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クーベルタンの青年教育:世界の分析から相互敬愛へ

2010 年 8 月 15 日


執筆:和田浩一(神戸松蔭女子学院大学)

「オリンピズムは私の仕事の一部に過ぎない」

これは、ピエール・ド・クーベルタン(1963-1937)が晩年に書き綴った言葉です。私たちはクーベルタンを近代オリンピックの創始者として見てしまいがちですが、彼自身、この仕事は「半分程度のものだ」と言っています。これは一体、どういうことなのでしょうか。
1896年にギリシャのアテネで幕を開けたとき、近代オリンピック大会は十数か国の参加しかなく、しかもこれらは欧米の一部の国々に限られていました。しかし、クーベルタンが生涯を閉じる直前に開かれたベルリン大会(1936年)は、日本を含め、50以上の国々が参加する一大国際イベントとなっていました。数の上から言えば、オリンピック大会は成功を収めており、クーベルタンの仕事に合格点を与えても差し支えないと言えるでしょう。
クーベルタンが情熱を傾けていた残り半分の仕事とは、教育改革のことでした。『イギリスの教育』(1888年)を皮切りに、クーベルタンは20冊以上の著書を世に出していますが、そのほとんどは教育改革にかかわるものだったのです。
注目したいのは、IOC会長職時代に著した『体育:実用的ジムナスティーク』(1905年)、『知育:世界の分析』(1912年)、『徳育:相互敬愛』(1915年)の三冊です。ハーバード・スペンサー(1820-1903)が示した三育(体育・知育・徳育)に対応するこれらの著書は、「20世紀の青年教育」シリーズの三部作として位置づけられています。ヨーロッパの古い都市には、その顔とでも言うべき中心的な広場が必ずあります。クーベルタンは教育改革の中心的な広場に、青年たちの姿を見ていたのです。
オリンピックは私たちに、スポーツを通して自分をより向上させようと努力するところに「体育」的な価値があると教えてくれます。しかし、「知育」「徳育」の領域でクーベルタンが訴えようとしたこと、すなわち「他国の理解(世界の分析)が世界平和(相互敬愛)につながる」という考えは、現在の私たちにはまだ、しっかりと根付いていないように思えます。
この「世界の分析から相互敬愛へ」ということこそが、クーベルタンが一生かかって追い求め続けた教育改革の中心的なテーマでした。オリンピックの復興が決まった年、クーベルタンはアテネで次のように発言しています。

「他人・他国への無知は人々に憎しみを抱かせ、誤解を積み重ねさせます。さらには、様々な出来事を、戦争という野蛮な進路に情け容赦なく向かわせてしまいます。(しかし、)このような無知は、オリンピックで若者たちが出会うことによって徐々に消えていくでしょう。彼(女)たちは、互いに関わり合いながら生きているということを認識するようになるのです」(1894年)

クーベルタンが訴えたかったのは、互いに理解し合うことができれば、世界中の人々は互いに尊敬し合うことができ、戦争は起こらないということです。だからこそクーベルタンは、世界中の青年たちが相互に接触し合う機会として近代オリンピックの制度を創ったのです。

「新しいスタジアムに現れる健全な民主主義、賢明かつ平和を愛する国際主義は、名誉と無私への崇拝をその場で支えることでしょう。こうした崇拝の念に助けられて、競技スポーツは筋肉を鍛えるという務めだけでなく、道徳心の改善や社会平和として行動することができるでしょう。このような訳で、復興されたオリンピックは4年ごとに、世界中の若者たちに対して幸福と博愛に満ちた出会いの場を提供しなければならないのです」(1894年)

繰り返しになりますが、現在のオリンピックはすでに、世界の若者の「筋肉を鍛えるという務め」を十分に果たしています。しかし、「相互敬愛」の感情を高め合い、「道徳心」を改善し、「社会平和」を見据えて自ら行動できる若者たちを、今のオリンピックは育成していると言えるでしょうか。
2010年8月14日から26日まで、青少年のためのオリンピック教育を目的に掲げた「ユースオリンピック」の記念すべき第1回大会が、シンガポールで開かれます。第1回アテネ大会(1896年)の前にクーベルタンが語った前述の言葉を、第1回ユースオリンピック大会を目前に控えた全世界のみなさんに贈りたいと思います。
クーベルタンは自分の仕事のことを「未完成交響曲」と呼びました。シンガポールにおいて彼が望んだ教育改革への第一歩が踏み出されれば、ユースオリンピックは「交響曲」となり、全世界で末永く演奏されていくに違いありません。

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