ユース五輪を視察して
執筆:阿部生雄(筑波大学理事・附属学校教育局教育長)
1.はじめに:筑波大学とオリンピック教育
8月13日から18日にかけて、シンガポールで開催された第1回ユース・オリンピック・ゲームズ(Youth Olympic Games、以後ユース五輪)を視察した。嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センターの企画による視察旅行に参加し、交流センターや日本オリンピック・アカデミー(JOA)の方々と楽しい、有意義な視察を行うことができた。
筑波大学の附属学校教育局教育長という立場で、シンガポールで開催された初めてのユース五輪を視察した理由は、平成21年の筑波大学の第二期中期目標・中期計画に係る大学全体の年次別実行計画の中で、オリンピック教育の実施を検討することを掲げたからであった。そこでは、附属学校教育局は、平成22年度と23年度に「大学と連携し、・・・国際平和教育としてのオリンピック教育の実施を検討」するとし、重点施策として「大学と連携し、附属学校の児童生徒を対象とする国際平和教育としてのオリンピック教育の実施を検討する」ことを掲げているからである。
第二期中期目標・中期計画と関連付けてオリンピック教育を掲げた理由を、思いつくままに列挙すれば次のような諸点を挙げることができよう。
①国際的な大学と附属学校をつくる上で国際平和に対する理解を深めておく必要があること
②筑波大学には教育、体育、スポーツの分野での伝統と学問的、教育的蓄積があること
③本学の前身校である高等師範学校の嘉納治五郎校長は、アジア最初のIOC委員として近代オリンピックの発展とオリンピズムの普及に積極的に取り組だこと
④クーベルタン男爵との強い絆を持っていた嘉納先生から、日本で最初のオリンピック教育を学んだという伝統を持っていること
⑤日本の最初のオリンピアンの一人であるマラソンの金栗四三、大日本体育協会の創設に深く関与した十種競技の野口源三郎をはじめ、その後も数多くのオリンピアンを輩出してきたこと
⑥筑波大学には小・中・高を網羅する普通附属学校6校、様々な障害に対応する附属特別支援学校5校があり、パラリンピックなどを含むオリンピック教育の先導的試みを発信できること
⑦筑波大学は総合大学であり、体育、芸術、教育、医学、国際、人文、社会等と協働して、単に競技力向上だけでなく、国際平和教育の観点からオリンピズムとオリンピック・ムーヴメントを推進し、支援してゆく体制を整えることができること
⑧将来的には生物、理工、情報等の関係する多様な科学オリンピックとも協調してゆくことも可能であること
⑨本学は、JOCやJOA のみならずIOCとの協力関係を保っており、すでに、大学で「オリンピック」という授業を一般教育として行っていて高い評価を得ていること
等である。
2.イラン選手の対戦・メダル受賞拒否について
ここでは筑波大学の企画している「オリンピック教育」や今回の「ユース五輪」視察に関して詳述することが目的ではない。「オリンピック教育」については稿を改めなければならないし、ユース五輪の視察については他の参加者が詳細に論じてくれると思うからである。ここでは「ユース五輪」を視察して最も印象に残った点について述べることにとどめたい。
8月13日に成田空港を発ち、8月14日夕方の開会式視察、8月15日バスケット3on3観戦、8月16日水泳競技観戦、シンガポール・スポーツ・スクール見学、ビレッジ広場と南洋履行大学でCEP(文化・教育プログラム)見学、メディア・センター訪問、8月17日SYOGOC(シンガポール・ユース五輪組織委員会)のブリーフィング、徳明政府中学(実際は中・高等学校)でのオリンピック教育視察、8月18日に帰国、というように個人ではとても計画できないような充実した視察であった。ここで論じようと思うのは、ユース五輪の可能性を感じさせてくれたSYOGOCのブリーフィングでの一場面についてである。
8月17日早朝、前日のテコンドーの48キログラム級決勝戦においてイランの選手が怪我を理由に試合を棄権し、表彰式も欠場して銀メダルの受賞を拒否したということが報じられた。この出来事に対して、イスラエルの選手側は、ある程度こうした事態を予測していたものの、イラン側が政治的理由によって選手を引き上げさせたと批判した。そして、イスラエル側は、イスラエルの選手が決勝戦でイランの選手と対戦できなかったことを残念に思っている、というコメントをしたのであった。
イランの選手の引き上げの政治的意味を解読するには、幾分かの両国関係の知識を要する。両国は、アラブ諸国との対抗上、軍事的に緊密な関係を保っていたが、1979年のイランでのイスラム革命後、イランはイスラム・イラン共和国へと移行し、反米とシオニズムを敵視する反イスラエル国家となり、シオニズム国家であるイスラエル以外の国々と対等・互恵の関係を築く政策に転換した。また、近年、核開発疑惑で国連安保理の制裁決議を受けたが、平和目的の核開発であるとしてその決議の受け入れを拒否している。イラン政府にとって、イスラエルはパレスチナを占領しているシオニズム国家であり、生存権すら認められるべきではないという立場をとっている。一方、アメリカのイスラエル離れの噂は、イスラエルによるイランへの単独攻撃の危険性を高めているとも言われている。
