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メルボルン大会閉会式を演出した少年の話

2009 年 10 月 10 日


執筆・写真:和田 恵子

※この記事は2007年7月に執筆されたものをJOA Review アーカイブ(第0号)に掲載しています。

ジョン・ウィングと出会ったのは、英国オリンピック・ファウンデーション(英国NOA)のセッションだった。2007年2月23日から3日間にわたって行われたセッション最後の全体会で、司会に促されてジョン・ウィングは話し始めた。参加者は、メルボルン大会閉会式での自由行進を提案した中国系オーストラリア人の話に聞き入った。国別の整然とした行進にならず、それがかえって感動的だったいう閉会式は1964年の東京オリンピックが初めてだと思っていた私は、1956年のメルボルン大会の閉会式ですでに自由な入場行進があったことを知って驚いた。その経緯に興味を持ち、帰国後ジョン・ウィングに依頼して資料を送ってもらった。

ジョン・ウィングと筆者

ジョン・ウィングと筆者

メルボルン大会が行われた1956年は、スエズ危機、ハンガリー動乱が発生した年だった。そんな不穏な世界情勢の中で、第16回オリンピック競技大会が開催された。ティーンエージャーだったジョン・ウィングは、メルボルンオリンピック組織委員会のケント・ヒュー委員長に宛てて手紙を送った(1)。

メルボルン・オリンピック組織委員会に送った手紙(オーストラリア国立図書館の許可を得て掲載)

(1)メルボルン・オリンピック組織委員会宛手紙(オーストラリア国立図書館の許可を得て掲載)

「私は17歳になったばかりの中国人です。(中略)私は閉会式では、全員が1つの国になることを考えています。戦争、政治、国籍をすべて忘れて、1つの国になる。それには、各チームがばらばらになって、選手達が自由に歩いて、観衆に手を振る・・・。」この手紙には、絵も添付されていた(2)。

提案者の名前も素性もわからないまま(署名判読不能と当時の新聞には書かれている)、この案が組織委員会により採用されたのだ。閉会式では彼の望んだとおり、旗手だけが整然と行進し、選手達は混ざり合って行進した(3)。

メディアはすぐさま提案者は誰かと騒ぎ始めたが、ジョン・ウィングはヒュー組織委員長に名前を明かしたくないとの二通目の手紙を書き送り、それ以来沈黙を守り続けた。家族にさえも自分が発案者であることを話さなかったという。

メルボルン大会から30年後の1986年、オリンピック大会をテーマに論文を執筆していたシェー

(2)手紙に添えられていた絵(オーストラリア国立図書館の許可を得て掲載)

(2)手紙に添えられていた絵(オーストラリア国立図書館の許可を得て掲載)

ン・コーヒルが故ヒュー卿の資料の中からウィングの手紙を発見。これをきっかけに「John Ian Wing」にメディアが注目し

he Herald and Weekly Times Ltd Melbourne

(3)The Herald and Weekly Times Ltd Melbourne

た。ハリー・ゴードンが執筆した1986年9月22日付けのTIME誌(4)発行の24時間後にはウィング探しが始まり、1969年からロンドンに居を移していたジョン・ウィングの存在は、その翌日にはオーストラリア中の知るところとなった。

米ソの冷戦で世界が不安定な当時、ジョン・ウィングが求めていたのは、世界中のアスリートが笑顔で、観衆に手をふり世界の友好・平和・調和のメッセージを送ることだった。オリンピックを通じて平和のメッセージを送りたいという当時17歳の若者の提案を組織委員会が受け入れ、さらにIOCの承認も得て実行する-現代ではとうてい考えられないようなエピソードを当の本人から直接聞く機会を得たことはとても幸運なことだった。

(4)Harry GordonによるTIME誌記事

(4)Harry GordonによるTIME誌記事

世界の若者に向けて、ジョン・ウィングは次のメッセージを送っている。
“Don’t write a letter of complaint. Offer a solution”
(不平不満の手紙を書くのはやめて、解決策を示そう)
ジョン・ウィングのウェブサイトは以下の通り。
www.johnwing.co.uk

第29回オリンピック競技大会(通称・北京オリンピック)は、2008年8月8日(金)より24日(日)までの17日間、中国の首都・北京市を主会場にして開催された。この北京オリンピックには史上最多の204の国と地域から11,000人近い選手が参加し、28競技302種目が実施された。前回のアテネ大会の参加国・地域は202、実施種目は301なので、そのいずれにおいてもアテネ大会を上回り、史上最多を記録した。

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