カナダにおけるオリンピック・レガシー
Honouring the Past, Inspiring the Future
執筆:荒牧亜衣(目白大学短期大学部)
バンクーバーオリンピックが開幕した2月12日の朝8時、ロリー・フォックスが聖火リレーのランナーとして登場した。カナダの英雄、テリー・フォックスの父親である。そして、彼の母親、ベティ・フォックスが五輪旗を持って紹介されたとき、開会式会場にはひときわ大きな歓声が上がった。
テリー・フォックスは、サイモンフレーザー大学体育学部1年生の時、骨肉腫を発症し、右足を切断した。手術から3年後の1980年、彼はがんに対する意識向上とがん研究支援を訴え、カナダ横断を目指して走り始める。”Marathon of Hope”と名づけられたこの挑戦はやがて注目を集め、テレビ報道を通じてカナダ全土に知れわたり、カナダ中の人々が彼を応援した。
テリー・フォックスはゴールであったバンクーバーにたどりつくことはできなかった。走り始めてから4ヵ月後、肺への転移が見つかり入院、22才でこの世を去ったのだ。しかし、彼の挑戦は、現在もカナダの人々の心に強く残っている。最終聖火ランナーを務めた1人であるNBAのスター選手、スティーブ・ナッシュは聖火リレーに参加した際、テリー・フォックスについてコメントを残している。
“When someone runs across the country with one leg, it posed a lot of question for a six-years-old. It was a very educational experience for me, and an inspiring one as well.”
The globe and Mail, Friday, Feb 12, 2010
彼もカナダの英雄であるが、テリー・フォックスは彼にとって英雄なのだ。1981年以来、がん研究資金を募るチャリティーイベント”Terry Fox Run”は、毎年世界中で開催され、5億ドル以上が集まったといわれている。
テリー・フォックスの功績は、開会式会場となったBC Placeに併設されているBC Sports Hall of Fame & Museumで詳しく知ることができる。このミュージアムでは、ブリテッィシュ・コロンビアにおけるスポーツの歴史や活動についてだけでなく、オリンピックに関する展示も数多く見ることができる。テリー・フォックスはカナダの英雄として称えられ、彼の死後もカナダの人々に大きな勇気を与え続けていることが紹介されていた。
VANOCは、大会期間中である2月27日に、今大会に出場した全選手の中から、”Vancouver 2010 Terry Fox Award”を選出した。この賞は、痛みや障害を克服して、世界を感銘させた選手に贈られるもので、フィギュアスケートのジョアニー・ロシェット(カナダ)、ノルディック距離女子のぺトラ・マジッチ(スロベニア)の2人の銅メダリストが受賞している。
近年、オリンピックを招致するには、オリンピック・レガシーに配慮した計画の立案が求められている。レガシーが特に重視されるようになったのは、2000年シドニー大会前後の頃といわれるが、1988年カルガリー大会の招致段階においても既に、競技施設を「レガシーとして残す」計画を立てていた形跡がIOC総会の議事録に残っている。スキージャンプやボブスレーの会場となった場所は、現在はCanada Olympic Parkとして幅広い世代に利用されている。さまざまなウィンタースポーツを体験できるだけでなく、季節に応じて、子どもたちを対象としたキャンプも開催している。
パーク内の施設の名称には「オリンピック」の冠が付けられ、オリンピック会場であったことが強くアピールされており、訪れる誰もがカルガリーでオリンピックが開催された歴史的事実を認識できる。たとえば、Olympic Hall of Fame & Museumにおける展示は、カルガリー大会に関する展示にとどまらず、カナダのオリンピック参加の歴史やオリンピックについての知識も得ることができる。カルガリー大会のレガシーといえるこのミュージアムは、カナダのオリンピック・ムーブメントに対する理解をうながすであろう。
ミュージアムは、オリンピックの記憶を蓄積・視覚化し、次世代へのメッセージを発信することで、オリンピック・ムーブメントの一翼を担うことができる。