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2017年トリノの平和運動レガシー視察記

2017 年 3 月 31 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京特任教授/JOA理事)

 

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トリノ大学のオリンピック研究センターOMEROにて所長のPiervincenzo Bondonio 氏とDavide Cillilo氏

 

2017年2月24-26日の3日間、2006年冬季オリンピックを開催したトリノ市内の平和運動を視察するために、11年ぶりにトリノを訪問した。研究センターのOMEROと選手村跡地の視察を中心に報告してみたい。

2月24日(金)OMEROとSERMIG,トリノUrban Center

朝、駅前からトリノの街中を歩いて目指すはトリノ大学のオリンピック研究所であるOMERO( Olympics Mega Event Research Observatoryオリンピックメガイベント研究センター)。街の中央にあるローマ通りを通り、有名なサン・カルロ広場を抜けて王宮前のカスッテロ広場へ。そこから名物のモーレ・アントレリアーナの高い塔の前を通り、約45分でトリノ大学の新キャンパスに到着。近代的な建物でできたモダンなキャンパスである。法学、経済などの文系のキャンパスである。構内に入ってOMEROのある第3ビルに向かう。建物内には多くの若者が並んでいる。聞くと高校生へのオリエンテーションだそうである。受付でD3、2階のルーム#8迄案内してもらって、ようやくOMEROに到着する。

Piervincenzo Bondonio(通称Pier)氏は名誉教授でOMERO所長。ポスドクのDavide Cilliloがサポートについてくれた。中心課題は、トリノ冬季大会の際に選手村に設置された「オリンピック休戦の賛同のサインの壁」の所在。これを彼らに聞くが、彼らはこれが存在したことすら全く知らない。大会時にRAIというテレビ局ラジオ局内に設置された大きな「休戦ノート」のことも知らないという。それらの写真を見せたのであるが・・・。

続いて、2006年トリノ冬季大会のレガシーについて質問する。OMEROの性格から言って、基本的には社会の発展と経済効果等の関心が強いようである。英文で書いたものがあるので希望するものは後日に送ってくれることになる。質問の主な回答は以下の通りである。

大会後はオリンピック施設の後利用が官民合同で進められたこと。ジャンプ台やボスレー会場などの活用をOMEROが提案したこと。オリンピック教育のレガシーとしては、トリノ大会後にユニバシアード、マスターゲーム等の様々なスポーツ大会が開催されたこと。今トリノ市はヨーロッパのスポーツキャピタルとして位置付いているという。学校ではミニオリンピック大会という名前でイベントをすることをIOCが認めたとも言っていたが、これにはIOCの承認がいるのかと不思議に思った。

Pierはこれ以外にSERMIGというトリノ発祥の平和運動団体を紹介してくれた。そのうえ、施設まで一緒に歩いて案内し共に視察してくれた。SERMIGは第2次世界大戦時の兵器工場跡に再建された平和運動団体である。そのためPeace Arsenalと称していた。案内してくれたマティアという若者がこの組織の変遷を語ってくれたが、基本的な活動は難民や世界の貧困層を支えているボランティア団体である。常時100人のボランティア達が活動し、難民達の能力アップや生活していくための支援をしているそうである。マティアは「これらの活動は、慈善ではなく何が正しいかと自分自身に問うて行動することが大切だ」強く語っていたのが印象深かった。

SERMIGは2006年のトリノのオリンピックの時には何をしていたか、と私がマティアに質問すると、毎日の平和支援活動のルーティンを淡々と行っていたとのこと。世界の貧困や難民との戦いはオリンピックとは関係ないというスタンスであった。これにはいささかショックでもあった。軽い昼食を社員食堂でご馳走になり。Pierが午後にアレンジしてくれていたUrban Centerへ向かう。

Urban Centerでは、韓国からの視察団の前にガイドに少し時間が取れるので、質問することができるという。Chiara Lucchiniというガイドさんに詳しくオリンピック後の街の再開発について説明を受ける。英語版の冊子があると言って探してくれるが、なかなか見つからず残念であった。彼女は、トリノ大会後にはオリンピックの選手村跡には休戦の壁など無いと言っていた。これに関しては26日に確認することにした。

