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第1回ユースオリンピック競技大会(2010/シンガポール)を振り返る

2010 年 10 月 17 日


竹田恆和(財団法人 日本オリンピック委員会 会長)

聞き手:山本尚子(Olympic Review Online編集委員)

第1回ユースオリンピック競技大会(以下シンガポールユースオリンピック大会)の日本選手団団長を務められた財団法人日本オリンピック委員会竹田恆和会長に、全体の印象、文化教育プログラムなどの新たな試み、日本代表選手団の様子、今後などについてお話を伺いました。

新たな試みがいろいろと

これまでのオリンピック大会と比較して、強く印象に残ったのはどんなことだったでしょうか。

竹田会長
最近の傾向として、オリンピックは肥大化、ビジネス化、勝利史至上主義といった課題を抱えています。それらの問題に対し、このシンガポールユースオリンピック大会は、ジャック・ロゲIOC会長が「オリンピックの原点に戻り、その理念を今一度掘り起こそう」と、正面から取り組んだ大会と言えるでしょう。
その一環として、新しい仕組みがいろいろ見られました。男女混合種目や大陸別でチームが組まれた競技があります。例えばフェンシングでは、米国とキューバがチームを組み戦いました。これはスポーツが政治を乗り越えたいい例ですね。バスケットボールでは3人ずつでプレーする3on3が採用され、非常に人気を集め、今後、オリンピック競技大会でも取り入れてはという声も挙がりました。
もう一つ、通常の大会では競技スケジュールに合わせて選手村に入村・離村しますが、今回はIOCより、大会期間中の2週間滞在するようにという参加条件が課されていました。

日本選手が積極的に参加した文化教育プログラム

理由の一つは、スポーツに教育や文化交流を融合させた文化教育プログラム(CEP)があったことでしょうか。

竹田会長
そうですね。私もいろいろ見てきました。日本選手は言葉の問題が心配でしたが、みな非常に意欲的に取り組んでいました。全部に参加するとスウォッチ製の腕時計をもらえたそうで、選手71人のうち、競技が後半にあった選手を除く約40人は全プログラムを実施したと聞いています。

CEPは五つのテーマに沿って、7種のフォーマット、50の活動があったということですが、全プログラム実施とはすごいですね。

竹田会長
どこまで理解できたかはわかりませんが、努力して、世界の選手の輪の中にとけこんでいったことで、いい経験を積めたと思います。

語学に関しては、通訳ボランティアがつくということでしたが……?

竹田会長
数人はついていました。また例え通じなくても積極的に身ぶり手ぶりで伝えようとする選手もいたようですし、他国・地域の選手が全員英語が堪能なわけでもありませんから、お互いにボディランゲージを駆使して楽しくプログラムをこなしていたようです。競技後も選手同士でふれあい友情を深め合う、そんな2週間になったようです。今回の体験で、世界に通用する選手になるためには、強いだけでなくコミュニケーションが大事で、もっと英語の力をつけたいと悟った選手も大勢いるようです。

すばらしい気づきですね。どんなプログラムが人気を集めていましたか。

竹田会長
村内では、ブブカやイシンバエワなど金メダリストと直接話すプログラムですね。村外では、小さな島で1日活動するアドベンチャー・プログラムがありました。いかだをつくり、島へ渡って、いろいろ探検したようで、「こわさもあったけど、充実していた」という感想を聞きました。そのほか、参加した205の国と地域のブースがありました。そこに行けば、世界中の文化のエッセンスを一度に吸収できるわけです。それは一校一国運動のようなもので、地元の学校がそれぞれ担当を決めてやっていたようです。

チームジャパンとして一体になれた

バンクーバー冬季オリンピック大会のときに好評だった合同事前合宿「ビルディングアップ・チームジャパン」を、今回も行ったそうですね。

竹田会長
はい、出発前日の結団式後に実施しました。そこで、「オリンピックとは」「オリンピズムとは」「オリンピックの歴史」「フェアプレー」「アンチドーピング」「JOCの歴史」などのレクチャーをしました。

