表示されないのでこれも不満である。誰がトップでどのくらいの成績かよくわからないので観戦の楽しみが深まらないのが残念であった。

さて、YOGの特徴であるCEPには選手村内のみのプログラムだけでなく市内の中心にあるcongress会場で一般の人が選手と一緒になって楽しむ工夫がされていたのがうれしい。また、そこに入るセキュリティ・チェックもさほど厳しくはない。World Mileというプログラムでは各国の交流校の子供たちが日替わりでその国の文化紹介ブースを出していた。日本の紹介は17日だということであったが、残念ながら帰国の日で見学できなかった。YOGダンスやドラム・セッションにも一般の人も参加することができ、IOCによって東北の被災地から招待された13人の若者たちもYOGダンスに参加して楽しんでいたのがうれしかった。筆者もドラム・セッションに参加し、パーカッションをたたいて市民やアスリートと一緒に一汗かく面白い一時を味わうことができた。アスリートたちはCEPに登録して体験するごとに点数を積み上げ、YOGボトルやヘッドフォンを獲得することができるとのことであった。前半はさすがに参加する選手たちがあまり多くはなかった。競技が終了するごとに参加者が増えていくことであろう。

しかしながら、CEPを視察して残念に思ったことがいくつかある。WADAのブースは選手やID保持者に限られていて一般の市民や子供たち学ぶチャンスがなかったこと。オリンピズムの3本柱のうちの2本である平和運動と環境保護運動に関してもあまり力が入っていなかったこと。IOAのブースで平和のパンフを配っていたが、IOTCの活動は残念ながらなかった。ギリシャの財政事情が厳しいのでIOTCもあまり活動できないのであろうか。環境保護メッセージはUNEPがブースを出していたがIOC自体の活動はなかった。CEPの一つであるSustainabilityのプログラムも、聞くところによれば雪崩遭遇時のアバランチ・ビーコンの操作や冬山の安全意識の向上のような内容であったとのことで少々企画違いであるように思われた。

今回のYOGでは競技観戦でセキュリティ・チェックがないのが驚きであるとともにうれしかった。一般の人にとっても時間が助かるし食べ物や飲み物も持ち込めるからである。学校の先生が小・中学校の児童生徒を引率して観戦や応援をしていたのもうれしい。ただ、教師たちに聞くと特定の学習目標はなくYOGの雰囲気を体験することが主目的であるとのこと。ただしCEPの会場でWorld Mileを見学に行くと言っていた教師もいた。子供たちに国際交流の機会を提供し、アスリートにもふれあうことができれば絶好の体験学習になるはずであろう。また、学校参加で新スポーツに挑戦するSchool Sport Challengeという新企画も興味深かった。16日のフィギュアスケートのペア・フリーを観戦中にこの企画が突然披露された。小学生たちがスケートにチャレンジし集団滑走したのである。ピエロ風の衣装をまとって危なっかしく滑り、中には転倒する子供たちもいて会場から暖かい拍手が送られた。オリンピックを機にオリンピック学習や新スポーツに挑戦する機会が増えることがうれしい限りであった。

ところで、オーストリアの市民は暖かくヤングたちを見守っていたのが興味深かった。開会式の選手宣誓で内容を忘れてとちった選手には温かい励ましの歓声があがった。フィギュアスケートの会場でも同様の励ましが見られた。フィンランドの選手が2度転倒した後も演技を続行する姿に会場からは暖かい拍手の連続であった。演技終了後も大歓声と拍手が送られた。転倒した選手にはさぞかし励ましとなったことであろう。これらは非常に心温まる風景であり、うれしい限りであった。

今回の冬季YOGでの選手間交流促進のための工夫がYOGGERというUSBである。シャトルバスの中でオーストリアの選手2人がYOGGERを持っていたので写真を撮らせてもらった。このUSBに自分の情報を入れて登録しておけば、お互いのUSBを近づけるだけで情報交換できるハイテク機器だそうである。若者たちの新感覚にあう企画であろう。

ところで、このYOGでも競技に関心が集まるのも仕方ないことかもしれない。誰が優勝したのかも大事なことかもしれないが、もう一つの柱であるCEPにどれだけ関心があるか、日本の競技役員やメディアも含めて気がかりなところである。また選手自体もそういう関心が中心なのである。シャトルバスの中に男子フィギアスケートの2人の選手が乗っていたので激励しておいた。一人の選手が「下手ですみません」と謝るので、競技だけでなくCEPも大事なので、競技が終わったら多くの人と交流して友達を作って欲しいと語りかけておいた。大会に出発する前の事前学習でどれだけYOGの意図やCEPの狙いについて学んできたのか気がかりであった。

さて、今回の冬季YOGによってインスブルックから2012年の文化や時代感覚がどう形成されていくのか、またYOGというオリンピック文化がどのように形成され、どうDNAとして継承されていくのであろうか。帰国した選手たちが今回学んだ体験をアウトリーチプログラムとしてどう仲間たちに伝達し共有していくか、それを見届けるのが一つの楽しみであるとともにオリンピック教育という観点からYOGの精神を伝えていく必要があると痛感した次第である。

YOGダンスを楽しむ東北の子供たちと市民
YOGダンスを楽しむ東北の子供たちと市民

スケートに挑戦するスクール・スポーツ・チャレンジ・プログラムの子供たち
スケートに挑戦するスクール・スポーツ・チャレンジ・プログラムの子供たち

スキル・チャレンジでshooting activityに挑戦する出口選手
スキル・チャレンジでshooting activityに挑戦する出口選手

引率されてホッケーを応援する地元の小学生たち
引率されてホッケーを応援する地元の小学生たち

子供たちに大人気のマスコットのYOGGL
子供たちに大人気のマスコットのYOGGL

3つの聖火の灯がともったベルクイーゼルの開会式会場
3つの聖火の灯がともったベルクイーゼルの開会式会場

JOAのメンバー6人が勢揃いしたスピードスケート会場 Olympiaworld
JOAのメンバー6人が勢揃いしたスピードスケート会場 Olympiaworld (前列左から、舛本、來田、大津、後列左から木村、田原、三浦の各氏)

YOGのCEP ドラム・セッション。市民や子供の参加
YOGのCEP ドラム・セッション。市民や子供の参加