夏季オリンピック2016東京招致失敗の反省の視点
執筆:内海和雄(英国ラフバラ大学客員教授)
1. 反省の声
10月2日現地夕方、「コペンハーゲンの悲劇」は起きた。IOC総会における2016年夏季オリンピックの開催地は南米のリオ・デ・ジャネイロに決定した。東京の落選を残念がる一方、リオの当選を歓迎する声も多い。それは南米初の開催が、オリンピズムのスポーツ普及と一致しているからである。
その後東京でも、日本でも、先の招致活動への反省をして、2020年への再挑戦をするかどうかの声も聞こえてくる。その中にはオリンピック開催の環境配慮への趣旨は良かったが、プレゼンテーションの技術上の拙さを指摘する声もある。
私は今、この4月から長年通い慣れたイギリスのラフバラ大学に客員教授として滞在しながら、オリンピック研究に平行してこの国の体育・スポーツ政策、そしてオリンピックを含めたスポーツ・ナショナリズムなどを研究している。その中で、先の2005年10月のロンドンの逆転的勝利の意味を痛切に考えさせられると共に、今回の東京の敗北は、プレゼンテーションの単なる技術上の問題ではなく、オリンピックの今後のあり方を含めた、深層からの反省を行わなければ、今後の東京招致、いや日本の都市への招致は実現しないと考えている。この1つの提案がそうした議論の1つの切掛けとなれば幸いである。
2. オリンピズム
オリンピズムの中心は世界にスポーツを普及させ、スポーツを通じて若者たちを中心とした友好を深めることにある。そのために、オリンピックの収益の一部を世界のスポーツ普及活動に援助してきた。したがって、オリンピックを開催する上で、その都市、あるいは国のスポーツ政策が人々のスポーツ振興にマイナスに働くとすれば、それはオリンピズムとは矛盾する。
私は常々、少なくとも過去10年のその都市、あるいは国のスポーツ・フォー・オール政策のあり方もオリンピック招致都市の評価基準として、大きく位置づけられるべきだと主張してきた。しかし、今回の東京、ないし日本の過去10年の歴史を見れば、スポーツ政策は衰退の傾向にあった。こうした状態にあった自治体や国が、突如オリンピックによって市民や国民のスポーツ振興といっても、そのアピール性は無い。都民、国民のスポーツ重視の政策を採らず、冷遇してきた日本において、1964年当時のオリンピック招致・開催の価値は形成されていない。つまり、スポーツを中心とする福祉が重視されていないのだから、未だ其の価値が共有されていない。(拙著『日本のスポーツ・フォー・オール-未熟な福祉国家のスポーツ政策-』不昧堂出版、2006)
この点で、ロンドンの、あるいはイギリスの教訓から学ぶとすれば、この豊富なスポーツ・フォー・オール政策を背景としてオリンピック招致に打って出たが故に、目立った反対運動もなく、ロンドン市民ばかりでなく、イギリス国民からも支持され、大歓迎されたのであった。
3. イギリスのスポーツ・フォー・オール政策
イギリスのスポーツ・フォー・オール政策は1972年の執行機関としてのスポーツカウンシルが設立されて以降である。近代スポーツの発祥国であると同時にアマチュアリズムの発祥国であるイギリスは、アマチュアリズムの個人主義によって、政府がスポーツに介在することを排除してきた。それ故、戦後の福祉国家化の中で、西欧諸国が政府主導によるスポーツ・フォー・オール政策を採用せざるを得なくなった中でも、頑なに介在を控えてきた。しかしそうした姿勢は許されなくなり(この背景は拙著『イギリスのスポーツ・フォー・オール-福祉国家のスポーツ政策-』不昧堂出版、2005参照)、スポーツ・フォー・オール政策の採用となった。西欧諸国がスポーツ省を設置した中で、イギリスは当時のスポーツ所管である環境省からは独立したいわば独立行政法人とも言うべき組織「スポーツカウンシル」を設立した。スポーツ省ではなくこうした組織形態になったのは他の多くの文化分野でも同様であるが、時の政権党の政策の実行ではなく、それとはやや独立に、独自な文化・スポーツ政策を推進するために作られたのである。しかしそうは言っても、政府からの財政を受けて推進するのであるから、政権党との「軋轢」は常に存在した。その典型例が1980年のモスクワ五輪への参加問題であった。当時のサッチャー首相はアメリカのカーター大統領のボイコットをいち早く支持し、イギリス選手団にもボイコットを強要した。しかしイギリスオリンピック委員会はソ連への抗議を込めて、イギリス旗ではなく五輪旗を掲げて参加した。ここでスポーツカウンシルも参加支持に立っていた。これはサッチャー政権の逆鱗に触れ、その後福祉縮小の一環として、スポーツカウンシルも縮小された。しかし、サッチャー政権発足直後の1981年には格差に痛めつけられた大都市の貧困者を中心とする大規模な都市暴動が続き、1980年代にそれらが沈静化するまで、むしろスポーツ政策は住民の不満解消の一環として推進されたのである。そして1990年代のメジャー政権はスポーツ政策をイギリスのナショナリズム重視の立場から、学校とトップスポーツを重視したが、地域スポーツは放任されたのであった。