選手たちにとっては、予備知識を持つ機会をもらって、心強く感じられたことでしょうね。
では、チームの成績としてはいかがでしたか。

竹田会長
今回は、具体的な目標メダル数は示さず、選手たちには「持てる力を十二分に発揮してチャレンジしなさい」と伝えていました。その中で、選手たちはよくがんばってくれたと思います。大会第1号の金メダルはトライアスロンの佐藤優香選手で、本人もとても感激をしていました。メダルは金9個、銀5個、銅が3個で計17個でした。メダルを逃したもののそれに準じた成績の選手もたくさんいました。国際経験の浅い選手も多かった中で、みな堂々と、チーム一丸となって全力を尽くしてくれたと思います。
この大会はまた、役員の数が限られていました。14歳から18歳というデリケートな年代の選手たちに何かあってはいけないですし、競技によっては何種目もあるのにコーチ1名というチームもありました。監督・コーチの方々にはご苦労があったと思いますが、競技の壁を越えて、互いにほかの競技を手伝い、競技間連携でよく乗り越えてくれました。
具体的には、競技の終わったコーチが違うチームのサポートしたり、ミーティングを開く際には本部役員が何も言わなくても、準備・片付けをしてくれたり。あとはだれか騒いでいる選手がいると、自分の競技の選手ではないのに注意をしてくれていました。これまでの大会ではあまり見られなかった光景です。

それは、「ビルディングアップ」の効果が出たということでしょうか。

竹田会長
そうでしょうね。行く前から、懇意になれていた部分が大きかったと思います。印象的だったのは、メダルを獲得した選手の「出迎え」です。ドーピング検査があるので、選手村に戻ってくるのは、夜の10時、11時になってしまうのですが、帰村を聞きつけて、みんな降りてきて、並んで祝福していました。福井烈総監督を中心に、本当によくまとまっていました。

会長は、選手団の団長として選手村に滞在されたのですか。

竹田会長
私はIOCの会議や他NOCとのミーティングなどがあり、滞在はできませんでしたが、何度も足を運びました。それから、団長賞の授与もしました。金メダルを獲得した選手にいつもは最後にまとめて贈るのですが、今回は全部、会場で応援をして、その場で手渡すことができました。選手や指導者の方たちは、喜んでくれていたようです。

次代に伝えていくことが使命

では今後に向けて、何か課題や反省はありますか。

竹田会長
今回、日本ではテレビ放映がありませんでした。しかし世界のメディアは、166カ国でテレビ放映権を購入し、広く伝えていたそうです。ユースオリンピック大会で14歳から18歳の選手たちが活躍するのを見れば、子ども達はすごく興味を持つでしょう。「自分たちも数年後、こんな大きな舞台で活躍できるかもしれない。そしてその先にはオリンピックがあるんだ」と励みにもなる。今回も我々としてはメディアの方たちに理解を得るべく努力はしたのですが、次回は是非テレビ放映を実現させたいと思っています。

最後に、この大会は2012年のロンドンオリンピック、16年のリオデジャネイロオリンピックにつながる、あるいは影響を与えるものになりそうでしょうか。

竹田会長
チームジャパンが結束して一つになり、協力し合ったこの2週間は、今回参加した日本代表選手団にとって非常に貴重なものとなったはずです。そして、この大会でいろいろ経験したことを、選手は自分の仲間や後輩へ、役員・監督・コーチの方は他の指導者たちに伝えていくことが、非常に重要であると考えています。皆さんには解団の際にもお話ししたのですが、そうすることでこの大会の趣旨が広まり、オリンピックというものの価値の見直しにもつながると思います。それは、今回出場した選手団全員の使命ですね。

そのことが、子どもたちがスポーツの楽しさを知るきっかけにもなりますね。どうもありがとうございました。

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