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ユースオリンピック

2010 年 10 月 17 日


執筆:結城和香子(読売新聞社 運動部次長)

◇疑問

IOCが創始したユース五輪を取材するにあたり、疑問に感じていた部分がひとつある。

五輪やスポーツの純粋なすばらしさを、勝利至上主義を離れて若者に体験してもらおう–。ユース五輪はある意味で、今日の五輪の弊害へのアンチテーゼのような狙いを持っている。けれど現実には、勝ち負けを超えたスポーツの教育的価値の再発見と、大会存続のためにプレステージや社会の関心度を保つことは、容易に両立するとは思えない。

そもそも五輪は、アマチュアリズムなど理念を前面に奉じようとした時代を経て、サマランチ前会長が五輪運動存続のために商業主義を導入、プロを含む世界のトップ選手に門戸を開いて、世界最高のプレステージを持つ、しかし勝利至上主義やその弊害がついて回る、巨大イベントに成長した経緯を持つ。

ユース五輪の理念はすばらしい。でもそれだけでは、コストを支えるスポンサーやメディア、そして一般社会の高い関心は呼びにくい。存続には、どこかで理想と現実のバランスを取る必要がある。独自の道があり得るのか?

◇象徴

プルメリアが咲くシンガポールでの第1回大会。約250億円と国家の面子をかけただけあって、組織運営はしっかりしたものだった–選手村行きのバスが故障し、代替バスは道に迷い、結局2時間かかったことなどを除けば、だが。

ユース五輪のユニークさが浮き彫りになった、象徴的なシーンがいくつかあった。

シンガポールの摩天楼を借景に、これでもかという花火が打ち上がった開会式。異色だったのが、「SOS」の手旗信号の群舞だ。背後のスクリーンに環境破壊や戦争の悲惨さが、殺し合いや死者まで描くリアルな絵で展開する。未来のために若者が立ち上がり、地球を取り巻いて行く。明日を託す強いメッセージが、打ち出されていた。

ロゲIOC会長が、開会式のスピーチでこう呼びかけた。「最初にゴールラインを越えさえすれば、勝者にはなれる。しかしチャンピオンになるには、周囲の尊敬を得なければならない」。人間性を育み、人生の真のチャンピオンを目指して欲しい。ユース五輪創始への思いが、ひとことに凝縮されていた。

ユース五輪の特徴だった教育プログラムの目玉、「チャンピオンとの語らい」。選手村で行われた初回、セルゲイ・ブブカとエレーナ・イシンバエワには、ホール一杯に350人以上の選手が詰めかけた。多くの質問が、「(競技人生で)一番落胆したことは」など、トップを目指していくための心構えや体験を聞くもの。ブブカは「故障から復帰後、好成績が望めない大会に、自分に勇気がないと思いたくなかったから挑んだ。結果は悪く、誰にも評価されなかったが、大きな壁を乗り越えた思いだった」などと真剣に語りかけた。ブブカは後日のインタビューで記者に、「大事なのは、若い選手に、僕らも同じ人間なんだと、壁や失意を乗り越え、努力を続けたんだと実感してもらうこと。話を聞いた選手の一人が、悩みがあったが、その後ぐっすり眠れるようになったと言っていたという。何かを見つけたんだと思う」と述懐した。

◇現実

一方で、取材をするうちに多くの課題も見えた。ジュニアレベルとは言え真剣に勝利を追求する選手たちの中には、教育・文化プログラムを重荷に感じる者もいること。積極的に参加した選手でさえも、英語という言葉の壁があるために、セッションの真の狙いが伝わらずに終わっていること。郊外の島でイカダを作るなど共同作業に臨む冒険授業は、まるでサマーキャンプ。共通する印象は、「他国の若者と交流して楽しかった」だ。

『50』もある教育・文化プログラムは主題として、五輪理念や歴史を知り、心身の健康の意味を学び、競技者としてのキャリアを考え、社会的責任や義務を知る、などを挙げている。

選手はロールモデルとして、自分の周りの社会問題などにも目を向けて発言をする意識も必要–という狙いで、環境問題を取り上げたセッションをのぞいてみた。結局言葉の問題もあり、環境問題の議論も、ロールモデルについての話も、ゲストとして来たパラリンピックのマルチメダリストの体験談も生かさず、参加した選手は「え、そういうテーマだったんですか」。終了後若い赤十字のインストラクターと話をしたが、「教えるのではなく、楽しみながら自発的参加を促す」手法を取っているため、うまく流れを作れず難しい面もあると明かしていた。

◇IOC

IOCの自己評価は–。会長就任前からビジョンを持ち、ユース五輪創始を推進したロゲIOC会長は、言葉の壁などの課題は認識しながらも、これほどの成功は予想しなかったと強調する。他のIOC委員は、教育プログラムを重荷に感じる選手がいることを認め、改善も必要なことを認める。ただ、理念や目的はすばらしいので、長い目で真の成果を見極める必要がある、と語る。

スポーツを通じた人間教育の場を、という信条に加えて、ロゲ会長が「(創始の)機は熟した」と言う背景には、社会の変化がある。ゲームや携帯など娯楽が多様化し、若者のスポーツ離れが進んでいる現実だ。ただ単にスポーツ人口が減るだけの問題ではない。スポーツのすばらしさを実体験する人間が減り、ひいてはスポーツへの関心度や、五輪の社会的価値にまで影響は及びかねない。

昨年の五輪コングレスが、社会におけるスポーツの価値を主題に取り上げたように、変化する社会の中で、人や社会をより良くできる触媒としての、スポーツの良さや価値を再認識しようという動きが強まっている。ユース五輪はその一環だ。人間性などを育む教育効果という側面に、注目を集めたこと自体が、一つの成果だったとは言える。

◇結論?

商業論理の数字に変換しにくい「教育効果」に対し、どうやってスポンサー企業や、それらが判断基準に使う社会の関心を集めるのか。

可能性のひとつは、五輪やスポーツの力が、私たちの社会や人生を良くするために不可欠だという共通認識を広めること。現代社会で、誰も教育自体の価値を問わないように、スポーツが社会にとって動かぬ価値を持つと見られれば、それに対する支援も容易になる。五輪開催国で、五輪のもたらす社会への付加価値を実感し、社会や企業の関心度が増すように。
もう一つは、政府や国際機関の一層の協力を得ること。国威への意識や、五輪招致の布石も良いが、ユース五輪の価値自体がそれを促すようになれば理想的だ。各国で五輪・スポーツ教育、トップ選手と社会の交流などを広めることが、一つの契機になるように思う。

「まともな五輪を開くまでには数大会を要した。ユース五輪も成長し、永く続くだろう」とロゲ会長。理想というものは、信じる人がいなければ価値を持たない。その意味で、ユース五輪とスポーツの持つ力を信じてみることも、何かを生む第一歩かも知れない。

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