こうした両国の嫌悪な関係は、今までのオリンピック大会でも、対戦拒否となって現れていた。17日のザ・ストレート・タイムズ紙によると、2004年アテネ五輪では、柔道の予選で世界チャンピョンであったイランのアラシュ・ミレスマイリ選手が、イスラエルのエウド・ヴァクス選手との対戦を拒否した。また2008年の北京五輪の平泳ぎ予選では、イランのムハマド・アリレザイ選手は、イスラエル選手の含まれるそのレースを腹痛により拒否したという。特に2004年の柔道でのミレスマイリ選手の対戦拒否に関しては、イランのカタミ首相は、ミレスマイリ選手こそオリンピックのチャンピョンにふさわしいとし、「イラン人の栄誉の歴史に記録される」と称えたという。
こうしたオリンピックにおけるイランとイスラエルとの対戦拒否の歴史を考えると、ユース五輪のテコンドー決勝戦(48キロ級)でのイラン選手のイスラエル選手との対戦拒否は、起こるべくして起こったと言ってよいであろう。しかし、それがユース五輪でも繰り返されたことに、大きな失望を感じざるを得なかった。理想主義的に競技を行う場としてのユース五輪で、「オリンピックは勝つことにではなく参加することに意義があり」という最も初歩的な原則が通用しなかった、ということは大きな問題だと思うのである。
われわれ視察に行った者の一部は、17日の午前中にSYOGOCのブリーフィングに参加した。私はブリーフィングが始まる以前から、こうした政治的対立がユース五輪で発生した場合に、どのような対応を組織委員会、またIOCがとろうとするのかを質問しようと思っていた。
ブリーフィングを担当したディレクター、リチャード・タン氏はユース五輪の特色と招致の経緯、組織委員会の構成と機能、競技種目とその特徴、文化・教育プログラム、開催場等について1時間ほど説明してくれた。その後、質問を受け付ける時間があり、他の人からテコンドーの決勝不参加と表彰式におけるイラン選手の出席拒否に関する質問が出るのを待った。しかしこの問題に関する質問が出ないので、「政治的理由からユース五輪で今回のような決勝戦の拒否、銀メダル受賞拒否という事態が生じたが、組織委員会はどのように考えるのか、またどのように対応するのか」、という点を尋ねた。
タン氏は、特別のことは考えていない、今回の事件は、こうした問題について若者が考えてゆく一つの重要な機会を提供してくれた、と答えた。幾分か冷静な対応に安堵する一方、今後、ユース五輪で生じるかもしれない政治的紛糾の処理の体制に不安を感じざるを得なかった。そこで、組織委員会は、IOCとの協力で、今後、同様な紛擾に対応するために、若者(ユース)で構成される問題解決のための委員会を設置すべきではないのか、という趣旨の発言を行ったが、十分な共感を得られなかった。
少し理想主義的であったかもしれない、という反省もあるが、ユース五輪なのだから、若者たち自身による国際紛争や政治対立を乗り越えるための論議の場があってもよい、と本気で思っている。次代を担う若者たちが、大人たちの古びて膠着した常識を打破するような、既存の秩序や考え方にとらわれない、斬新な解決の方法を考えてゆくことこそ、ユース五輪に相応しいプログラムだと思うのである。
ピエール・ド・クーベルタン男爵は、イギリスのパブリックスクールにおける生徒の「自治的」な活動(真に大人になるための活動)を学び、世界に広めようとした。ユース五輪は、その意味で、そうしたクーベルタン男爵の近代オリンピック創始の根本的意義を再確認する最も相応しい機会であり、また場であると思う。ユース五輪を立ち上げたロゲIOC会長は、クーベルタン男爵の最も根底にあった考え方を非常によく理解していたように思うのである。
3.おわりに
ロゲ会長は、イラン選手の出場と銀メダル受賞拒否問題について、イラン選手が実際にひじに怪我をしており、病院で診断を受けていたことを確認し、それ故の出場拒否であったとして、それ以上の問題にしようとはしなかった。しかし、若者が自ら作り上げる国際的な機関や組織で、紛争を解決しようとする試みをユース五輪が実現させれば、国際平和教育としてのユース五輪の意義は極めて大きなものとなり、現在のオリンピック大会を逆規定するような大会に成長することになると思われる。ユース五輪に対する期待は大きい。
ユース五輪を取材し続けた読売新聞社運動部の結城和香子記者は、9月4日の読売新聞に「初開催ユース五輪の成果」と題する記事を寄せている。そこでは、①スポーツが持つ人間形成の力を印象付けた、②スポンサーなどの関心を今後どこまで集められるか、③大会継続へ国際社会に価値認識させる努力を、という3点を指摘している。「まともなオリンピックを開催するまで数大会を要した。ユース五輪も成長し、永続する」とロゲ会長はやや楽観的に述べているが、若者の祭典として大会を継続し、発展させるには目に見える形での成果や開催の意義を、国際社会に広く認識させる努力が不可欠である、と釘をさす結城記者の意見に同感である。また、シンガポールがユース五輪に費やした運営費は244億円に及ぶといわれ、こうした嵩む経費が今後のユース五輪にどのように影響を及ぼすかも注視していかなければならないと思う。大きな可能性を宿すユース五輪の成長を支援し、見守り続ける義務が、われわれ教育者にはあるように思える。