トリノの都市開発のレガシーとして、先ず、都市交通などのインフラの整備が進み、地下鉄のように交通の地下化が進んだこと、第2に工場群の再配置で郊外に進出したことで、その跡地に文化施設や住宅や事務所群、公園などが建設できたこと、第3に、街のリカバリーと言っていたが、クリーン化やペデストリアン設置、駐車場の地下化などが進んだこと、第4にトリノ市に新たな関心が高まったことで、サボイ家の観光施設や新しい経済が発展したこと、第5にユネスコから2016年にデザイン・キャピタルの認定を受けたとのことである。肯定的なレガシーばかり強調していたが、彼女の専門は都市開発であって平和レガシーには専門外だと語っていた。

 

2月25日(土)Pier氏宅にて再度インタビュー

昼食をOMEROの所長のPier宅に招待される。再度、オリンピック休戦の壁について話し合う。トリノ大会の組織委員会委員長であったカステリアーニ元市長にメールして聞いてくれたとのこと。カステリアーニは、最初は休戦の壁など記憶に無かったと言うことだったが、再度聞くと思い出したそうである。そして、その休戦の壁の後利用ができなかったのが残念であるとのことであった。Pierは、これらは一過性の平和運動だと行っていたが、私はオリンピアン達のサインは大切なお宝であり、子供たちへの教育に有効活用しないのはもったいないこと、バンクーバーはハイチの地震への義援金のためにオークションに掛けて売ってしまったこと、ロンドンは半分の5本をローザンヌのミュージアムに展示して活用していることなど話しておいた。

 

2月26日(日)選手村跡地訪問

今日はトリノのオリンピック選手村を訪問して、オリンピック休戦賛同の壁がないことを確認することにした。メトロのLingotto駅まではすぐたどり着くことができたが、その先、元オリンピック選手村まではなかなかたどり着けない。メトロを降りて、案内版がないためにぐるっと7,000歩もあるいてようやく選手村跡にたどり着くことに。予定外の散歩となる。それは地下鉄の駅を降りての表示の悪さが原因である。自動車博物館が示されているところまで行っても選手村跡地の表示はない。とうとう約1時間大回りをして列車のLingotto駅に到着。その先がトリノ大会のメイン選手村跡地である。メトロと列車のLingotto駅はずいぶん離れているのだ。

都市開発センターの彼女が成功例の一つとしてあげていたのと様子が違い、選手村跡のビルのカーテンにはビニールがかかっており、壁ははげ落ち、階段のコンクリートもはげ落ちる有様である。とても成功した例とは思えないような貧民街化した街のようである。空き室も多く目に付いた。共通スペースらしきところは落書きだらけである。希望の橋であるオリンピックアーチと線路をまたぐ陸橋は健在であったが、動く歩道はストップしたままであった。歩道を渡ったその先はショッピングモールになっている。メトロの終点駅を降りたときにはこのようなショッピングモールの全く様子が分からず、前方にどんどん歩いて行ったのが失敗であったことに気付く。

元選手村がまさに貧民街化しているのが非常に残念な限りである。共通スペースの建物の壁にわずかに2006TORINOの文字の痕跡があったのでカメラに収めておく。当然、オリンピック賛同の壁など跡形もない。オリンピックの時に架けられたメトロのLingotto駅と選手村を結ぶ「希望の橋」を渡る時、遠方にアルプスの山々が見えた。この陸橋を渡る途中からはLingotto Ovalが見えた。何かイベントを行っているようであった。このOvalまで2006年には観戦に来たことを思い出した次第である。この希望の橋を渡った先のショッピングモールにはユベントスショップがあり、孫用にユーベのTシャツを購入。道を迷ったが、せめての幸運である。

 

所感:
今回は山岳地帯の2つの選手村跡地には訪問していないが、トリノ市内のメインの選手村跡地を訪問した。選手村の造りや色使いはモダンな感じであったが、貧民街化しているような寂れ方にはいささかショックを受けた。共通スペースは使用されておらず、落書きだらけ。当然、「オリンピック休戦賛同の壁」など残されてはいない。RAIの「休戦賛同ノート」もどこに消えたのか? トリノ市内のオリンピック平和運動のレガシーが感じられなかったのが残念である。

一方で、Peace Arsenalのようなボランティアの平和支援団体の存在にトリノ市の強さのようなものも感じた。OMEROは大学の方針とも合わせてオリンピック中心の研究所ではなくなったとのこと。名前もInterdepartmental Research Centre on Urban and Event Studiesと変更したとのこと。これもオリンピック・レガシーという観点から見れば、残念な事態であろう。さて、2020年東京大会の平和レガシーはどうなるのであろうか?