1997年のブレア政権はその政策の重点が「1に教育、2に教育、3に教育」と、教育重視の政策をとった。もっともその中にはサッチャー政権以降の競争主義の諸政策も多く温存されていたが。それでも、ブレア首相は2002年に「体育・学校スポーツとクラブ連携戦略」を自らの政策として提起し、今後5年間で10億ポンド(1600億円,£=160円)という膨大な資金を投入し、この国の子ども、地域、そしてトップのすべてに渡って「世界一のスポーツ立国」を建設することを提唱し、実行した。
これは現在も引き継がれており、子どもたちには週5時間の運動時間保障政策、そのために特別な職種を新設し、あるいは教員の授業研究、部活動振興、地域クラブとの連携のための特別な活動を保障し、そのための授業離脱を保障し、その代用教員の給与も保障するという、羨ましいほどの政策を推進している。地域スポーツはスポーツ種目団体による2013年までの100万人の新規参加者増加作戦を採り、そのために各スポーツ競技団体に数十億円ずつの支援金が支給されている。これらの政策は世界の各国から羨望と教訓の対象とされ、視察団が後を切らない。
こうした、「世界一のスポーツ立国」建設の推進を背景にしながらロンドンへのオリンピック招致であるから、これは先述のようにロンドン市民ばかりでなく、イギリス全体からも支持されたのである。さらにそれらの政策を自ら指揮するブレア首相が、IOC会議に乗り込んだのであるから、その迫力は投票するIOC委員の心に強く響いたに違いない。
4. 反対運動とIOCの意向
オリンピックの反対運動にも歴史はあるが、近年の世界的な特徴は大きく3つに分類できる。1つはオリンピックの肥大化に伴う環境破壊への危惧からの反対運動である。これにはIOCも全面的に受け入れ、今後のサステーナブルなオリンピックのあり方を求めて、環境保護を重視している。そして環境対策を評価基準に入れている。
第2は、オリンピックやIOCが「オリンピック企業」化をして、初期のオリンピズムを忘れて、専ら利潤追求の企業に転化しており、それに公共の莫大な税金を投入することは許されないというものである。この点に関しては、より根本的な議論を必要とする。つまり、資本主義社会に存在し、発展しようとする組織にとって、一定の資本確保が必須だと言うことである。これは研究学会のような非営利団体でも、一定の活動資金を組織は必要とする。我々のJOAでも同様である。オリンピックはテレビの普及や諸国民のスポーツ普及に支えられて、そして莫大なテレビ放映権料を得ることによって、その崩壊から脱出し、現在の発展に至っている。だからといって、それらの「利潤」を溜め込んで、新たな利潤獲得のための企業の設立を推進しているわけではなく、オリンピックソリダリティを初めとする世界のスポーツ普及と発展のために多大な援助をし、またオリンピックの今後の発展の為のあり方を模索するために莫大な研究、教育を組織している。こうした運動体が他にあるだろうか。人類の遺産であるオリンピックの保護、発展とそれによる国際平和への貢献というオリンピズムの推進を旺盛に進めている。それらは一般にオリンピックレガシーと呼ばれるが、反対論者の多くはこうした広い検討をしようとはしない。もっとも、オリンピックはそれが果たしてきた歴史的、社会的役割の大きさの割には、研究がきわめて遅れている領域である。そのための研究がもっともっと高まる必要がある。
そして第3は、近年の都市開発が、特に「国際都市」への脱皮を図る上で、莫大なインフラ整備費を、比較的抵抗の少ないオリンピックを利用して遂行しようとする傾向が強まっている。これによって、都市住民の福祉費の削減、時には都市住民の市民的自由の制約、そして招致活動費の不明朗化などへの批判である。
