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スポーツ基本法とその周辺

2011 年 4 月 12 日


執筆:佐野慎輔(産経新聞社業務企画統括)

東北から北関東を襲った大地震、津波に福島の原発事故。日本はいま、その未曾有の被害の大きさに立ちすくんでいるかのように映る。一方で、復興のために何かをしなければと思っている人たちのいかに多いことか。大会の中止や延期、日程の変更を余儀なくされたスポーツ界からも、被災者支援を呼びかける声があがり、具体的な行動も始まった。

「スポーツが被災者を元気付ける」。スポーツ関係者は必ずといっていいほどそう話す。確かに、それがスポーツの持つ特性のひとつであり、それほど人々の間にスポーツが浸透している証左でもあろう。

だが、この国はスポーツと国民とを結びつける、いや近づけるための整備を体系づけて実施してきただろうか。

大震災のすぐ後にも皇居の周りを走るランナーの姿があった。春の訪れとともに、野球やテニスなどに汗を流す人たちも目だってきた。「する」スポーツの広がりは目覚しいものがあるが、では彼らが快適に楽しむだけの施設が整えられているだろうか。事故なく、技量が向上するよう、教えをうける例は稀だ。

英才教育でトップアスリートを目指す子どもがいる一方で、逆上がりはおろか、でんぐり返しもできず、まっすぐ走れない子どもさえいる。この10年間、子どもの体力、運動能力は低下を続けているとのデータもある。

また、「みる」スポーツに事欠かない国ではあるが、競技や種目によっては財源が乏しく、十分な競技力向上や選手育成を望めない団体も少なくない。「日の丸」を背負ったオリンピックやサッカーのワールドカップなどへの関心は高いけれど、プロ選手は別格としても、トップアスリートへの支援や成果に対する評価は十分だとは思われない。何より、それら国際競技大会の日本誘致に必ずしも関心と支援が集まらないことは何を意味するだろう。

日本のスポーツ環境は、どこか貧しい。個人の自主性を重んじたといえば格好はいいが、纏まりも一貫性もないことが特徴だ。競技スポーツや生涯スポーツ、学校体育は文部科学省が所管し、障害者スポーツは厚生労働省。厚生労働省は健康とスポーツに関する事項も掌握、この分野では文部科学省との線引きがわからない。そして公園スポーツ施設の管理は国土交通省に委ねられている。あいまいな所管がスポーツ行政を停滞させてきたと言っても、言い過ぎではあるまい。

「スポーツ基本法」はそこを明確にするための法律と言い換えてもいい。

では、基本法が成立すると問題は解決するのかと言えば、そんな簡単な話ではない。ただ、国民のスポーツに関わる権利を保障し、国家戦略としてスポーツの振興と競技力の向上にあたると定めた基本法が国のスポーツにおける責務を明確にすることは間違いない。

これまで日本のスポーツ政策は1961年制定の「スポーツ振興法」を基本としてきた。これは64年の東京五輪開催に向けた根拠法令として成立した法律で、プロスポーツや障害者スポーツ、財源確保などへの言及はなく、ドーピング(禁止薬物使用)や紛争処理に関する条文もない。また国や地方自治体のスポーツ振興への関与は義務付けているものの、国際競技力向上などスポーツを通した国際社会への参画といった点でも明確さに欠けている。つまり「時代遅れ」の法律なのである。

加えて行政計画の要諦である「スポーツ振興基本計画」は2000年に制定されるまで39年間も放置されていた。貧困なスポーツ行政の根底がここにある。

改革の動きがでてきたのは2007年ごろ。当時の与党自民党を中心に声があがり、自民党政務調査会スポーツ立国調査会が08年、①競技力の向上に国を挙げて取り組む②国際競技大会の招致に国として取り組む③地域のスポーツ環境の整備を支援の3つの戦略の柱とともに、新スポーツ法の制定、スポーツ省(庁)の設置とスポーツ振興組織の整備、スポーツ予算の拡充に取り組むとした報告書をまとめた。そして、09年超党派で組織したスポーツ議員連盟がアドバイザリー・ボードの答申をうけてスポーツ基本法制定に動き出した。同年7月、選挙を前に独自色を出したい民主党との意見の差異から、自民党は単独の議員立法として法案を国会に提出したが、衆議院解散のため廃案となった。

この頃から政治主導のスポーツ行政見直しに危機意識をもった文部科学省が動きを表面化、10年8月に「スポーツ立国戦略」を策定した。これは①ライフステージに応じたスポーツ機会の創造②トップアスリートの育成③スポーツ界の連携による「好循環」の創出④公平、公正なスポーツの実現⑤社会全体でスポーツを支える基盤整備を柱としている。民主党政権下ということもあり、総合型地域スポーツクラブを基盤においた地域力の再生を視野にいれていることが特徴である。一方で障害者スポーツへの言及が少ない反面、旧態依然の体制を守ろうとするなど、あくまでも文部科学省の範囲内での立国戦略である。

政治のほうでは、自民党が公明党とともに10年6月に再びスポーツ基本法案を国会に提出した。仲裁権を含むスポーツ権を盛り込むなど各処に配慮したためか、いささか総花的な内容となった。また、民主党は11年3月、大震災対策の間隙をぬった形で基本法案を策定、5月の国会提出をめざしている。こちらは自民、公明両党案に対抗するべく、地域スポーツ振興を前面に押し出した。ただ、両党案ともにスポーツ庁設置に言及していることは押さえておく必要があろう。

スポーツ庁は従来の縦割り行政に横串を刺し、政策に統合性を持たせるという意味で大きな役割を担う。ただ、そうなると既得権益に触れる恐れがあり、これまでの所管省庁が素直に受け入れるか、保証の限りではない。

いずれにせよ、スポーツ基本法制定の動きは静かに進行している。自民・公明案と民主案も全体から見れば大きな差異はなく、案外と滑らかに成立となる可能性はあろう。しかし、基本法が憲法とスポーツ関連の各種法令との中間にあって、スポーツ法の大本となる性格を持つものであるならば、スポーツ界としてはトップダウン式の法律付与を忌避するためにも、もっと意見具申して然るべきだ。

ところが、笹川スポーツ財団や日本スポーツ法学会以外のスポーツ関連団体は、日本オリンピック・アカデミーも含めて目立った行動を起こしてはいない。自分たちがスポーツを「する」「みる」ことや「支える」「学ぶ」ことと法律や行政とは離れているものと思っているのだとしたら、あまりにも寂しい。

今年は柔道の始祖、嘉納治五郎が日本体育協会と日本オリンピック委員会の前身となる大日本体育協会を設立(1911年)してから100年になる。いわば「日本のスポーツ100年」の節目だが、同時に大きな転換点を迎えていることを肝に銘じておきたい。

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