 

 

2017年2月シンガポールのスポーツハブ視察記

2017 年 3 月 31 日 Comments off

執筆:舛本直文(首都大学東京特任教授/JOA理事)

 

 

2017年2月3日(金)

シンガポールのSport Hubの2度目の見学である。この施設は、メインスタジアムの他に、水泳施設、屋内競技場、サッカー場にテニスコート、レガッタ施設などほとんどの競技施設が集まっている。ショッピングモールの中心にはスポーツクライミング施設が設置され、多くの若者が挑戦しているのがよく目立つ。このハブは、ショッピングモールにレストラン、温泉にシアターなどの複合施設で公共交通機関のMRTも走っている。NOC、NPC、スポーツ科学研究所やトレーニング施設、各競技団体の事務所も入った総合スポーツ施設である。これがシンガポールのスポーツ界には良い環境を提供することになっているのであろう。

今回は特にスポーツミュージアムを中心に見学した。ガイド付きのツアーを友人のKimさんが用意してくれている。同じCHIJ小学校の体育教師のValerieが同行してくれた。ガイドにこのミュージアムのコンセプトを尋ねる。展示はシンガポールスポーツの歴史と発展を中心に、子供たちが興味を持って学べるように心がけているとのこと。さらには子供たちがチャンピオン達に触れてこの先のインセンティブになり、選手を目指したり支えるボランティアになったりするようなマインドを育てることと、ガイドもKimさんも話していた。Valerieによれば、多くの小学校や中学校の体育の授業で見学にも来るとのことである。子供たちは入館料が無料である。

ミュージアムの入り口には旧スタジアムのベンチを再生した壁が出迎えてくれる。その先には、シンガポールのスポーツ殿堂Hall of Fameに入った52名を称えたプレートが飾ってある。シンガポール初のオリンピックメダリストのTAN HOWE LIANG氏の名前もある。1985年に殿堂入りしている。この殿堂にはオリンピックのメダリスト、アジア大会、コモンウェルス大会の金メダリストが名前を連ねることができるそうである。Kimさんの親族達の名前もあった。

Sport Hubのwebsiteには常設展示の5つのテーマが掲げられていた(巻末参照)。ミュージアムの入り口にはサッカーボールの皮でできたオブジェ。ミュージアム内の展示はシンガポール初のスポーツクラブなど、、。やはり英国統治下の影響が強いスポーツであるヨットや乗馬などのクラブの展示が先である。水球には力が入っているようで、Kimさんの義父のTAN HWEE HOOK氏や甥御さんのTAN ENC=BOCK氏も殿堂入りしていた。さらに、彼らのメダルや水着も展示してあった。メダルなどは寄付ではなく借用しているとのこと。昨年のリオ大会の水泳競技でオリンピック初の金メダルを獲得した選手のメダルや展示はまだであった。おそらく今年に殿堂入りするだろうとはKimさんの談。彼はテキサス大学に留学し、今もそこでトレーニングしているとのこと。

旧スタジアムの入り口のマシンやベンチ、照明やアナウンススピーカーなど旧スタジアムの遺品をレガシーとして展示もしていた。現在のメインスタジアムは旧スタジアムの跡地に作られ、開閉式のルーフでコンサートなどもできるようになっている。足下からは冷気の空調も完備されている。

ミュージアムの展示には、スポーツ競技だけでなく、シンガポールのスポーツ教育用の展示パネルも多い。人権やアンチドーピング、フェアプレーなどの啓発パネルも飾ってある。ミュージアムの中心部は2010年のYOG関係でまとめられている。中には、オリンピック大会の公式ポスターやトーチも(すべてではないが)飾ってある。3台の大きなビデオスクリーンも設置され、その一つでYOGの開会式の映像を映し出している。最後にシンガポールYOGのマスコット達の所で記念撮影である。

時間が無いのでSHIMANOの自転車ミュージアムはざっと済ます。Kimさんが私の自宅の場所を知りたいというのでGPSの画面で教えてあげる。その後はメインスタジアムの見学である。スタジアムの座席は赤と白のシンガポールのナショナルカラーで彩られ、開閉式のルーフと座席に下から冷気が出て暑さ対策もしっかり取られている。サッカーなどの時には55,000人収容のスタンドに仮設の座席を増設できるそうである。障害者の車椅子用の観戦スペースも多く取られている。ここでは陸上、ラグビー、サッカー、コンサートイベントなどに使うそうである。スタンド外のコンコースは3色のレーンで、w-upや一般の人たちも走れるようになっている。

シンガポール・スポーツミュージアムのサイト
ttp://www.sportshub.com.sg/Venues/Pages/singapore-sports-museum-permanent-galleries.aspx