都市振興とナショナリズムの高揚のためのオリンピック「利用」は1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会以来行われていることであり、近代社会に於けるメガイベントの持たざるを得ない宿命でもある。また、それらがある程度なければ、おそらくオリンピックも現在まで継続はされなかったのではないかと私は考えている。しかし、都市振興に関して言えば、現在の「手段化」は、都市の利潤により大きな比重が置かれていることも否定できない。こうした傾向への批判である。その象徴的な姿が市民、国民へのスポーツ普及政策を軽視しておいて、オリンピックを招致しようという態度と行動である。
5. オリンピックの方向
IOCは先の「都市振興 vs. 住民福祉削減」というオリンピック招致のあり方をもっとも恐れている。IOCは政治との関係で言えば、政治に介入されない努力をしてきた。また一方、政治には介入しない。しかしオリンピック招致が国内外の政治と不可分であることは誰もが承知している。こうした矛盾の中にオリンピックは存在する。そして今後もそうした社会の中で活動してゆかなければならない。
かつてオリンピックが危機に直面したのは世界戦争による開催休止であり、冷戦下やアパルトヘイトへの反対の手段としてのボイコットであった。そして組織内の問題としては財政難による崩壊の危機であった。現在はドーピングなど、スポーツそれ自体の価値を根底的に否定する動向もある。
しかし現在のオリンピック招致・開催に関して直面する問題は、招致・開催都市による都市振興の手段化とそれに対する反対運動の高揚である。オリンピック招致・開催によって都市住民の福祉が削減されるとすれば、反対運動はますます高まるであろう。それは容易にオリンピック自体の否定に繋がりかねない。IOCはこの辺に注意を払い始めた。それは今回の評価委員会が各招致都市の反対派との「初めて」(私の情報は不正確かもしれない。以前からあったかもしれない。)の会合を持ったことにも現れている。
また、近年IOCはオリンピックレガシー研究に大きな精力を割きつつある。先述したように、オリンピックの果たしてきた歴史的、社会的な大きさの割にはその研究は少なすぎたからである。レガシー研究は世界的にも、2000年代に入ってからである。
今後のオリンピック招致・開催のあり方は、招致・開催都市として「都市振興と住民福祉」の両者のバランスのとれた政策のあり方を求めるだろう。IOCとしても、招致都市のあり方をそのような方向に持って行けるような、評価基準に重きを置くのではないか。その一環がオリンピック開催都市は開催前の9年前から開催後の2年後、つまり11年間のオリンピックレガシー研究に着手した。その最初が2008年の北京オリンピックである。もちろん、その一環に「住民福祉」の項目がどのように埋め込まれているかが重要である。それと同時に、招致都市の評価項目の中に、もっと住民福祉を、そして特に住民へのスポーツ・フォー・オールの施策の実施度を含めるべきである。
IOCは政治に介入しないと先述した。確かに招致・開催都市の「都市振興と住民福祉」の具体的なあり方に介入はできないだろう。しかし、そのバランスある推進の為の方策として、住民のスポーツを含む「住民福祉」的内容をもっと評価基準に規定すべきである。これは政治への介入無しに、間接的に規定することでもある。そしてこのことが、インフラ重視だけの招致とそれに対する反対運動の高揚とを克服する方法が含まれている。その一環が、先に触れたように、最低、過去10年の住民スポーツ振興、国民スポーツ振興のあり方を大きく評価する方向に転換するであろう。今その転換点であるといえるだろう。
今、オリンピックは1つの転換点に来ていると考えるべきだろう。これまでの転換点と同様に、世界の政治経済が変動する中で、オリンピックも又そのあり方が問われている。そして、オリンピックのあり方はIOCレベルだけでなく、もっともっと草の根のレベルでも議論される必要がある。そのことがオリンピックのより健全な方向を見出し、オリンピックのより広い深い支持を得る方向だからである。
イギリスに留学しながら、ロンドンの、そしてこのイギリスから学ぶべきことの1つとして、以上のように考えている。今、東京と日本が反省すべきは、単にプレゼンテーションの技術上の事ではなく、もっと住民に支持されるようなオリンピックの招致・開催のあり方を広く議論することである。むしろそうした運動を盛り上げた方が、IOCへのアピール性もあるのである。
オリンピック招致・開催はスポーツの範囲を超えた、政治経済の問題でもある。オリンピックはすでにそうした性格をいやが上にも帯びている。そうした状況にも拘わらず、スポーツ関係者がただスポーツだけの世界から「オリンピック招致賛成」を叫んでも、それではオリンピックの実態の持つ性格からも遊離してしまっている。